新国立劇場でのヤナーチェク《イェヌーファ》の公演を観て

image.php2月28日に、研究会への出張から広島へ帰る前に新国立劇場で、ヤナーチェクのオペラ《イェヌーファ》の初日の公演を観ました。《イェヌーファ》は一度、2004/05年のシーズンにベルリンのコーミッシェ・オーパーで観ていますが、その際の歌唱はドイツ語でしたので、オリジナルのチェコ語で歌われる公演を観るのは初めてということになります。今回の公演では、何よりもヤナーチェクの音楽の強さに心を動かされました。彼の音楽が、影を帯びながら忍び寄るような響きから、人を打ちのめすかのように激しく高揚する響きに至るまで、魂の最も繊細でかつ無力な部分に迫り、そこにある動揺を最大限の振幅をもって抉り出していることが、トマーシュ・ハヌスの指揮による演奏によってあらためて伝わってきました。とりわけ聴く者の肺腑を抉るような沈黙の強さが印象に残ります。

ハヌスという指揮者は、2014年の11月にミュンヘンで同じヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演を観たときにも、素晴らしい演奏を聴かせていた記憶があります。彼の指揮に応える東京交響楽団の演奏も、有機的な響きによる間然することのないもので、幕を追うごとに響きの奥行きが増していったのも舞台に相応しく思われました。クリストフ・ロイによる演出は、けっして奇をてらうことなく、静けさに貫かれた舞台のなかで、細かな所作や距離感のなかにそれぞれの人物の複雑な心情を浮き彫りにしようとするものと見受けられましたが、これもヤナーチェクの音楽を生かしていたと思われます。ほとんどつねに非常に低い天井の室内でドラマが進行しますが、そのことが登場人物に絶えず重くのしかかるものを暗示し続けていました。

それによって、ある閉じた共同体の内部に生きてきたイェヌーファの養母コステルニチカの葛藤と動揺がとくに際立ってきますが、そのような演出に応えて、ジェニファー・ラーモアが非常に工夫された、繊細な歌唱を聴かせていたのに感銘を受けました。それによって、《イェヌーファ》というオペラの焦点の一つと言えるコステルニチカによる乳児殺しのドラマが、さらにはそこにある死の観念の憑依が、迫真性を帯びていました。もちろん、イェヌーファの役を歌ったミミャエラ・カウネの歌唱も申し分のないものでしたが、コステルニチカ役のラーモア、そしてブリヤ家の女主人の役を歌ったハンナ・シュヴァルツの襞を感じさせる歌唱に、ヤナーチェクに相応しいものを感じます。ラツァ役を歌ったヴィル・ハルトマンも、この若い男の一途さを強い声で見事に表現していたのではないでしょうか。ラツァとイェヌーファが、心身に傷を抱えながらもともに新たな人生を歩もうと決意するに至る二重唱は、実に感動的でした。

《イェヌーファ》の主要な登場人物を貫く動揺や葛藤は、閉鎖的な共同体の差別を含んだ因習、さらにはそれがもたらす名誉の観念を抱え込んでしまうことに起因しています。そのことは各人が、すでに因習を内面化しきった共同体の人々の眼差しに曝されたり、あるいはそれとぶつかったりするなかで生じるわけですが、今回の舞台では、こうした場面はそれほど強くは表現されていなかったのではないでしょうか。とくに集団のあまりにも人間的で過剰な演技が、そうした印象を喚起したかもしれません。個人的には、村の人々がどのように共同体に属しているのかも、ある種の冷たさとともに表現されてもよかったのでは、と思います。

