曝されながらともに生き延びるために

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最後に残った桜の花

世界保健機関(WHO)が2020年3月11日に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が「パンデミック」であると宣してから50日が経とうとしています。「パンデミック」という言葉は、哲学者のマルクス・ガブリエルが、集英社新書編集部のウェブサイトに日本語訳が掲載された論考「コロナ危機──精神の毒にワクチンを」で述べているように、語源的には「すべての(パン)」と「民(デモス)」という二つの語から成っています。それゆえ「パンデミック」という複合語自体には、「すべての民に関わる」という意味しかないのですが、今日ではこの語はもっぱら、ある疫病が世界中の人々に関わる流行を示していることを指して用いられています。

こうした言葉の分析を俟つまでもなく、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)には、今やすべての人が曝されています。誰もがこれに感染しうるのです。できるのは、感染の危険を遠ざけると思われる手だてを講じることだけです。だからこそ、それぞれの住まいからできるだけ外に出ないこと、仕事をするにしても、在宅で働くことが推奨されているのです。しかし、そうして「ステイ・ホーム」を続けることが、住まいの外で働く人々によって支えられていることは、けっして忘れることができません。食品をはじめ生活に必要なものを運んでくれる人々や、それを店で販売する仕事に就いている人々なしには、「リモート」の仕事も、「ホーム」での生活も成り立ちません。

「ホーム」に留まっていても、病気になったり怪我をしたりします。それに、すでに病を抱えていたりなどして医療を絶えず必要とする人々もいます。こうした人々の生を支える医療、看護、介護の仕事を病院などの施設で、あるいはそれぞれの住まいを回りながら続けている医師や看護師、介護士がいます。誰もが新型コロナウイルスに感染しうるわけですが、もしその感染症が表われたら、これらの人々の助けなしに生き延びることはできません。にもかかわらず、医療や介護の現場に、それに従事する人々を感染から守るための物資が行き届いていない現状には心が痛みます。ビニール袋で仕切りや「防護服」を作り、フェイスガードも自作しなければならない状況下で、厳しい労働を続ける人々がいると聞きます。

それから、ゴミの収集など、生活環境の衛生状態を保つのに不可欠な仕事に従事している人々がいることも、忘れられてはなりません。もしそのような仕事が続けられなくなったら、住民全体の感染の危険が一気に高まることは言うまでもありません。このように、新種の、そして目に見えないウイルスにすべての人が曝された状況は、同時に人間が造った世界に、そしてそのなかの「ホーム」に住まう生存そのものが、住まいの外で働く多くの人々に支えられていることを露呈させました。しかも、この人々は今、相対的に大きな感染の危険に曝されています。さまざまな理由から、自分を護る住まいを持つことができない人々がいることも、忘れられてはならないはずです。

WHOは、新型コロナウイルス感染症が「パンデミック」化するなかで、「インフォデミック」の流行も世界的に拡がっていると指摘し、注意を呼びかけています。「インフォデミック」は、疫病が拡がるなかで、大量の、多くは根拠のない情報が氾濫するなか、パニック的な行動のようなかたちで、その影響が現実に表われることを指します。買い占めのような行動が、その典型的な症候ですが、スマートフォンなどの情報端末を介し、絶えずインターネット上の情報に接しているなか、世界中のほとんどすべての人がインフォデミックに巻き込まれていると言えるでしょう。そのような状況で、他者に対する攻撃性が剝き出しになっていることも、看過できないことです。

すでに欧米をはじめ世界各地で他者に対する攻撃性は、人種差別的なかたちで現われています。とくにアジア出身者が攻撃の対象になっていることには、胸が痛みます。それもさることながら、この列島においてとくに由々しいことと思われるのは、「何々人お断わり」のような外国人に対する差別的な言動が拡がりを見せ、さらには看護や介護の仕事に就いている人々や、運送の仕事に就いている人々のように、自分の生活を支えてくれている人々を、社会的に排除する攻撃的な言動が見られることです。どうしてこのような人々を深く傷つけるようなことができるのでしょう。そこには、防衛本能だけでは片づけられない、より根深い問題が表われているのではないでしょうか。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_この列島では、新たなウイルスに人々が曝されるなか、社会における差別と排除を可能にしてきた、ひいては関東大震災時に朝鮮人らの集団虐殺の要因でもあった他者観も、歴史的なものとして露呈しつつあります。それは、今なお列島に根を張っているのです。いわゆる「コロナ禍」は、「ニッポン」の地金を剝き出しにしたと言えるでしょう。そのことを前に、哲学者のテーオドア・W・アドルノが戦後に語った言葉を噛みしめる必要を感じています。「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってよいかもしれません。過去の出来事の原因が残り続けているからこそ、過去の呪縛は今日まで解かれることがなかったのです」(『自律への教育』中央公論新社、2011年、36頁)。

アドルノの友人ヴァルター・ベンヤミンの言葉を借りるなら、「歴史を逆なで」して捉え返し、「ニッポンジン」であることにこびりついたその地金を引き剝がずことなしには、「コロナ後」の社会はありえないとすら思えます。なぜなら、新種のウイルスに曝されるなかではっきりとしたのは、生存そのものが、幾重にも他者に依存していて、生き延びるためには助け合わなければならないという、それ自体としては当たり前の事実だからです。そして、「リモート」の仕事と「ステイ・ホーム」が、家の外で働く人々に依存しているとするならば、そのような人々の労働環境の安全と生活の保障こそが要求されなければならないはずです。にもかかわらず、そこへ攻撃性を振り向ける人々がいるのが現状です。

厄介なのは、関東大震災時の虐殺のときとまったく同様、攻撃的な行動がデマに対する脊髄反射と、それとともに高じるある種の「正義感」に起因していることです。「正義」を振りかざすところに正義はありません。そこに他者の排除のみがあることは、「正義の戦争」の歴史が物語っています。とはいえ見過ごしてはならないのは、「われわれの正義」を強く語ろうとする人々が、「戦争」の言説に容易に感染することです。権力者が発する「ウイルスとの戦い」のような空疎なスローガンに、いとも簡単に共鳴してしまうのです。何かとの「戦争」という言葉は、自己中心的な権力者の常套句です。それによって、権力の維持と利権の拡大のための行動に人々を動員し、「頑張る」という受忍を強いるのです。

この列島において、その「戦い」がある時点までは「オリンピック」なる巨大な「スポーツの祭典」を「予定通り」開催するためだったことも明らかになりつつあります。ちなみに、「コロナとの戦い」それ自体には勝ち目はありません。感染症の専門家が語っているように、最終的には、ウイルスとの居心地がよいとは言えない共棲の道を探るしかないでしょう。その条件を整えるために、「コロナ禍」に立ち向かうことは必要です。その際に直視しなければならないのは、この禍をその要因とともにもたらしているのが、現政権だということです。それが利権構造を「オリンピック」を実現させようとするほど拡大するのを、すでに七年にわたって許してしまいました。

WHOのテドロス事務局長がいわゆるパンデミック宣言を出したのが3月11日だったことは、この列島においては暗示的です。九年前のその日に起きた大震災とともに起きた福島第一原子力発電所の事故の後、水、土、そして空気の放射能汚染は止んでいません。現政権は、その危険から人間を含めた生きものたちを守るための施策には力を注ぐことなく、原発の再稼働を進めてきました。そのような、列島に暮らす者の安心立命ではなく、自分たちの利権を追求するやり方を糊塗するために、マスクの一件が象徴するように、杜撰な手口で「やってる感」を演出するわけです。しかも、利権のために。それに騙されて殺されることなく、ともに生き延びる道こそが探られなければならないはずです。

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力強い香りを放つジャスミン

ウイルスに等しく曝された、しかし感染の危険度において差異が生じてしまう状況を見据えながら、この列島でともに生き延びる道を探るためには、排他的な他者観を国民性と表裏一体のものとして形成した過程として、歴史を見つめ直すことがまず必要でしょう。それをつうじて、他者の生き方を想像する回路が開かれるはずです。そうして曝されてある弱さを労りあうことが、ともに生き延びることを可能にするのではないでしょうか。今は若葉を茂らせ、花を咲かせている生命の営みに目を凝らし、耳を澄ますことがその重要性に気づくきっかけになりうることを、ローザ・ルクセンブルクは、獄中から若い友人に語りかけていました。「鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです」。

Chronicle 2019

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周防大島の夕暮れ

広島でいつになく暖かい大晦日を迎えています。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。気候が穏やかなことは、年を追うごとに寒さに弱くなる身にはありがたいとはいえ、それを手放しで喜ぶ気にはなれません。これもやはり地球規模の気候変動の影響なのではないか、という思いを拭えないからです。

今年、温暖化に対する無為無策を力を込めて批判する国連でのグレタ・トゥンベリさんのスピーチが話題になりました。その言葉は、前へ進むことが、次世代の未来を閉ざすかたちで生存の環境を破壊することでしかないことを突きつけました。にもかかわらず、列島の人々は虚妄の未来に躍らされているままです。

まず求められているのは、立ち止まって足下を見つめ直すことでしょう。どのような歴史が積み重なった現在に生きているのかを考え、生き方を変えていくことでしか生存の道筋は開かれないでしょう。そして、いわゆる「負の歴史」も刻まれた近代の遺構と向き合うことは、そのきっかけになるはずです。

