早春の仕事など

IMG_0080柔らかな陽射しを楽しむかのような鳥たちの声が聞こえる日が多くなり、ようやく春の訪れを実感できるようになってきました。近所の公園の桜の古木にも、花をのぞかせ始めたつぼみがちらほらと見られます。最近目にしたヘルダーリンのフランクフルト時代の断片は、このような一見穏やかな春の萌しのうちに、老いとそこにある硬直に立ち向かう若々しさそのものを、それを貫く生命の迸る動きを鋭敏に感じ取っていました。できればいかに忙しいなかでも、そのような生命の力を内に感じていたいものです。早いもので、広島に戻ってすでに一か月半が過ぎましたが、その間二週間の集中講義を含めて非常に慌ただしく過ごしておりました。その間の活動を、ここでご報告しておきたいと思います。

まず、3月4日には、駿河台のESPACE BIBLIOにて細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念して開催されたトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」の聞き手役を務めました。このトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされたこの世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきました。また、特別ゲストとしてリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えして、細川さんの創作活動の里程標をなす作品を演奏していただきました。51fwl3vou1l

幸い、トーク・ショーには会場が満員になるほどのお客様にお越しいただき、心から感謝しております。鈴木さんの素晴らしい演奏と貴重なオペラ上演の映像を交えての細川さんのお話には、尹伊桑や武満徹との関わりについて初めて聞く話がいくつもありましたし、細川さんの音楽そのものについて改めて深く考えさせられる言葉や、現代日本の状況に対する重要な問題提起もありました。このような充実した場をご用意くださったエスパス・ビブリオのみなさま、アルテスパブリッシングの木村さんに、心から感謝申し上げます。

また、3月11日には、成蹊大学アジア太平洋研究センターの主催で開催されるシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」にお招きいただき、パネリストの一人として「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という発表をさせていただきました。ヴォイス・レコーダーを構え、じっとこちらを見つめる吉増剛造さんを前に、またかねがね尊敬している錚々たる方々のあいだで少し緊張しましたが、何とか役目を果たすことができました。最近のものを含めた吉増さんの詩作を読み解きながら、また奇しくもまったく同じテーマ(「カタストロフィと〈詩〉」)で行なわれた三年前の原爆文学研究会のワークショップで原民喜やパウル・ツェランの詩についてお話ししたことを少し振り返りながら、今〈うたう〉可能性を詩のうちに探る内容のお話をさせていただきました。

17218299_1434549826597385_7177254774096220764_oまさに東日本大震災が起きた日に開催されたこのシンポジウムは、これまで参加させていただいたシンポジウムのなかで、最も密度の濃いものの一つでした。吉増さんの詩作の初期から『怪物君』(みすず書房、2016年)にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。そのような議論が最後に『怪物君』とは何かという点に収斂したのは、この日のシンポジウムに相応しかったと思われます。吉祥寺という場所で胸騒ぎを覚えながら引用した原民喜の「鎮魂歌」の一節に「僕は結びつく」という言葉がありますが、自分のなかでいくつものモティーフが結びつき、たくさんの宿題を持ち帰ることができました。それに吉増さんを介して、素晴らしい方々とも出会うこともできました。このような場を作ってくださった、李静和さんと成蹊大学アジア太平洋研究センターのみなさんに、あらためて心から感謝申し上げます。

それから、図書新聞の第3297号(3月25日発売)に、竹峰義和さんの近著『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評を書かせていただきました。「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」と題する拙稿では、時に「剽窃」と非難されることもあるアドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する、破壊的ですらある読み替えが思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。この原稿が、ベルリン滞在中に公刊を予定して書いた最後の原稿ということになります。

この間、いくつか印象深い演奏会や展覧会に接して、自分の仕事の出発点を顧みる機会を得られたのは幸いでした。まず、3月3日に六本木のギャラリーOta Fine Arts, Tokyoにて、「ニルヴァーナからカタストロフィーへ──松澤宥と虚空間のコミューン」を見ました。嶋田美子さんの素晴らしいキュレーションによって精選された貴重なドキュメントの数々は、松澤宥という、その緻密な思考にもとづくアートによって、アートを突き抜けたアーティストの行為の軌跡と、それを結節点として世界中のアーティストが結びついていくさまを実に生き生きと伝えるものでした。松澤が一つのマンダラの形で構想していた、物質の滅却、人類の滅亡、さらにはその先にある虚無へ向けた思考の布置を構成していくアートを今どのように捉えるか、という点は、膨大な資料の解読にもとづくこれからの研究によって掘り下げられなければならないと思います。