とはいえ、全体として今回の《イェヌーファ》の公演は、ヤナーチェクの音楽の強度が、歌手の歌唱によって、またオーケストラの演奏によって舞台上に最大限に引き出された、とても完成度の高いものだったと考えられます。ただし、そのことを手放しで喜ぶことはできません。今回の《イェヌーファ》のプロダクションを、新国立劇場はみずからの「新制作」と称していますが、それは実際には、舞台装置も、主要な歌手のアンサンブルも、そして演出も、ベルリン・ドイツ・オペラですでに出来上がっていたプロダクションです。これが新国立劇場という場所で舞台に掛けられているのを前にしては、それにいったいどれほどの意味があるのか、そのことによってこの劇場は、どのようにオペラを作ろうとしているのか、さらには日本におけるオペラの将来をどのように考えているのか、といった問いを立てざるをえないわけですが、これらの問いを前にしては暗然とせざるをえないところもあります。

ミュンヒェンへの旅より

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

10月31日から11月4日にかけて、3泊5日とごく短期間ではありましたが、久しぶりにミュンヒェンへ出かけておりました。主な目的は、すでに別稿に記しましたように、バイエルン国立歌劇場におけるベルント・アロイス・ツィンマーマンのオペラ《軍人たち》の上演を観ることと、もう一つ、今まで訪れたことがなかったダッハウの強制収容所跡を訪れることでした。《軍人たち》の上演そのものについては、別稿をご参照いただくとして、最近観たオペラの公演のなかで最も優れたものの一つと言えるこの公演について、ここで付け加えることがあるとすれば、それは会場の熱気でしょうか。

10月31日、11月2日と二回観た公演のいずれもほぼ満席で、公演が始まる前から劇場は期待感に包まれておりました。二度目に観に行ったときには、開演1時間前から始まるEinführung(鑑賞の手引き、とでも訳せましょうか)──ドイツで演奏会やオペラ公演の前にしばしば行なわれる導入の講演で、オペラ劇場では劇場所属のドラマトゥルクが、時にピアノ演奏も交えつつ、作品やプロダクションの特徴を紹介します──に間に合うよう出かけたのですが、その会場のホールがすでに満員で、2回目の講演まで半時間ほど待つことになりました。その間、コーヒーを飲みながら、論考やドキュメントなどで一冊の本と言えるほど充実した内容のプログラムの一部を読むことができました。たしかに、この強烈な公演の前半だけで帰ってしまう人もいたにはいたのですが、そのような人たちは、舞台上でダンサーたちが裸体を血痕とともに露わにすることで暗示している暴力を、今も自分たちが生み出していることを正視しようとしないのでしょう。

11月1日には、同じバイエルン国立歌劇場でレオシュ・ヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演も観ることができました。カレル・チャペックの同名の戯曲にもとづくこのオペラでは、人間が死すべき者であることや、近代人のアイデンティティの複数性ないし多面性が、ルドルフ二世に仕えた錬金術師の父親が作った不老長寿の秘薬のおかげで337年生きたという主人公エミリア・マルティによって、非常に興味深いかたちで問題化されるわけですが、この主人公を歌ったナージャ・ミッチェルは、芯のある声で、オペラの舞台で卓越したプリマ・ドンナを演じるという困難な課題に応えていたように思います。彼女の歌に寄り添うヴィオラ・ダモーレの演奏も魅力的でした。この古い楽器は、ヤナーチェクの他のオペラ、例えば《カーチャ・カバノヴァー》でも重要な役割を果たします。

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

アルベルト・グレゴルを演じたパヴェル・ツェルノクはじめ、他の歌手たちもなかなかの力演を示していましたが、最も印象的だったのは、文字通り惚け役であるハウクを演じたライナー・ゴールドベルクの歌唱でした。未だ伸びのある声と巧妙な演技で、圧倒的な存在感を示していたと思います。ヤナーチェクの音楽に通暁しているというトマーシュ・ハヌスの指揮も素晴らしく、躍動感のある音楽の運びを示すだけでなく、深い間のなかかから劇的な瞬間を響かせてもいました。アルパード・シリングの演出には、いくつか疑問が残ります。最初の場面の弁護士の部屋に無数の椅子を積み重ね、時の堆積を表現するあたり、最近広島市現代美術館で写真で見たドリス・サルセドの作品を思わせて興味深いものがありましたが、最後の場面で、うずくまったエミリアと不老長寿の秘薬の処方箋を手に立つクリスタの上に、氷山を思わせる白い樹脂製の山が覆いかぶさるのは、あまりにも人為的で、かつ本来焼かれることになっている処方箋の行く末を曖昧にするものに思われました。それから、エミリアの337年の生涯が示すように、人が複数の名を名乗って、さまざまな「何者か」でありうることにも、もう少し光を当ててもよかったのではないでしょうか。