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旧陸軍被服支廠の窓

現在広島県は、県当局が管理する広島市南区の旧陸軍被服支廠倉庫の三棟のうち、二棟を解体するという方針を示そうとしています。その考えには、軍都にして被爆地であることが刻まれた広島にこそ求められる、歴史への真摯さに背反する重大な問題が含まれていると思われます。歴史的な建物を残し、活用する可能性へ向けて、市民を交えて知恵を絞るのが先ではないでしょうか。

禍々しいまでの威容を湛えて立ち並ぶ被服支廠の建物は、近代日本の戦争と植民地主義の記憶と、被爆の記憶を一つながらに伝えています。その軍服工場では、朝鮮人を含む人々が苛酷な労働を強いられました。また被爆直後には、重傷を負った多くの人々がその建物に運び込まれて命を落としています。

そのような被服支廠の建物を、死者の記憶に思いを馳せながら歴史的な現在を見つめ直し、さらに広島の記憶を他の場所の記憶と照らし合わせる場として再生させる可能性を提示する小文「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」を、若い人たちが立ち上げた「被服支廠キャンペーン」に応えて寄稿しました。ご覧いただけると幸いです。

それにしても、この一年ほど神話が消費されることによって、歴史の隠蔽が進んだ年もなかったでしょう。それによって演出された天皇の代替わりに対する「奉祝」ムードが、「オリンピック」への狂躁へと接続されるなか、幾重にも差別が組み込まれた「公」に同調する雰囲気が醸成されています。

この多幸症的な空気のなか、植民地支配下の強制労働も、人が被曝を強いられることも、生活をその原風景もろとも壊されるかたちで戦争に巻き込まれることも、現在の問題であり続けていることが、すっかり忘れられています。これらは今、日本列島に生きる人々の生を日々蝕んでいるにもかかわらず。

歴史の忘却と、前へ進むことへの幻想は表裏一体です。そこに「国民」を束ねるかたちで、現政権とその取り巻きは、人民のもの、すなわちres publicaを私物化しています。今や自分たちが犯したあらゆる不正と犯罪を隠蔽しながらメディアと官僚機構を操り、差別を問いただす表現を抑圧することが、「公」と化しつつあります。「未来」とは、この連中の利権の拡大という虚妄でしかありません。

そのような私物化のファシズムのために、天皇の代替わりの一連の行事まで利用された観すらあります。ただしそのことは、神話的な天皇制を拵えて、国民を支配の対象としながら、性急に帝国主義的な近代化を押し進めた、遅れて来た近代国家としての日本の無惨な成れの果てを示すものでもあると思われます。

日本列島ではこのような破滅的な地点にまで立ち至った近代の歴史的な過程に向き合い、それが進行する内部で、「進歩」が打ち捨ててきた歴史の残骸の一つひとつを拾い上げ、そこに沈澱した記憶から、近代の歴史を総体として捉え返す思考。その回路を探究していたのが、ヴァルター・ベンヤミンでした。

473158今年の9月20日には、二十世紀前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ベンヤミンの思考を、神話に抗いながら言語、芸術、歴史をその可能性において問う批評と捉え、その足跡を辿った小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、岩波新書の一冊として上梓することができました。

岩波新書編集部の中山永基さんはじめ、そのためにお力添えくださった方々に、この場を借りてあらためて感謝申し上げます。本書の内容については、このウェブサイトの別のページに少し詳しく記してありますのでご参照ください。すでにお手に取ってくださった多くのみなさまに心より感謝申し上げます。

本書は期せずして、ある意味ではベンヤミンが生きた時代よりも息苦しい闇のなかに送り出されることになりました。その闇のなかで、他者と、そして死者とともに生きる道を探る思考の歩みのお伴して、来年はさらに多くの方に読んでいただけたらと願っております。来年は、ベンヤミン没後80年の年です。

ちなみに、今年は彼の友人だったテーオドア・W・アドルノの没後50年の年でした。アドルノとベンヤミンの往復書簡を検討し、両者がファシズムに抗する美学の共同戦線を模索していたことを示したうえで、そのための両者の思考が、相異なった方向性を持つメディアを創る言葉の探究に結びついたことを描く論考「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」も年末に執筆しました。

こちらは岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」に、「新書余滴」として掲載されております。ご覧いただけると幸いです。今年こうして一冊の小さな本とそれに関連する論考を公にできたことは幸いでしたが、哲学と美学に関する自分の研究をさらに深めて公にする仕事は、充分だったとは言えません。

EHZb3NYUUAIgu_gベンヤミンの没後80年と被爆から75年の節目を迎える2020年は、拙著を丁寧に精読してくださっている方々がいることを胸に刻みながら研究にしっかりと取り組み、その成果をお伝えできるよう努めたいと思います。併せて、芸術に関わる仕事にも、力の及ぶ範囲で取り組んでいきたいと考えています。来年2月には早速、広島で細川俊夫さんのオペラ《松風》の公演があります。

今年も音楽と美術にまたがるかたちで、芸術に関する小文を公にする機会に恵まれました。それを設けてくださった方々に感謝申し上げます。とくに、広島交響楽団のディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethovenのプログラム・ノートを、連載のように執筆する機会をいただいたことは幸いでした。それによって、この二人の作曲家とその音楽について学ぶことができました。

今年一年のみなさまのご支援やご指導に心より感謝申し上げます。来たる2020年がみなさまにとって、少しでも幸多く平和な年であることを願っております。変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。