とはいえ、松澤が拠点を置いた諏訪と広島、長崎を結びつけたこともある彼の仕事が、そこに生まれる呼応関係によって、危機的な現在を照らし出すものだということは、展示からひしひしと伝わってきました。そのことは同時に、とくに日本列島に生きる者たちが外的にも内的にも取り返しのつかないカタストロフィに足を踏み入れつつあることを問いただしているようにも感じられます。諏訪の松澤宥プサイの部屋を訪れて、彼を結節点とするアートの強度とアクチュアリティを、資料から計測する研究者が出て来ることを願ってやみません。松澤の空への呼びかけに応じて集まったアーティストたちによる、手書きによって構成された葉書や書簡、そして電報(テレグラムとしてさらに考えてみたいところです)の数々も、新たなポエジーの胎動を感じさせるものでした。

17350038_1444674655584902_3959852989274643360_o3月12日には、横浜のみなとみらいホールで横浜芸術アクション事業Just Composed 2017 in Yokohamaの「能・謡×弦楽四重奏」の演奏会を聴きました。馬場法子さんの《ハゴロモ・スイーツ》の世界初演を聴いて、出かけた甲斐があったと思いました。青木涼子さんの声と謡を見事に生かしながら、能の「羽衣」のエッセンスをなす要素を新鮮に、潮風と気配を感じさせる風景のなかに響かせていたのが印象に残ります。楽器の生かし方も、モノ・オペラとしての空間の演出も、実に巧みだったと思います。終演後に馬場さんからお話をうかがって、これらが謡の綿密な研究の成果であることも分かりました。ステファノ・ジェルヴァッゾーニの《夜の響き、山の中より》も、西行法師の歌の配列のなかに声を多彩に生かしながら一つのモノ・ドラマを現出させる作品として興味深く聴きました。能の謡とミニマムな器楽アンサンブルのコラボレーションに可能性を感じさせる演奏会でした。

3月16日には、京都のVoice Gallery pfs/wにて呉夏枝さんの個展「仮想の島── grandmother island 第1章」を見ました。亜麻を素材にグァテマラやインドネシアの織物の技法を参照しながら丹念に織られた地図、ないしは海図としての織物は、けっして平面で完結することなく、中空で螺旋をなしながら、あるいは地下茎を伸ばしながら、別の時空へ連なっていきます。その様子は、人が記憶の越境的な連なりを生きていることと同時に、いくつもの記憶が海を越えて遭遇する可能性をも暗示しているように見えます。海の上に火山島を思わせる島が浮かび上がる風景は、いくつもの記憶が折り重なり、さらには生の記憶が歴史と痛みとともに交錯することによって織りなされているのではないでしょうか。

目を変えながら織られた織物の上に黒のなかのさまざまな色が滲み出る──それが、島の像の存在感と遠さを一つながらに醸し出していました──ところには、テクスト、あるいはテクスチュアからこぼれ落ちるものが染み出ているようにも見えました。作品のテーマとなっている地図ないし海図とは、このような過程に人を引き込む一つの閾としての空間に身を置く一人ひとりの記憶のなかに織られていくものと思われます。そのことは、吉増剛造さんとパウル・ツェランが詩作を、織ったり、編んだりすることに喩えていたことにも呼応することでしょう。風を感じさせる空間が形づくられていたことも印象的でした。もしかするとそのことは、作家の創作の新たな段階を暗示するものかもしれません。

それにしても、この一月半のあいだ、ベルリン滞在の準備に追われていた一年前に比べてさらに社会が息苦しくなっていることを、さらにその息苦しさが、思想とその表現の自由が最後まで守り抜かれるべき場さえも覆おうとしていることを、実感せざるをえませんでした。もし、幾重もの不正と汚職をめぐる狂騒に紛れて共謀罪──「テロ等準備罪」なるものは、共謀罪以外の何ものでもありません──が法的に作られるなら、思想信条の自由が、それを表現する権利が実質的に奪われるのではと危惧しています。それによって、精神は萎縮し、上目遣いの自粛が蔓延し、いかがわしい「公益」なるものが幅を利かせる社会が出来上がるでしょう。そのような状況のなかで、人が息苦しさと無力さに押し潰されてしまう前に何ができるかを、新たな年度が始まる4月へ向けて、自分の置かれた場所で考えてみたいと思います。

 

細川俊夫『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行記念トーク・ショー[2017年3月4日/ESPACE BIBLIO]のお知らせ

51fwl3vou1l昨年12月に拙訳にてアルテスパブリッシングより刊行された、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(聞き手:ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラー)の刊行を記念して開催されるトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」をご案内いたします。来たる3月4日(土)15:00より駿河台のESPACE BIBLIOにて開催されるトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされた、この世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものや、本書では語られなかったエピソードなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきます。また、今回は特別ゲストとして、世界を代表するリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えいたします。細川さんのお話と鈴木さんの演奏によって、本書の内容を具体的に感じ取っていただきながら、細川さんの「空間と時間の書(カリグラフィー)」としての音楽を身近に感じていただけるものと考えております。会場などの情報は、末尾に記しておきます。開催に向けてご尽力くださっているESPACE BIBLIOの関係者のみなさまに、この場を借りて心より感謝申し上げます。