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

11月1日の日中は、最近改装されたレーンバッハハウスでじっくりと絵を見ました。展示スペースが大幅に拡がっていて、この美術館の柱である「青騎士」の画家たちの展示作品はもちろんのこと、とくにカンディンスキーとミュンターの展示作品がかなり増えている印象を受けます。同じ風景をこの二人がどのように描いているかを見比べたりできるよう、展示も工夫されています。カンディンスキーの作品の色彩、とくに色の配置と形態の関係にあらためて感銘を受けました。クレーの作品の展示も、以前より増えていて、拙宅の玄関にポスターを掛けている《薔薇の庭園》の実作を見られただけでなく、ちょっとした発見もありました。1921年の《野苺》という作品と1922年の《野人》という作品に、1920年の《新しい天使》に似た形態が見られるのです。この時期のクレーを貫くモティーフを暗示しているのかもしれません。オットー・ディクスらのいわゆる「新即物主義」の画家たちの作品の展示にも、その後のナチズムへの態度を配置で暗示するなどの工夫がなされていましたし、気鋭の作家ヴォルフガング・ティルマンスの作品にもスペースが割かれていました。建物や庭園も綺麗ですし、中央駅から歩いても行けますから、ミュンヒェンへ来られた際の訪問先としてお薦めしておきたいと思います。

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

翌11月2日は午前中に、今まで訪れたことのなかったピナコテーク・デア・モデルネ(現代美術館)の展示作品を見ました。まず建物の大きさに驚かされましたが、全体としては、ロンドンのテイト・モダンを横に広げた感じでしょうか。特別展として、ジャック・リプシッツの素描や写真が展示されていたり、ヨーゼフ・ボイスの新たな民主主義へ向けた「社会的彫刻」や複製による発信をはじめとするさまざまな試みが展示されていたのを興味深く見ましたが、やはり圧倒的な印象を残したのは、いわゆる「現代の古典」の絵画の膨大な展示でしょうか。キルヒナー、クレー、カンディンスキーの魅力的な作品が数多く展示されているだけでなく、シュルレアリスムの展開を見通せるようにもなっています。《ティロル》をはじめ、フランツ・マルクとアウグスト・マッケという第一次世界大戦で斃れた二人の画家の到達点を示す作品を目の当たりにし、しばらくその場を動くことができませんでした。

この日の午後には、ミュンヒェン在住の音楽批評家マックス・ニフラーさんに、イギリス庭園での散歩にお誘いいただきました。穏やかな日差しに黄色に色づいた木々の葉が映えるなかを一緒に歩きながら、たくさんの貴重なお話をうかがうことができました。バイエルン国立歌劇場で上演されているツィンマーマンの《軍人たち》にも話が及び、その初演を担当したミヒャエル・ギーレンは、ユダヤ系の出自を持ち、ナチスの迫害を受けた者としての実存的な決断として、このオペラのケルンでの初演の指揮を引き受けたのだと語っておられました。第二次世界大戦の戦いにドイツ軍の兵士として従軍し、負傷した経験を持つツィンマーマンがこの作品を書いたこととの符合を感じさせるお話です。イギリス庭園では、スポーツに汗を流したり、マースと呼ばれる1リットルのビア・ジョッキを傾けたりと、人々が思い思いに日曜の午後を楽しんでいました。