■Chronicle 2019

  • 2018年12月27日:神戸・ユダヤ文化研究会の雑誌『ナマール』第23号に、「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」と題する論文が掲載されました。パウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンの生涯の節目に、ないしは危機に彼の著作に描き出された天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討するものです。
  • 1月12日:フタバ図書MEGA祇園中筋店で「今、地域で生きる/暮らすということ」第2回として開催された森元斎さんのトークで聞き手を務めました。
  • 3月6日:佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の批評新聞『CALDRONS』に、「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷──やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する批評が掲載されました。2018年1月13日、『山谷──やられたらやりかえせ』の監督の一人山岡強一の命日に、この映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえ、後者を前者に対する応答と捉えるとともに、両者の対照を指摘し、佐藤零郎監督の劇映画『月夜釜合戦』の独特の特徴を浮き彫りにする映画評です。
  • 3月9日:東京文化会館小ホールで開催された演奏会「現代音楽と能〜くちづけ」のプログラムに、「閾(しきい)を開く声──青木涼子の謡の展開によせて」と題する小文が掲載されました。現代音楽と協働しながら彼岸と此岸の閾を開き、うたう可能性を開拓し続けている青木さんの活動を、パリでの細川俊夫さんの《二人静》の初演のことを含めて伝える内容のものです。
  • 3月21日:神戸大学で開催された第14回形象論研究会で、クリストフ・メンケの美学について研究報告を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学I、社会文化思想史II、専門演習I、卒論演習I、そして多文化共生入門と国際研究入門の一部を担当しました。多文化共生入門ではコーディネーターも務めました。全学共通系科目の世界の文学の2コマと平和と人権Aの1コマも担当しました。大学院では、全研究科共通科目の人間論A、国際学研究科の現代思想Iを担当しました。広島大学の教養科目である戦争と平和に関する学際的考察でも、2コマの講義を担当しました。
  • 4月6日:国際交流基金のウェブ・マガジン『をちこち』に寄稿した「魂の息吹が交響する場を開く作品の予感 ──2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント「越境する魂の邂逅」における文学と音楽の共鳴に接して」と題するエッセイの英語訳“Premonitions of Works Where Souls Reverberate”が、同ウェブ・マガジンに掲載されました。
  • 4月14日:本願寺の聞法会館で開催された公開シンポジウム「『戦争/暴力』と人間 ──美術と音楽が伝えるもの」第2回「総力戦体制下の芸術」で、司会とコメンテイターを務めました。
  • 5月17日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第1回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 6月1日〜11日:Erasmus Plusにもとづくハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と広島市立大学の交流事業に参加しました。ハノーファー専科大学の第V学部で二つの講義を行ない、同学部などに属する教員との交流を深めました。
  • 6月15日:批評誌Mercure des Artsに、「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題する批評が掲載されました。2019年6月1日から11日にかけてハノーファーとベルリンに出張した際に接したオペラの公演と演奏会の批評で、6月5日にブラウンシュヴァイク州立劇場で観たミェチスワフ・ヴァインベルグのオペラ《女船客》の公演の批評を、作品の紹介を交えて記したほか、6月8日のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会におけるマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の批評を、彼女のピアニズムと教育活動に論及するかたちで記しました。
  • 6月17日:JMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラ・音楽推進委員会主催の演奏会Hiroshima Happy New Ear XXVII:次世代の作曲家たちVIの終演後のトークで進行役を務めました。
  • 7月19日:「本とうつわの小さな店」READAN DEATで開催された瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントで、瀬尾さんと対談しました。
  • 9月12日:武生国際音楽祭の武生国際作曲ワークショップにて、「芸術のなかの批評──ヴァルター・ベンヤミンの美学を手がかりに」と題するレクチャーを行ないました。ベンヤミンのロマン主義論とバロック悲劇論、そして「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の議論が、批評を組み込んだ芸術の姿を提示していることを示し、作曲家がみずからの方法論を歴史的文脈のなかで反省することの重要性を問いかけました。
  • 9月18日:立命館大学衣笠キャンパスで開催されたジェノサイドと奴隷制を考えるブレイン・ストーミングで「M・ヴァインベルグとその《女船客》」と題するレクチャーを行ないました。ヴァインベルグの生涯と音楽、そしてそのオペラ《女船客》を紹介しました。
  • 9月20日:岩波新書の一冊として『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓しました。最新の研究にもとづくヴァルター・ベンヤミンの思想への入門書となる評伝です。時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取るベンヤミンの思考を批評と特徴づけながら、それが言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うていることを浮き彫りにしました。戦争とファシズムの時代を生きたベンヤミンの足跡から彼の言語哲学、美学、歴史哲学を描き出し、著作への入り口を示す一書で、略年譜と主要参考文献一覧も付されています。
  • 9月28日:ひろしまオペラルネッサンス2019年度公演モーツァルト《魔笛》プログラムに、プログラム・ノート「『人間』を問う特異な歌芝居(ジングシュピール)──モーツアルトの《魔笛》によせて」が掲載されました。作品成立の背景とともに、これが「歌芝居(ジングシュピール)」として書かれていることを踏まえながら、《魔笛》という作品において自由な人間の尊厳が歌い上げられる一方で、「人間」と認められていない者の側から「人間」であること自体への問いが今に鋭く突きつけられていることを指摘するものです。
  • 10月〜2019年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学II、社会文化思想史I、卒論演習IIを担当しています。全学共通系科目として、哲学Bも担当しています。これに加え、広島大学の教養科目哲学Aを担当しました。
  • 10月1日:日本社会文学会の会報『社会文学通信』に、「岩崎稔氏の基調講演印象記」が掲載されました。6月30日に早稲田大学で開催された日本社会文学会2019年度春季大会のシンポジウム「歴史学と文学──言語論的転回以後を考える」で岩崎稔さんが基調講演を行ないましたが、ヘイドン・ホワイトの『メタ・ヒストリー』とそれ以後の彼の理論の展開に定位しつつ、修辞学の伝統を重視するホワイトの議論の可能性を、出来事を語る可能性へ向けて掘り下げる講演の趣旨を紹介したものです。
  • 10月4日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第2回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 10月12日:小山市立車屋美術館での呉夏枝さんの個展「手にたくす、糸へたくす」のカタログに、「記憶の多島海へ──呉夏枝のほぐす芸術によせて」と題する評論が掲載されました。作家の芸術の歩みを、記憶の越境的な継承の可能性へ向けて論じるものです。
  • 10月15日:批評誌Mercure des Artsに、「30回目の武生国際音楽祭に参加して」が掲載されました。今年30回目を迎えた武生国際音楽祭にゲスト講師として参加しての報告です。9月の音楽祭で新たな音楽が生まれた様子を伝えると同時に、音楽家が出会い、世界的な音楽創造の芽が育まれる場として続いてきた武生国際音楽祭の意義にも触れました。
  • 10月22日:8・6ヒロシマ大行動実行委員会が主催した拡声器規制問題に関する第2回公開討論会(広島市東区民文化センター)にパネリストの一人として参加しました。平和祈念式典のあり方を、市民自身がどのように考えるか、という問いを広く共有することが必要であることなどを論じました。
  • 11月2日:広島市立大学広島平和研究所の直野章子さんが主催したシンポジウム「記憶の存在論と歴史の地平」に、ディスカッサントとして参加し、「記憶から歴史を問う──想起の経験から歴史の地平を開くために」と題する問題提起を行ないました。
  • 11月15日:中国文芸研究会の主催によりハナワインで開催された拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』の合評会に参加しました。
  • 11月19日:NHK交響楽団のウェブサイトに、「エルネスト・ブロッホとその音楽のユダヤ的要素」と題した小文が掲載されました。ブロッホのヘブライ狂詩曲《ソロモン/シェロモ》をはじめ、彼の「ユダヤ連作 Jewish Cycle」を中心に、彼の音楽のユダヤ的な要素を焦点とした小伝です。
  • 12月5日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第3回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 12月22日:福岡のブックカフェ本のあるところajiroにて、「ベンヤミンを読み始めるために──『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を入り口に」と題するトークを行ないました。ベンヤミンがどのような時代に生き、またそのなかでどのような問いに取り組んだかを、拙著『ヴァルター・ベンヤミン』に沿ってお話ししました。
  • 12月23日:被服支廠キャンペーンのnoteに、「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」と題する小文を寄稿しました。被服支廠の建物の一角で繰り広げられた被爆死の光景を描く峠三吉の「倉庫の記録」を読み直したうえで、総力戦と被爆の記憶を一つながらに伝えるこの赤煉瓦の建物を、戦争と核開発の歴史に立ち向かう想起の文化が創られる空間として再生させる可能性を探る文章です。
  • 12月29日:岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」の連載「新書余滴」として、「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」と題する論考を寄稿しました。拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』のとくに後半部の補遺として、ベンヤミンとアドルノの1930年代後半の往復書簡を読み解き、その思想の相即と背馳を検討しました。

小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します

473158このたび岩波新書の一冊として、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します。19世紀末のベルリンに生を享け、20世紀の前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892〜1940年)の批評としての思考の歩みを、その生涯とともに描き出そうとする一書です。これを80年を超える伝統のある新書の一冊として世に送る機会をいただいたことを、身に余る光栄と感じております。ベンヤミンという名前が気になる人にとっても、あるいはその名を初めて聞く人にとっても、この思想家が二つの世界大戦とファシズムの時代にどのような現実と向き合っていたのか、またそのなかで何を問うていたのかが伝わるように書いたつもりです。この文字通りの小著をつうじて、ベンヤミンという人物と、言語、芸術、歴史の本質に迫る彼の思考に興味を持っていただけたら幸いです。

副題は「闇を歩く批評」としました。そこに含まれる言葉がどこから来ているかは、本書の前半をお読みいただければお判りになるかと思いますが、基本的にはベンヤミンの思考を、批評として浮き彫りにしようという意図を込めて、そのような副題を付けた次第です。ベンヤミンの思考は、彼が生きた時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取っていました。それは「分かつ」ことを意味するギリシア語の語源(クリネイン)に照らしても、批評(クリティーク)だったと言えます。しかも、こうして言わば存亡の危機のただなかに活路を見いだそうとするなかで、彼の思考は、言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うています。本書では、そのような哲学的な思考が、具体的な文学作品などの批評をつうじて展開されていることにも迫ろうとしました。

こうしてベンヤミンの徹底的な思考の足跡を辿るとは、言うまでもなく同時に、彼が生きた時代を、彼をめぐる人間関係とともに浮かび上がらせることでもあります。ベンヤミン自身が戦地へ赴くことはなかったとはいえ、第一次世界大戦は、彼のなかに深い傷を残すと同時に、経験される現実の崩壊を突きつける出来事でもありました。また、ファシズムの台頭は、ユダヤ人の彼に亡命を強いることになりますが、これはやがて第二次世界大戦として現実となる、人間が自分自身の技術によって、みずからの滅亡を可能にしてしまう状況を用意するものと、彼には映っていました。そのような苛酷な時代に生きることを支えたのが、ゲルショム・ショーレムやハンナ・アーレント、あるいはテーオドア・W・アドルノといった友人たちとの交流でした。本書にはこれらの友人に宛てたベンヤミンの書簡も、著作とともに引用されています。

友人からの音信を支えとしながら、ベンヤミンは、時代の闇のなかを歩み抜こうとしました。彼は絶望的にも見える状況の内部に、生存の道筋を見いだそうとしたのです。このことは亡命期の彼の生きざまにも色濃く表われていますが、何よりも彼の抵抗としての思考の姿にはっきりと示されています。ベンヤミンの思考は、絶えず歴史と対峙しながら、そのなかに息を通わせる余地を切り開こうとしたのです。そのことは具体的には、けっして何かの道具として使われることのないかたちで言葉を、芸術を、そして歴史を生きる道筋を探るところに表われていると考えられます。本書では、このような思考の足跡を、アーレントがベンヤミン論を含む人物論集の表題として語った「闇の時代」の生涯のなかに浮き彫りにすることを試みました。「闇を歩く批評」という副題には、そのことも込められています。

さて、このようにして闇を歩いた思考の足跡を辿るとは、いくつもの点でベンヤミンの時代よりも深まった現代の闇を内側から照らし、ますます息苦しい社会を生き抜くための問いを立てる手がかりを、彼が残した言葉のなかに探ることであるはずです。それは、ベンヤミンの批評の書を読むことにほかなりません。本書は、そのための入り口として書かれています。彼の著述の引用を交えた叙述と、巻末に付した読書案内を兼ねた参考文献一覧を手がかりに、ベンヤミンの著作や書簡に触れていただけるとするなら、著者にとってこれ以上の幸いはありません。以下に本書の目次を掲げますので、参考にしていただけたらありがたいです。「インテルメッツォ」としてアーレント、それからパウル・クレーの絵画芸術とベンヤミンの関係に触れたコラムも設けました。写真もできるだけ多く収録しました。

本書は、2014年に上梓した『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)に込められた研究、2018年7月に刊行された『思想』誌(岩波書店)のベンヤミン特集に寄稿した論文に至る、歴史哲学についての研究、さらには並行して続けてきた美学についての研究と各地での調査を基に、今問いを喚起しうるベンヤミン像を描き出そうと試みるものです。ベンヤミンを主題とした新書としては、1991年に刊行された高橋順一さんの『ヴァルター・ベンヤミン──近代の星座』(講談社現代新書)以来の一冊となります。これとは異なったアプローチでベンヤミンの思考の内実に迫ろうとする小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、お手に取っていただけたら嬉しいです。本書は、ベンヤミンの79回目の命日の一週間ほど前に当たる2019年9月20日に発売されます。