本書『細川俊夫 音楽を語る』の概要はすでに別稿に記しましたし、版元のアルテスパブリッシングのウェブサイト(こちらから直接本をご購入いただくこともできます)にも記されておりますので、ここでは繰り返しません。今回の「細川俊夫×柿木伸之トーク・ショー」では、この「対話による自伝」に語られた半生と作曲の足跡のうち、とくにベルリン留学時代の尹伊桑との師弟関係や、細川さんの広島での少年時代にまで遡る武満徹との関係に焦点を絞りながら、これらの作曲家の音楽との対照において、細川さんの音楽世界を浮き彫りにしたいと考えております。鈴木さんの演奏を交えながら、これらの作曲家と細川さんのあいだにある東洋の伝統楽器へのアプローチの相違などにも光を当てることができるのでは、とも思います。2012年以後の作曲の展開を語っていただく際には、オペラ《班女》、そして《松風》の一部の貴重な映像を見ながら、ちょうど一年前にハンブルクで平田オリザさんの演出により初演された《海、静かな海》を含めたオペラの作曲についても詳しくうかがえるものと考えております。それをつうじて、オペラを含む音楽作品を世界中から委嘱され続けている細川さんの作曲の現在が、本書に語られた創作の源泉から浮かび上がることでしょう。細川さんの音楽世界の展開の軌跡とその今にじかに接することのできる3月4日のトーク・ショーへ、ぜひお誘い合わせのうえお越しください。多くの方のご来場を心よりお待ち申し上げております。

  • 日時:2017年3月4日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
  • 会場:ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)※リンク先に地図があります。〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1F
  • 参加費:1,500円(当日精算)
  • 予約制:Eメール(info@espacebiblio.superstudio.co.jp)または電話(Tel.: 03-6821-5703)にて受付(定員60名)。Eメールでご予約の際には、上記のアドレス宛に件名「3/4細川氏トーク希望」にて、お名前、電話番号、参加人数をお知らせください。追って返信で予約完了が伝えられるそうです。電話による予約は、火曜日から土曜日の11:30〜20:00のあいだ受け付けているとのことです。20170304%e7%b4%b0%e5%b7%9dx%e6%9f%bf%e6%9c%a8%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af_a6%e7%89%883rd

Chronicle 2016

IMG_2190流行語の類いには普段まったく関心がありませんし、とくに日本で「流行語」と呼ばれるものには、これからも興味が持てないと思いますが、イギリスのオクスフォード辞典の発行元とドイツ語協会が「今年の言葉」に、揃って英語で言う“post-truth”(ドイツ語では„postfaktisch“)を選んだことは、現実に世界を覆いつつある由々しい動きを映し出しているように見えます。事実を突き止め、真実を伝えることはもはや尊重されず、威勢よく見えたり、「元気になる」ように響いたりしさえすれば、あるいは「センセーショナル」でありさえすれば、どのような嘘でもまかり通ってしまい、大衆を動かしてしまう時代が実際に到来しつつあるというヨーロッパの人々の認識が、そこには表われているのではないでしょうか。それを象徴するのが、EU離脱の判断を下したイギリス連邦の国民投票と、アメリカ合衆国の大統領選挙の結果であったということは、ここドイツでは、この一年の回顧のなかでしばしば耳にします。

IMG_1977これらを含む動きのなかで無視しえない役割を果たしている──それゆえ、現在ドイツでも対策が進められているようです──のが、英語で“fake news”(ドイツ語では„falsche Nachrichten“)と呼ばれるものですが、これは不安を抱えて孤立した個人に、とりわけ強く訴えかけます。すでに都市に「大衆」が出現した19世紀に、鋭敏な芸術家が気づいていたとおり、そのセンセーションに反応することで、こうした個人は自己の存在を確かめ、それによって「マス」として一様に行動するようになるのです。ベルリンのクリスマスの市へのトラックによる襲撃事件が起きた後、実際にそのようにして„falsche Nachrichten“に踊らされる人々を目にしました。そのことを利用するのを、「新たなポピュリズム」と呼ぶ必要はないでしょう。嘘への反応を束ねることは、ファシズムの定義に当初から含まれていることではないでしょうか。ただし、その具体的な技術には、ディジタル時代ならではの変化が見られるようです。たまたま目にした新聞記事では、インターネットをつうじて世界中にばらまかれた“fake news”が、マケドニアの小さな街で作られている様子がリポートされていました。