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

滞在最終日の11月3日は、午前中からダッハウの強制収容所跡へ出かけましたが、そこに着くなり、衝撃的な出来事を目の当たりにすることになりました。写真から分かるように、収容所の監視塔の下の鉄扉が»Arbeit macht frei«(「労働は自由にする」)の文字ごと無くなっています。11月1日から2日の夜間に盗まれたとのことでした。まだ犯人が捕まっていないので、誰がどのような意図をもってこの扉を盗んだのかはわかりませんが、ナチスの蛮行を象徴するものがこの場から取り去られること自体に、途方もない気味の悪さを覚えます。歴史修正主義の臭いを感じないではいられません。その日の昼前に行なわれた記者会見で述べられていたように、この歴史的な場所を保存することの精神の根幹を傷つける犯行であるのは確かでしょう。ちなみにこの扉は、1936年に強制労働によって鋳造されたオリジナルで、同じ文字を掲げた門が、よく知られているように、後にアウシュヴィッツにも造られました。アウシュヴィッツのそれも、一度盗まれて破壊されています。

そのようなわけで、空の色とは対照的に、非常に重苦しい気持ちを抱えながら収容所の施設を見て回ることになりました。1933年に開設されたこのダッハウの強制収容所は、最初の大規模な強制収容所の一つで、その後の強制収容所およびその運営のモデルとなっています。この収容所は、収容所を支配する親衛隊幹部の訓練地の役割も担っていたようです。さらに、この収容所の火葬場には、小規模ながらガス室も備わっていました。ここで「選別」された囚人たちが次々とガス殺されていたわけですが、それは東方の占領地に設けられた絶滅収容所における殺戮の実験の意味合いもあったのかもしれません。資料館では、こうしたことが歴史的背景とともに、きわめて詳細に説明されていました。心理学者のブルーノ・ベッテルハイムがここに収容されていたのはよく知られていますが、チェコの作家にして画家で、カレル・チャペックの兄のヨーゼフ・チャペックもダッハウに収容されていたことも知りました。カレル・チャペックの戯曲にもとづくオペラを観た直後だっただけに、このことは胸に迫るものがありました。

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ところで、今回の旅行ではあまり落ち着いて食事をする暇がなく、朝食以外にまともに座って食べたのは、11月1日の夜の《マクロプロス事件》の公演後に、たまたま見かけたイタリア料理の店でペンネ・アラビアータを食べたときだけでした。勘定を済ませてその店を出るとき、Auf Wiedersehen!(さようなら)と店の人に声を掛けたところ、「チャオ、チャオ!」と愛想よく挨拶を返してくれたのですが、それを耳にして思い出したのが、旅のあいだ読んでいたヘルタ・ミュラーの小説»Herztier«(『心の獣』とでも訳せるでしょうか)の一節でした。そこでは、どこかで覚えた「チャオ、チャオ」の言葉をルーマニアの子どもが使うのを、大人が制止するのです。独裁者チャウシェスクの名を思い起こすから、というわけですが、それほどまでに彼の独裁の恐怖が、ルーマニアの人々、とりわけ彼の独裁体制に順応できない人々の身体に浸透しているのを、ミュラーの小説は、時に韻文の響きを聴かせる文体で、非常に細やかに描き出しています。この小説の錯綜した時間は、相互監視体制の暴力が、亡命に成功した人の心にも癒しがたい傷を残していることを暗示しているにちがいありません。

ドイツの東西統一と東ヨーロッパの「民主化」の決定的な契機となったベルリンの壁の崩壊から、今年の11月8日でちょうど四半世紀が経ちますが、このような節目に、ミュラーの文学が迫っているような、旧東側の独裁体制下に生きた人々の記憶を、例えば、今パレスティナで隔離壁によって、移動の自由をはじめ、あらゆる自由を奪われるだけでなく、不断の監視に曝されてもいる人々の経験と照らし合わせることが重要なのではないでしょうか。そうして、この隔離壁に象徴される新たな、時に不可視の壁が、レイシズムとも結びつきながら人々のあいだに張り巡らされていくのを食い止めることが喫緊の課題であることを、祝祭に湧きつつあるドイツに短いあいだ滞在して、あらためて思わざるをえませんでした。