■『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』目次

プロローグ──批評とその分身

  • 第一節 せむしの小人とともに
  • 第二節 天使という分身

第一章 青春の形而上学──ベルリンの幼年時代と青年運動期の思想形成

  • 第一節 世紀転換期のベルリンでの幼年時代
  • 第二節 独自の思想の胎動
  • 第三節 「青春の形而上学」が開く思考の原風景
  • 第四節 友人の死を心に刻んで

インテルメッツォⅠ クレーとベンヤミン

第二章 翻訳としての言語──ベンヤミンの言語哲学

  • 第一節 言語は手段ではない
  • 第二節 言語とは名である──「言語一般および人間の言語について」
  • 第三節 翻訳としての言語
  • 第四節 方法としての翻訳──「翻訳者の課題」

第三章 批評の理論とその展開──ロマン主義論からバロック悲劇論へ

  • 第一節 芸術批評の理念へ──『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』
  • 第二節 神話的暴力の批判──「暴力批判論」
  • 第三節 文芸批評の原像──「ゲーテの『親和力』」
  • 第四節 バロック悲劇という根源──『ドイツ悲劇の根源』

第四章 芸術の転換──ベンヤミンの美学

  • 第一節 人間の解体と人類の生成──『一方通行』と「シュルレアリスム」
  • 第二節 アレゴリーの美学──バロック悲劇からボードレールへ
  • 第三節 知覚の変化と芸術の転換──「技術的複製可能性の時代の芸術作品」
  • 第四節 中断の美学──ブレヒトとの交友

インテルメッツォⅡ アーレントとベンヤミン

第五章 歴史の反転──ベンヤミンの歴史哲学

  • 第一節 近代の根源へ──『パサージュ論』の構想
  • 第二節 経験の破産から──「フランツ・カフカ」と「物語作家」
  • 第三節 想起と覚醒──『パサージュ論』の方法
  • 第四節 破壊と救出──「歴史の概念について」

エピローグ──瓦礫を縫う道へ

  • 第一節 ベンヤミンの死
  • 第二節 瓦礫を縫う道を切り開く批評
  • 第三節 哲学としての批評

ヴァルター・ベンヤミン略年譜

主要参考文献一覧

あとがき

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武生国際音楽祭2018に参加して

41992189_2070441386341556_3393495407651717120_o第29回目を迎えた武生国際音楽祭に、国際作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただきました。9月11日に一度家族で武生へ行って、ブラームスの作品を中心とした演奏会を堪能した後、翌日いったん広島へ帰り、もう一度13日に武生に入って、16日の音楽祭最終日まで、数多くの演奏会とレクチャーに接することができました。作曲ワークショップではレクチャーを持たせていただきましたが、それをつうじてむしろ私のほうが多くを学ばせていただきました。このような機会を設けてくださった武生国際音楽祭の音楽監督の細川俊夫さん、コンサート・プロデューサーの伊藤恵さん、そして理事長の笠原章さんをはじめとする武生国際音楽祭推進会議のみなさまに、まずは心から感謝申し上げます。本当にお世話になりました。

9月11日から国際作曲ワークショップのレクチャーに参加させていただいて、電子音楽の作曲法など多くを学ぶことができました。13日の作曲ワークショップでは、「〈こだま〉の変容──〈こだま〉としての〈うた〉へ」というテーマのレクチャーを持たせていただきました。「かたる」ことと「うたう」ことのつながりを踏まえつつ、「こだま」の概念を手がかりに、現代において「うたう」余地を探る視点を提示するないようのものです。アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉と、それに応答したツェランの詩を取り上げつつ、この詩に言われる「まだ歌える歌」を、音楽言語を含む言語の震撼──ベンヤミンの「こだま」のイメージは、「こだまする」ことにこの震撼を見る視点をもたらします──の先に探る拙い講演に対しては、多くの貴重なコメントや質問をいただきました。

この国際作曲ワークショップとともに、それに連動するかたちで、ゲストとして招聘されている作曲家の作品を中心とした演奏会「新しい地平」が開催されるのが、武生国際音楽祭の重要な特徴をなしています。ワークショップに参加している作曲家たちが刺激を得る機会であると同時に、一般の聴衆に同時代の音楽の息吹を伝える機会として、この音楽祭の柱の一つになっていると言ってよいでしょう。今年の「新しい地平」の枠で演奏された、ないしは世界初演された作品はいずれも完成度の高いもので、聴き応えがありました。「新しい地平I」で演奏された三浦則子さんの《アニトヤ》では、繊細な響きがしばし漂った後、旋回しながら虚空へ消えていく過程が美しく、サンスクリット語で「無常」を意味する表題にも相応しかったです。同じ演奏会で取り上げられたチャールズ・クォンさんの《風が自らを探し求めるかのように》における、風を孕み、かつ間を含んだ息の旋回を感じさせる音楽の運動も面白く聴きました。

「新しい地平II」では、坂田直樹さんと神山奈々さんの新作がとくに印象的でした。坂田さんの《胞子》には、ベルクソンのいう「生命の躍動」を伴った有機物の生成が、特殊奏法を巧みに織り交ぜながらダイナミックに表現されていましたし、神山さんの《線香花火》からは、人の行き交う風景のなかに、鮮やかさと儚さの双方を含んだ光の明滅が感じられました。「新しい地平III」では、5月に広島で聴いた細川俊夫さんの《三つの愛の歌》のほか、ベッティーナ・スクリプチャクさんの《ダフネの歌》など感銘深い作品が続きました。とくにこのピアノ独奏のための曲では、モティーフの緊密な展開が精妙な変化を生んでいるのが印象的でした。ひたすら耳を澄ますことでルイジ・ノーノを偲ぶ思いを深めていくクラウス・フーバーの《嘆き》を、マリオ・カーロリさんの素晴らしい演奏で聴けたのも貴重でした。

今回の音楽祭では、この《嘆き》とともに、昨年亡くなったフーバーの笙と打楽器のための《黒い嘆き》の実演に接することができたのが貴重でした。宮田まゆみさんの笙に葛西友子さんの打楽器という、望みうる最高の組み合わせでこの作品を聴けたのは本当に幸運でした。広島の被爆から半世紀の節目に当たる1995年の秋吉台での初演を念頭に細川さんがフライブルクでの師に委嘱したこの作品は、井伏鱒二の『黒い雨』からの抜粋と『万葉集』から選ばれた歌を、笙と、瓦を含む打楽器との静かな対話のなかで朗読し、これらのテクストの内実に迫ろうとしています。被爆するとはどういうことか、という問いに向き合いながら、言語を絶する出来事に遭って苦悩する魂に静かに思いを馳せ、その言葉を刻んでいく過程に耳を澄ますなかで、時空を越えた魂の邂逅の場を開く音楽の力をあらためて感じました。折々に《黒い嘆き》が再演されることを願ってやみません。

この音楽祭の恒例となっている「細川俊夫と仲間たち」では、まず細川さんの《レテ(忘却)の水》の実演に接することができたのが、個人的に嬉しかったです。弦楽が織りなす柔らかな響きの層が徐々に撓んで、そこからおのずと激しい、忘れようとしても忘れられないことへの苦悩を感じさせる展開が生まれてくるのが、とくに印象に残りました。ピアノの強い打ち込みが開く深淵の上で明滅するモティーフも美しかったです。オペラ《海、静かな海》とも関連の深い作品とのことです。この演奏会では、ベッティーナ・スクリプチャクさんの《裂け目》の実演にも触れることができました。モティーフの緊密な展開が、響きの多次元的な運動に見事に結びついた作品と感じました。

とはいえ、今回は何と言ってもヨハネス・マリア・シュタウトさんの四つの作品を聴くことができたのが大きな収穫でした。洗練された、かつ独特の強度を示す響きが精妙に変化していくのがとくに印象的で、室内楽作品の静かな部分は、無類の繊細さを示していたと思われます。《透かし模様》や《シドナム・ミュージック》のような作品が、ブラームスのクラリネット三重奏曲やドビュッシーのフルートとヴィオラとハープのためのソナタを意識しているというように、音楽の伝統をその精神において受け継ぎながら、オリジナリティの高い響きを、鮮やかなリズムの展開とともに実現させたシュタウトさんの音楽が、これからどのように展開していくのか、楽しみになりました。

伊藤恵さんのプロデュースによる、ブラームスの音楽の系譜を照らし出す室内楽や歌曲の演奏会も、非常に充実していました。まず、9月11日の「セルゲ・ツィンマーマン&伊藤恵リサイタル」が感銘深かったです。今回ツィンマーマンは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全三曲のうち、第2番と第3番を演奏しましたが、いずれの曲でも、きわめて繊細な歌のなかから、深い情感と凛とした曲の形が浮かび上がってきました。万全の体調ではなかったとのことですが、持ち前の美音に徐々に熱がこもってくる演奏には、強い説得力がありました。これに続くピアノ五重奏曲の演奏では、若い弦楽器奏者たちがツィンマーマンに触発されて、実に繊細な表現を示していました。それによって、この作品のテクスチュアが最大限に生かされていたと思います。振幅の大きな表現のなかで、歌の陰翳とリズムの躍動の双方が生きていました。そして、これらのすべてを、しっかりとした歩みのなかで連綿と歌い継いでいく伊藤恵さんのピアノが支えていました。

13日の夜のシューマンとブラームスの室内楽を中心とする演奏会も、濃密な内容でした。最後に演奏されたブラームスのクラリネット五重奏曲で、上田希さんのクラリネットが振幅の大きな表現を示していたのがとくに印象的でした。とくに緩徐楽章の中間のあたりで、翳りを帯びた歌が、深沈とした響きのなかから心のなかで叫ぶように立ち上がってくる瞬間には心を打たれました。シューマンのピアノ五重奏曲では、こちらも緩徐楽章でのヴィオラの情熱的な歌が素晴らしかったです。イレー・スーさんがシューマンの《ミルテの花》と《リーダークライス》からの合計9曲を歌いましたが、湧き上がる感情と深い息遣いが自然に一つとなった歌唱は、本当に魅力的でした。

15日夜の「ウィーン音楽の伝統」では、まず赤坂智子さんのヴィオラでリゲティの無伴奏ソナタの抜粋を聴けたのが嬉しかったです。彼女の鋭敏な感性によるアプローチのおかげで、ディアスポラとしてのリゲティの郷愁と屈折が陰翳豊かに表現されていました。この曲に彼の音楽が凝縮されているという思いを新たにしました。続くリヒャルト・シュトラウスの《四つの最後の歌》におけるイレー・スーさんの歌唱は、風景のなかでこれまでの過ぎ来し方を噛みしめながら「生きた」ことに然りと言う歌の豊かさを、温かい息遣いで届けてくれました。北村朋幹さんの繊細なピアノによって、歌の美しさがいっそう際立っていたと思います。この夜の最後に演奏されたブラームスの弦楽六重奏曲第2番では、若い音楽家の素晴らしい技量と感性がこの作品に込められた作曲家の情熱を、新鮮に表現していました。スケルツォの楽章で聴かれる迸るような熱情とリズムの躍動もさることながら、とくに両端楽章の第二主題の繊細な歌とそれを支える響きは、この作品の魅力を再発見させてくれるものでした。

16日ののファイナル・コンサートは、時宗と天台宗の声明が響いた後、リゲティの《マカーブルの秘密の儀式》という瀆神的な黙示録が奏でられ、最後にブラームスのドイツ・レクイエムが演奏されるという、浮き沈みの激しい、そして幾重もの意味で挑戦的なプログラムでした。リゲティの作品では、今年もイェルーン・ベルワルツさんの素晴らしいトランペットを聴くことができました。ブラームスのレクイエムでは、金井勇さんの編曲が、作品の特徴を巧みに生かしていたのが印象的でした。イレー・スーさんの豊かな歌と合唱の力演にも感銘を受けました。今年の武生国際音楽祭に寄せられた作品とその演奏は、今までにない高い水準を示していたのではないでしょうか。ここが今まさに生まれつつある音楽の中心の一つだという思いを新たにしました。このことが広く認知されて、来年30回の節目を迎えるこの音楽祭に、さらに多くの人々が集まることを願っています。

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Chronicle 2017

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ある秋の日の夕暮れの太田川放水路

例年よりもいくぶん寒さの厳しい年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。広島はここへ来て曇りがちになってきました。そのぶん冷え込みは、気温のうえでは和らいでいますが、湿気のせいでむしろ寒く感じます。昨年は在外研究で滞在していたベルリンで年の瀬を迎えていたわけですが、たしかその頃は、日中も気温が零度を下回るくらい寒さが厳しかったと思います。しかし、空気が乾燥しているせいか、滲みるような寒さは感じませんでした。そのような気候のなか、ベルリンでは淡々と日々を過ごしていたことが思い出されます。大晦日が半分休日で、元旦が休日になる以外にはとくに休みのないドイツに、日本の年末のような慌ただしさはありません。ただし、当然ながら大晦日の夜だけは別で、元旦にさしかかった夜半過ぎまで、周りじゅうで打ち上げ花火の音が、ほとんど戦場のように轟いていました。

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10月に訪れた三段峡にて

ようやく年内までの仕事に目処をつけて、なかなか読めずにいた本のページを繰っていると、そのようなことが少し懐かしく思い起こされます。今年の2月上旬にベルリンでの10か月ほどの研究滞在を終えて帰国し、広島での仕事に戻ったわけですが、それから10か月以上が経ってもなお、日常生活のペースになかなか適応できずにいます。その要因として、在外研究後の多くの例に漏れず、4月に新しい学期が始まってからというもの、大学でさまざまな仕事を背負うことになって、それが非常に忙しいということも、もちろんあるにはあります。しかし、それ以上に自分が身を置いている環境、さらにはこの国の息苦しさが、今に至る「不適応」の最も大きな原因でしょう。たまに中国山地の峡谷などへ出かけたりすると、今まで感じたことのない解放感を感じることもあります。そうした自然の美しい場所に比較的容易く行けるのが、広島のよいところでしょうか。

それでも何とか日々の仕事をこなしているわけですが、やはり精神的にはストレスが溜まります。とはいえ、息苦しさを醸し出している仕組みにだけは、絶対に適応するまいと思っています。なぜなら、今この列島の人々を──私が身を置いている大学のいわゆる「改革」を含めて──「前へ」動かしている現在の仕組みが、幾重もの不正を覆い隠すことによって仕組まれたものであることは、少し目を開いて気骨あるジャーナリストなどが綴った文章を辿れば、歴然としているからです。何よりも許しがたいのは、権力者が不正を積み重ねて不正義を構造化していく過程で、現在の社会的関係のなかで弱い立場にある人々が被った、各人の尊厳を踏みにじる暴力が、暴力として裁かれていないことです。こうした問題に対して実質的に何もできないことは歯痒いですし、問題を質す言論が不可視の力によって抑圧されているのには、本当に胸が詰まる思いです。

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晩秋に訪れたパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにて

その一方で、選挙の結果などが示すように、不正を重ねた上で不正義を蔓延させる現在の仕組みに、人々がみずから、しかも「みなと同じように」しがみつこうとしているのも確かでしょう。秋にたまたま訪れた東京の美術館のやや混み合った展示室の内部で、観覧者が「自発的に」整然とした行列を作っているのを目の当たりにしたときには、言いようのない気味の悪さを覚えました。このような行動こそが、自分たちとは異質に見える少数者を排除しながら、社会をみずから息苦しいものにしているのではないでしょうか。それにけっして同化することのない自由が、少数者を含めた他者とともに生きることと結びつく回路を、学生を含めた若い人たちが、自分自身の生き方として考えるきっかけを伝えることが、教育に携わる者として課せられた仕事ではないかと考えていますが、その仕事もけっして容易ではありません。

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第28回武生国際音楽祭flyer

このような息詰まる社会生活から一歩離れて息をつき、思考をほぐすひと時を与えてくれたのが、音楽をはじめとする芸術でした。すでにここでもお伝えしてきたように、細川俊夫さんの室内オペラ《二人静》のパリでの世界初演やオラトリオ《星のない夜》のベルリンでの演奏、国内での重要な演奏会の数々、さらには魅力的な展覧会などに接することができたことは、けっして忘れられません。自分が芸術によって生かされていることを、これほど強く感じた一年はなかったと思います。それにどれほどお応えできたかは、はなはだ心許ないものがありますが、今年は芸術に関わる講演や執筆の仕事を、これまでになく多くいただきました。春には詩と美術、秋には詩と音楽について講演させていただく機会を得て、多くを学ぶことができました。初秋に武生国際音楽祭に参加させていただき、アーティストたちと身近に接して話すなかでも、多くの刺激を得ることができました。

324513今年は、このような芸術の関わりが、哲学するうえでも重要な位置を占めつつあるという感触を深めました。それはすでに公にしたエッセイや、来春にお届けする論文などにも表われていることでしょう。その一方で、2月までの在外研究の成果を含め、歴史哲学に関する研究の成果をまとめるという仕事は、来年に持ち越すことになりました。今年は、ベンヤミンの歴史哲学を検討した論文を、ドイツ語で書かれたものを含めて二篇公刊することができましたが、本当はもう一歩先へ仕事を進めておきたかったところです。それ以外に、事典の大項目というかたちで「哲学者」としてのベンヤミンの姿をお伝えする機会にも恵まれました。年が明けたらすぐに新しい仕事に取り組まなければなりませんし、1月から2月にかけては、細川俊夫さんのオペラ《班女》の広島での再演と、オペラ《松風》の日本初演をほんの少しお手伝いすることにもなっています。再び美術に関わる機会もいただいております。来たる年も、変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。みなさまがお健やかに幸せに満ちた年を迎えられることを念じております。

■Chronicle 2017

  • 1月10日:原爆の図丸木美術館の『原爆の図丸木美術館ニュース』128号に、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」と題する記事が掲載されました。ミュンヒェンのHaus der Kunst(芸術の家)におけるPostwar展の第一室に、丸木夫妻の《原爆の図》より第2部《火》と第6部《原子野》が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評したエッセイです。
  • 2月10日:広島市立大学の学外長期研修によるベルリンでの研究滞在を終えて帰国しました。
  • 2月14日〜23日:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学II」と全学共通系科目「哲学B」の集中講義を行ないました。
  • 3月4日:駿河台のEspace Biblioにて、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念してのトーク・ショーの進行役を務めました。リコーダー奏者の鈴木俊哉さんに、細川俊夫さんの作品などの演奏も披露していただいて、充実した内容の会となりました。
  • 3月10日:形象論研究会の雑誌『形象』第2号に、論文「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」、展覧会などの報告「パリでのパウル・クレー展『作品におけるイロニー』と国際コロック『パウル・クレー──新たな視点』に接して」、高安啓介さんの『近代デザインの美学』(みすず書房、2015年)の書評「内発的な構成としてのデザインの美学へ」が掲載されました。拙論「形象における歴史」は、ベンヤミンの歴史哲学が、形象を媒体として構成される歴史を構想していたことに着目し、その理論を検討するとともに、それを「記憶の芸術」の美的経験を組み込んだ歴史の構想に接続させる内容のものです。
  • 3月11日:成蹊大学で同大学のアジア太平洋研究センターの主催で開催されたシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」のパネリストを務め、「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という表題の報告を行ないました。『怪物君』を含む最近のものを含めた吉増剛造さんの詩作を、原民喜とパウル・ツェランの詩作との布置において検討し、破局の後の詩ならびに言葉の可能性を、「うた」という観点から問う内容のものです。シンポジウムでは、吉増さんの詩作の初期から『怪物君』にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。
  • 3月25日:図書新聞の第3297号に、竹峰義和さんの著書『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」が掲載されました。アドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する破壊的ですらある読み替えが、思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。
  • 4月1日:日本哲学会の欧文機関誌“Tetsugaku: International Journal of the Philosophical Association of Japan, Vol. 1”に、ドイツ語の論文„Geschichte aus dem Eingedenken: Walter Benjamins Geschichtsphilosophie“(「想起からの歴史──ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学」)が掲載されました。拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の終章に描き出した「想起」から歴史そのものを捉え返すというベンヤミンの着想を、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版(Kritische Ausgabe)の読解を軸にさらに掘り下げながら、彼の歴史哲学とは何か、という問題にあらためて取り組んでみました。想起の経験を検討する際に、「歴史の主体」という問題やその死者との関係にも論及しています。
  • 4月〜7月:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学I」、「社会文化思想史II」、「発展演習I」、「専門演習I」、「卒論演習I」、「多文化共生入門」の一部、全学共通系科目の「世界の文学」、「平和と人権A」の一部、そして大学院全研究科共通科目「人間論A」を担当しました。広島大学の教養科目「戦争と平和に関する学際的考察」2回の講義も担当しました。
  • 4月29日:広島市現代美術館の特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連した講演「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」を同美術館のスタジオにて行ないました。殿敷侃の芸術を一貫した逆流の芸術として捉えるとともに、同時代の芸術などと照らし合わせることによって、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして見直す可能性を探る内容のものです。
  • 5月15日:松山大学の黒田晴之さんが招聘された現代クレズマーを象徴するミュージシャン、フランク・ロンドンによる特別講義、ロンドンとジンタらムータの共演によるミニ・ライヴを、広島市立大学国際学部の授業の一環として企画しました。両方に多くの一般の方々にお越しいただき、盛況のうちに終えることができました。
  • 5月20日:原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。
  • 5月25日:東京オペラシティ文化財団主催の同時代音楽企画「コンポージアム2017」のプログラムに、「ヘルダーリンの詩と音楽」と題するエッセイが掲載されました。今年のコンポージアムで日本初演されたハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のものです。アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に光を当てようと試みました。
  • 6月16日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催でJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第23回演奏会「次世代の作曲家V」のアフター・トークの進行役を務めました。この演奏会では、細川俊夫さんの《旅IX──目覚め》が日本初演された他、川上統さんと金井勇さんのヒロシマに寄せた新作が世界初演されました。
  • 7月25日:広島市立大学の「市大から世界へ」グローバル人材育成講演会として開催された、ハンブルク・ドイツ劇場の原サチコさんの講演「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」の際に、講師の紹介役を務めました。
  • 9月2日:広島市東区民文化センタースタジオにて行なわれた第七劇場のイプセン「人形の家」の公演のポストパフォーマンス・トークにて、同劇団の主宰者鳴海康平さんと対談しました。
  • 9月11日:大阪大学大学院文学研究科の美学研究室の主催で大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にてパネリストを務めました。「演劇の批判と擁護」と題する講演を行なったフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんの仕事に応答するかたちで、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」という報告を行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』におけるヴァーグナーの「総合芸術作品」が資本主義社会の「幻像(ファンタスマゴリー)」と化してしまうという議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制の問題にも論及したうえで、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》を、従来のオペラが表象してきた「人間」の像からはみ出す人間の深淵にある力を響かせるオペラとして論じる内容の報告です。 シンポジウムの内容は、来春刊行の雑誌『a+a美学研究』(大阪大学大学院文学研究科美学研究室編)で紹介される予定です。
  • 9月14日:作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただいた第28回武生国際音楽祭にて、「嘆きの変容──〈うた〉の美学のために」という表題の講演をさせていただきました。困難な世界のなか、他者とのあいだで、そして死者とともに生きることを悲しみとともにわが身に引き受ける嘆きを掘り下げ、その嘆きを響かせるという観点から、〈うたう〉ことを、さらに言えば〈うた〉の出来事を、文学と音楽を往還するかたちで考察する内容のものです。
  • 9月19日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Earの第24回演奏会「若き巨匠イェルーン・ベルワルツ──トランペットの世界」にて、アフター・トークの進行役を務めました。今回の演奏会では、細川俊夫さんのトランペット協奏曲にもとづく《霧のなかで》や、ジェルジュ・リゲティの《マカーブルの秘密》などが演奏されました。
  • 9月30日:9月30日と10月1日にJMSアステールプラザの大ホールで開催された、ひろしまオペラルネッサンス2017年度公演《コジ・ファン・トゥッテ》(モーツァルト作曲)のプログラムに、プログラム・ノート「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」が掲載されました。モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、後期のモーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることを、作品の特徴を紹介しつつ浮き彫りにする内容のものです。
  • 10月〜2018年2月:広島市立大学で国際学部の専門科目「共生の哲学II」、「社会文化思想史I」、「発展演習II」、「専門演習II」、「卒論演習II」、全学共通系科目「哲学B」を担当しています。
  • 11月24日:広島芸術学会の会報第145号に、同学会第120回例会の報告「ひろしまオペラルネッサンス公演《コジ・ファン・トゥッテ》の鑑賞」が掲載されました。ひろしまオペラルネッサンス公演の鑑賞ならびにその後の感想交換会というかたちで開催された例会について、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》という作品に正面から取り組んでその美質を生かした上演の歴史的な意義を指摘し、上演をめぐる意見交換の概要を伝える内容のものです。
  • 11月24日:大項目「ヴァルター・ベンヤミン」を寄稿させていただいた『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻──現代の哲学・年表・総索引』(加賀野井秀一、伊藤泰雄、本郷均、加國尚志監修、白水社)が刊行されました。私が執筆した項目では、1917年の「来たるべき哲学のプログラムについて」における経験への問いを出発点としつつ、言語哲学、美学、そして歴史哲学から「哲学者」としてのベンヤミン像に迫ろうと試みました。彼の生涯と思想を哲学の視点からコンパクトにまとめた記事としてご笑覧いただければ幸いです。

初秋の仕事など

[2017年8/9月]

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大田川放水路の堤の彼岸花

秋風の涼しい時期になりました。彼岸花が残る川堤にも、柔らかな陽射しの下、気持ちのよい風が吹いています。早いものですでに十月。大学の学期が始まりました。また学生たちと向き合う日々が続きます。そして今期は、他者とともに生きることへ向けた一人ひとりの学生の問題意識を引き出すと同時に、現在の危機を歴史認識をもって見通しながら、それを生き抜く思考の回路を、ベンヤミンの思想の研究をつうじて探ることにも力を入れなければなりません。

さて、去る九月には二つの場所で、音楽をめぐって考えてきたことをお話しする機会に恵まれました。9月14日に武生国際音楽祭2017の作曲ワークショップにて「嘆きの変容──〈うた〉の美学」というテーマでのレクチャーをさせていただいたことは、すでに別稿でご報告したとおりですが、それに先立って9月11日には、大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にて、広島でオペラの上演に関わってきた経験を踏まえながら、現代におけるオペラの位置と意義をその可能性へ向けて省察する研究報告をさせていただきました。シンポジウムの開催へ向けてご尽力くださった大阪大学大学院文学研究科の田中均さんに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

20170911poster『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』などの著書のあるフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんを囲んでのシンポジウムでは、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する報告を、ドイツ語で行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』における「幻像(ファンタスマゴリー)」としての楽劇を批判的に検討する議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制(シアトロクラシー)の問題にも論及したうえで、広島で上演されたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》の一端の分析と、ベンヤミンとアドルノの美学とを手がかりに、オペラを詩的な要素と音楽的要素の緊張のなかで人間の残余の媒体をなす「音楽゠劇」として捉え返す可能性を提示するという内容の報告です。その日本語の原稿は、遠からず活字にしてお届けしたいと考えております。

そこで触れたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》は、9月30日と10月1日に広島市のJMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演(委員を務めているひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催)で取り上げられた作品です。川瀬賢太郎さんの指揮、岩田達宗さんの演出による今回のプロダクションは、モーツァルトとダ・ポンテの手になる作品に真正面から向き合って、作品そのものに含まれる美質を、見事に引き出していたと思います。四人の恋する男女をはじめとする登場人物がほぼ同等の役割を果たすこのオペラにおいては、重唱によってドラマが運ばれていくのが特徴的ですが、それを支える歌手たちのアンサンブルも非常に緊密でした。稀に見る完成度でモーツァルト後期の傑作の全貌を提示できたことは、ひろしまオペラルネッサンスにとって大きな、そして今後につながる成果であったと考えております。公演にお越しくださった方々に心より感謝申し上げます。

59435900a3886今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演のプログラムにも、作品解説として「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この作品が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、モーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることに力点を置いて、作品の特徴を紹介する内容のものです。作品と今回のプロダクションのアプローチを理解する一助であったとすれば幸いです。それにしても、公演の会場に居合わせて、後期のモーツァルトの澄みきった響きに身を委ねるとともに、そのなかに抉り出される人間の内奥からの情動を肌で感じることができたのはとても幸せでした。

9月2日には、東京から津市美里町に拠点を移して四年目になる第七劇場の広島での公演を、広島市東区民文化センターで見せていただきました。今回取り上げられたのは、イプセンの「人形の家」。そのテクストに内在する仕掛けを、言葉と身振りの双方でしっかり表現する一方、日本でいち早く戯曲の内実を論じた人々の言葉を含め、新たな要素を付け加えながら、ノラが一人の人間として自立して生きていくことを、その困難も含めて浮き彫りにした舞台作りは、実に興味深かったです。それによって「人形の家」という作品が、ジェンダーやレイシズムの問題が幾重にも絡み合った問いを投げかけるものとして浮き彫りにされていたと感じました。この日の終演後に登壇させていただいたポストパフォーマンス・トークでは、こうしたことを、劇団の主宰者で今回の舞台を演出された鳴海康平さんと楽しく話すことができました。

21740934_1633032076749158_8229968318528997813_o9月19日には、JMSアステールプラザでHiroshima Happy New Ear(細川俊夫さんが音楽監督を務める現代音楽演奏会シリーズで、主催はひろしまオペラ・音楽推進委員会)の第24回の演奏会が、トランペット奏者のイエルーン・ベルワルツさんとピアニストの中川賢一さんを迎えて開催されました。細川さんが当初オーケストラとの協奏曲として作曲した《霧のなかで》、ヒンデミットやエネスクのトランペットのための作品のほか、リゲティのオペラ《グラン・マカーブル》のなかのゲポポのアリアの編曲版などが取り上げられたこの演奏会は、豊かな歌と多彩な音色を兼ね備えたベルワルツさんのトランペットに魅了されたひと時でした。彼の演奏は、呼吸と歌の延長線上にあることを、20世紀前半の音楽からジャズに至るプログラムをつうじて実感させられました。終演後、トーク・セッションの進行役を務めました。

8月の下旬には、ごく短期間ではありましたが、2月上旬まで滞在していたベルリンを訪れました。その主要な目的の一つが、コンツェルトハウスを会場に毎年開催されているYoung Euro Classicという世界中のユース・オーケストラが集う音楽祭で、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が細川俊夫さんの《星のない夜》を演奏するのを聴くことでした。トラークルの詩を歌詞に用いて季節を歌いつつ、四季の巡りのなかに第二次世界大戦末のドレスデン空襲と広島への原爆投下の体験を浮き彫りにする声楽とオーケストラのための大規模な作品を、核エネルギー発見の地であり、かつ今も戦争の記憶を至るところで刻み続けているベルリンの地で演奏することには、歴史的な意義があったと思われます。

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Young Euro Classicの会場となったベルリンのコンツェルトハウス

《星のない夜》の演奏は、「冬に」の楽章とそれに続く間奏曲に聴かれる不穏で途方もない破局の予感を含んだ自然の息吹が、最後の楽章で浄化されて死者の記憶とともに穏やかに空間を包むに至る一貫した流れを感じさせる演奏に仕上がっていました。「ドレスデンの墓標」の楽章における破壊の表現の凄まじさ以上に、哀しみの表現の深さや、静かな箇所における繊細で抒情的な表現の美しさが際立っていて、そこに作品への取り組みの真摯さが感じられます。広島の若い音楽家にこそ可能な《星のない夜》の魂の籠もった演奏は、満場の聴衆に深い感銘を与えていましたし、現地のメディアにもおおむね好意的に受け止められていました。

今回の日本語の原文で歌われた「広島の墓標」の楽章に込められた言葉を失うまでの恐怖と悲しみは、藤井美雪さんの深く、強い声を介して会場全体を震わせていました。小林良子さんが歌った、地上の世界に怒りをぶつける「天使の歌」も、強い緊張感によって時の流れを宙吊りにし、繰り返されてきた人間の過ちとその忘却を、鋭く問いただしていたと思います。このような、真の意味で強い歌に耳を傾けながら、広島で被爆した子どもの詩が伝える沈黙のうちにある恐怖の忘却が新た破局を招き寄せようとしている今、これらの歌の内実を思考によって掘り下げることが求められていることをあらためて思いました。激昂する天使の声が空間を切り裂くように、記憶の抹殺を積み重ねていく時の流れを断ち切りながら、生存の余地をベンヤミンの言う「瓦礫を縫う道」として開く可能性を、研究をつうじて探っていきたいと考えているところです。

ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。

ポルボウへの旅

[2016年9月25/26日]

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ポルボウ駅風景

バルセロナを午後5時過ぎに出発した列車がポルボウの駅に着いたのは、午後8時過ぎだった。本来はもう少し早く着いているはずだったが、おそらくは一時間半ほど前から降り始めた激しい雷雨の影響で、到着が少し遅れた。幸い雷雨は収まっていたものの、プラットホームに降り立つと、駅舎の屋根に小雨がぱらつく音が聞こえる。寂れた駅舎を抜けると、潮の香りが漂ってきた。

ナチス・ドイツからの亡命者たちにピレネー越えを手引きしていたリーザ・フィトコに導かれたヴァルター・ベンヤミンが、同行者とともにこの入江の国境の街に辿り着いたのは、1940年9月25日のことだった。駐在する国境警察に、フランスの出国ヴィザを持たない者は送還すると脅された一行が、一夜の滞在を許されたホテルへ重い足取りで向かった時も、このように日が落ちて、街路が薄暗かったのだろうか。雨をよけながら細い街路を下って行くと、海辺にある今夜の宿が見えてきた。

ベンヤミンは、9月25日の深夜に、彼が万一の際に備えて持ち歩いていた致死量のモルヒネを嚥んだとされている。「そうするよりほかに術がなかった」。亡命先のアメリカにいるテオドーア・W・アドルノに伝えるよう、同行のへニー・グルラントに託した伝言にあるように、行く手を阻まれ、帰路も塞がれた状況で、ベンヤミンが取れる手だてはこれだけだった。彼は、ナチス・ドイツの占領下に置かれたフランスで、ゲシュタポの手にわが身が引き渡され、辱められた末になぶり殺されることだけは避けなければならなかった。案内人に「私個人の命よりも大切だ」と語った原稿を所持していたからである。

こうしてベンヤミンは、他殺の拒否を貫いた。彼は、言葉とともにある生を生き抜こうとして自死を遂げたと言えるかもしれない。混濁してゆく意識のなかで、彼は、大西洋の向こうにいる友人の手に、トランクのなかの原稿が渡ることを念じていただろう。しかし、その願いは叶わなかった。彼が所持していたとされる原稿の行方は、杳として知れない。深夜の海岸からは、波が打ち寄せる音が、風音とともに響いてくる。絶命しつつあるベンヤミンの耳にも、海からの音は届いていただろうか。

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ダニ・カラヴァンのモニュメント《いくつものパサージュ》とポルボウ公営墓地の門

先のアドルノへの伝言にあるとおり、ベンヤミンは、「自分のことを誰も知らない街」で死んだ。いや、それどころか、結局誰であるか知られないまま死んだとさえ言えるかもしれない。当地に残る記録によれば、彼はカトリックの司祭の終油を受けて、ポルボウの公共墓地に葬られた。その記録に彼の名は、“Benjamin Walter”と記されている。故意によってか手違いによってか、姓と名が取り違えられることによって、彼の名前からは、彼がユダヤ人であることを示す要素が消されていた──“Benjamin”は、イベリア半島では一般的なファースト・ネームであるという──のである。このようにしてベンヤミンは客死した。

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ベンヤミンの最後のメッセージを記した墓地内のモニュメント

海に面したポルボウの公共墓地には、もうベンヤミンの墓は残っていない。代わりにというわけではなかろうが、墓地の奥まった場所に、彼を記念する小さな石碑が設けられている。その手前には、ベンヤミンがグルラントに託した伝言の全文とされる文章が記されたモニュメントも造られていた。こちらは、彼の没後75年を記念して設置されたという。この場所を訪れたのは、翌9月26日の朝。墓地から見下ろす海が、もはやベンヤミンが見ることのなかった陽射しを受けて輝いていた。昨夜の雷雨が嘘だったかのように、空は晴れわたっている。

墓地のなかの記念碑には、彼の最後の著作の一つで、未定稿だけが残された「歴史の概念について」の第7テーゼの一節が引かれている。「同時に野蛮の記録であることのない文化の記録など、あったためしがない」。なぜこの一文が刻まれたのかは知る由もない。ただし、ここにベンヤミンの歴史に対する基本的な姿勢が示されていることは確かだろう。彼の思考は、現在を廃墟の相において見据えながら、「進歩」や「発展」と美化されてきた歴史のうちに、抑圧と破壊の痕跡を見届ける理路を探っていた。そして、この痕跡が顔をのぞかせる一瞬を捉え、同じテーゼに言われる「抑圧された者たち」の記憶を今に呼び覚まして、歴史そのものを反転させる可能性を、言葉に凝縮させようとしていたのだ。「歴史の概念について」書かれたテクストは、その試みの痕跡である。それが時の権力者たちにとってきわめて危険なものであったことは、細部の表現が変わっている異稿の存在が物語っていよう。

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墓地内の記念碑

公共墓地の門の手前に、イスラエルの芸術家ダニ・カラヴァンがベンヤミンの没後50年を記念して制作したモニュメントが設けられていることは、つとに知られていよう。海辺の崖を貫通するかたちで造られたこのモニュメントには、《いくつものパサージュ(Passages/Passatges)》という表題が付いているが、それはこのモニュメントの物理的な構成からすれば、逆説的なタイトルではある。なぜなら、その内部の階段を下りて行った先にあるのは海なのだから。ベンヤミンが旅人として、あるいは思想家として辿ってきたいくつもの、いや無数のパサージュ──アーケード、通路、隘路など──に思いを馳せながら、それがこの場所で途絶したことを追想する空間と言えようか。あるいは、この狭い空間を通り抜けることを、カラヴァンは、ベンヤミンが繰り返し論じた「経験」──とくに「閾の経験」──に準えているかもしれない。「経験(experience)」の語には、語源的に「危険(peril)」を潜り抜けるという意味がある。

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カラヴァンの《いくつものパサージュ》の内部から海を望む

モニュメントの内部に入り、階段を下って行くと、カラヴァンが制作した他のモニュメントにも見られるように、開口部の手前に透明の板が組み込まれていて、その上に言葉が刻まれている。その言葉は、《いくつものパサージュ》においては、ベンヤミンが「歴史の概念について」のテーゼを準備するために記した草稿から採られている。「名のある人々の記憶を称えるよりも、名もなき者の記憶を称えることのほうがいっそう難しい。歴史の構成は、名もなき者たちに捧げられている」。行き止まりでもあるカラヴァンの《パサージュ》に刻まれているのは、従来の「歴史」に名を残せなかった者たちに応えようとするベンヤミンの歴史哲学の基本的な問題意識を示しながら、その困難をも暗示する言葉である。その言葉が、ポルボウのモニュメントの空間の内部では、特別な力を持っているようにも感じられる。

カラヴァンが意図しなかったことかもしれないが、ベンヤミンの言葉が刻まれた透明の板には、見る者の姿が必ず映る。モニュメントの内部空間の写真を撮ると、カメラを手にする影が写り込むことになる。モニュメントのなかへ入る者は、海に向かいながらベンヤミンの言葉を読む自分の姿も同時に見ることになるのだ。それによって、ボードレール論における彼の言い方を用いるなら、「眼差しを返される」体験をすることになろう。それも、言葉によって。困難な「歴史の構成」を語るベンヤミンの言葉をここで読む者は、その言葉によって問い返される。この時代、この世界で、彼の歴史への問いをどのように受け止めるのか、と。

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ポルボウ公共墓地から地中海を望む

容易に手の届く史料を基に歴史を物語る──そのことは、ベンヤミンに言わせれば、支配者への同一化である──のではなく、「歴史」から削ぎ落とされ、抹殺されかねない記憶を忘却から掬い上げ、断片でしかありえないこの記憶を継ぎ合わせ、照らし合わせる「構成」は、どれほど困難であることか。しかし、それをつうじて、いくつもの「抑圧された者たち」の記憶を星座のように呼応させ、現在を新たに照らし出す可能性を追求することに、生存──それは死者とともに生き残っていくことである──そのものが懸かっている。だからこそベンヤミンは、「歴史の概念」を、「歴史」に抗して語ろうとした。そして、彼がそのなかに「嵐」を見た「歴史」は、今や彼の時代よりもさらに深く生命を侵食しながら、生存を脅かしている。そのような現在──核の歴史のただなかにある現在──において、歴史の問題にどう取り組むのか。モニュメントのなかで、ベンヤミンの言葉によってそう問われているように思われた。その際、ポルボウでの彼の死にも向き合わざるをえないのではないだろうか。

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ベンヤミンの眼鏡があしらわれたホテル・デ・フランシア跡の銘板

カラヴァンのモニュメントを後にし、ポルボウの街を通って駅へ向かう途中、ベンヤミンがファシストの手先に見張られながら一夜を過ごし、自死を遂げたホテル・デ・フランシアのあった建物の壁面に、そのことに触れた銘板があるのを目にした。彼の特徴だった眼鏡があしらわれていた。それ以外にもポルボウの街の至るところに、ベンヤミンとその死に触れたプレートが置かれている。この街では、皮肉なことに、ベンヤミンの記憶は「文化財」と化しつつあるのかもしれない。それがやがて、「文化財」という名の消費財と化してしまうのに抗いながら、彼の思考の問いを喚起する力を掘り起こす必要を、あらためて感じないではいられない。そのことは、ベンヤミンの言葉を、今ここで読む者の責務であろう。

こうしたことを思いながら、午後のバルセロナ行きの列車に乗り込んでポルボウを後にした。ジローナ県の町々を通って行く車窓の外には、往路は見えなかったカタルーニャの田園風景が広がっていた。乾いた土に、強い陽射しが照りつけている。馬が草を食む姿がふと目に入った。牧草地の先には、葡萄畑がどこまでも広がっていた。

ベンヤミンの著作の翻訳書二題

08373『この道、一方通行』[細見和之訳、みすず書房、2014年]

看板や広告、パノラマやからくり人形、建築とその室内など、都市生活を織りなすさまざまな文物を、文字像として捉え、それが喚起する思想をエピグラムのように書き留める、ベンヤミンによる都市のエンブレム集とも言うべき作品。その翻訳には、本訳書のような簡潔体の散文詩のような文体が相応しい。

この作品は、ベンヤミンのほとんど片思いに終わった恋の相手アーシャ・ラツィスに捧げられ、エロスと歴史の極限へ向かう一方通行の道を指し示す。鋭敏な批評眼をもって思想を形象に込める彼の思考が、最も洗練された形式で表われているとともに、「暴力批判論」と「歴史の概念について」を結ぶ歴史哲学と、後に「人間学的唯物論」と定式化される思考とが凝縮されたかたちで示されている点で、訳者が述べるように、この作品は格好のベンヤミン入門とも言える。「ドイツのインフレーションをめぐる旅」は、この国の現在に恐ろしいほどぴたりと当てはまる。原書表題»Einbahnstraße«の訳を「この道、一方通行」とする着想も卓抜。ズーアカンプ社から刊行され始めているベンヤミン批判版全集(Walter Benjamin Werke und Nachlaß: Kritische Gesamtausgabe, Frankfurt am Main/Berlin: Suhrkamp, 2008–.)を底本とした最初の翻訳書ともなった。

『ベンヤミン・コレクション7──〈私〉記から超〈私〉記へ』[浅井健二郎編訳、土合文夫、久保哲司、内村博信、岡本和子訳、ちくま学芸文庫、2014年]

拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)とほぼ同時期に刊行されたベンヤミンの著作のアンソロジー。第6巻もそうだったが、この第7巻にも、これまで日本語に訳されたことのなかったベンヤミンの著作が相当数含まれている。なかでも貴重と思われるのが、第V部「学校改革・教育」に含まれた著作で、1910年代初頭の、ヴィネケンの影響の下で青年運動の中心にいた時期のものから、1920年代後半からの、マルクス主義の影響を受けながら、児童演劇や子どものための読本などを論じた著作に至るまで、ベンヤミンが教育に対する強い問題意識を持続させていたことがうかがえる。その歩みを、アドルノが『自律への教育』(中央公論新社)で示している「アウシュヴィッツ以後の教育」の探究と照らし合わせ、今日教育の現場にも浸透しつつあるファシズムを撥ね返す子どもの力を、一人ひとりの子どもが真に生きることへ向けて引き出す教育の可能性を探ることは、喫緊の課題と言えよう。

また、こうした教育に触れた著作のなかで、ベンヤミンが自身の思想の重要な概念を繰り広げているのも注目される。青年運動期に雑誌に書かれた論考では、若きベンヤミンが思考の軸とした来たるべき「宗教」の概念──それを、本書に翻訳が収められている「宗教としての資本主義」の「宗教」と対峙させることも、彼の思想を深めるうえでも、また現在の状況に立ち向かううえでも重要だろう──が展開されているし、「プロレタリア児童劇」などを論じた後年の著作で、「複製技術時代の芸術作品」で重視される触覚や反復が、これよりも率直に論じられている。本書には、これらに加えて、履歴書や成し遂げられなかった自殺の前に書かれた遺書など、ベンヤミンが自分自身を語った重要な文書も訳出されている。さらに、日記や雑誌のためのインタヴュー記録などで、さりげなく思想の核心に触れているのも見逃せない。

先の『コレクション』第6巻には、岩波現代文庫の『パサージュ論』の翻訳で割愛されたその初期草稿が訳出されていたが、第7巻には、これまでまとまった翻訳のなかった「歴史の概念について」の異稿断片集の抄訳が収められている。これも、何度も訳されてきた「歴史の概念について」の全著作集印刷稿や『パサージュ論』の方法に関する覚え書きなどとともに、ベンヤミンの歴史哲学を広い視野から、歴史そのものの可能性へ向けて検討するための貴重な資料となろう。

この第7巻でちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』シリーズは完結するとのことだが、同じちくま学芸文庫から出ている『ドイツ悲劇の根源』や『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』を合わせると、ズーアカンプ社から出ている7巻の全著作集(Walter Benjamin Gesammelte Schriften)のほとんどを日本語で読めることになる。これだけの量の著作を、非常に明快な訳文で読者の許に届けてくれたことに対しては、心からの敬意と感謝を表わさないではいられない。今後は、「手紙の人」ベンヤミンの全書簡集(Walter Benjamin Gesammelte Briefe:ズーアカンプ社から全6巻で刊行されている)や、徐々に刊行されつつある批判版全集の各巻の翻訳が課題となろう。