IMG_2045とはいえ、日本の人々はすでに、とくに現政権下で長いこと“post-truth”的状況を生きているのではないでしょうか。たまに日本のマス・メディアのウェブサイトを見ると、そのような思いを強くせざるをえません。もちろん、地道に事実を追い、真実を伝えようと努めているジャーナリストがいることは存じていますし、その仕事に対してはいくら敬意を表わしても足りないと思っています。しかし、実際に公共空間にたれ流されているのは、世界で、いや日本でも今何が起きているのかを忘れさせながら、「日本」への空虚なナルシシズムを助長させる、その本質が“fake”であるとしか言いようのない「ニュース」ではないでしょうか。そのようななか、とくに沖縄の人々の生活を踏みにじるかたちで、日米の軍事的な一体性を強める基地建設が進められ、憲法の下で禁じられていたはずの海外派兵が既成事実化されようとしています。まもなく任期を終えようとしているオバマ大統領の広島訪問も、日本の現首相のパール・ハーバー訪問も、そのような「日米同盟」の動きを覆い隠すかたちで演出された観は否めません。

img_0199このような状況に対して、現在ヨーロッパで生活している経験にもとづいて一つだけ言いうることがあるとすれば、そうして戦争のなかに入り込んでいくことによって、戦争に関わる暴力は必ず、袋を裏返すかのようにして、形を変えて自分たちに跳ね返ってくるということです。今年に入ってもヨーロッパで繰り返し起きている痛ましい出来事のいくつかは、そのことを示していることでしょう。それに憎悪をもって応じるなら、このことは実際に住んでいる空間を、自分の手で破壊することになります。なぜなら、集団どうしの憎悪は、すでに後戻りできないほど雑種化し、複雑化した社会を、根底から破壊するからです。憎悪は、異質な人々のあいだを引き裂いてしまいます。そして今、そのことに“post-truth”的状況がひと役買っていることは、何よりも憂慮すべきことと思われます。センセーションに身を委せ、みずから知り、考えることを止めてしまうと、他者を集合的な属性でしか見られなくなって、他者の一人ひとりに対する細やかな注意力が失われてしまうのではないでしょうか。憎悪の根にそのような問題があることを示している一つが、最近通読したカロリン・エームケの近著『憎悪に抗して』(Calorin Emcke, Gegen den Hass, Frankfurt a.M.: Fischer, 2016)です。

img_2377それなしには「愛」の概念すらも考えられない、一人ひとりの他者に対する注意力。これが他者とのあいだに生きるなかに、不可欠のかたちで働いていることを思い出させ、それを深める契機をもたらしうるのが、人文学の知であり、芸術の営みであるはずです。これらの使命は今、従来にも増して重いものがあると考えられます。私自身は現在、一人ひとりの他者に対する細やかさを、歴史を生きるなかに、さらに言えば死者の魂とともに生きるなかに──それは、地上の生の基本的な条件をなしているはずです──回復する道を、歴史そのものを問うことをつうじて探っているところです。幸いなことに、今年は4月からそのための研究の機会をここベルリンで得ておりますが、時が経つのは早いもので、その期間も残り少なくなってまいりました。下記のクロニクルに挙げましたように、論文などはいくつか執筆し、すでに公にする機会にも恵まれておりますが、文献研究にはまだまだ不足を感じています。そして、あともう一つ論文をある程度の形にしておきたいとも考えています。

51fwl3vou1l今年は12月に入って、積年の課題であった細川俊夫さんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrerの翻訳を世に送ることができました。『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』という訳題にてアルテスパブリッシングから刊行されております。自然のなかに生きる魂の息吹から音楽そのものを考えさせる一書として、お手に取っていただければ幸いです。刊行に至る過程は、私にとって非常に学ぶことの多いものでした。また、自分の表現力のなさを呪いながら論文をドイツ語に訳して発表する機会を持てたのも、よい経験でした。校閲者と原稿を遣り取りする過程も学ぶことが多かったですし、論文の趣旨を理解してくれる人がいたことは、本当に嬉しかったです。中國新聞文化面「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題するコラムを連載できたのも、またとない経験でした。これらを、今後少しずつ思考の表現形態の幅を広げる足がかりにできればと思いますが、その前提として地道な研究の積み重ねがあることは言うまでもないことでしょう。引き続きご指導のほどよろしくお願い申し上げます。来たる年がみなさまにとって、少しでも平和で幸せに満ちた一年になりますように。

■Chronicle 2016

  • 1月25日:芸術批評誌『リア』第36号の特集「2015 戦争を視る」に、「褐色の時代に抗いながら戦争の核心に迫る表現の交響──広島県立美術館での『戦争と平和展』を見て」という表題の小文を寄稿させていただきました。2015年7月25日から9月13日まで広島県立美術館で開催された「戦争と平和展」の展覧会評です。ミロの《絵画》と靉光の自画像の同時代的な呼応を出発点としながら、ピカソ、井上長三郎、オットー・ディックス、浜田知明、香月泰男らにおける戦争の暴力の核心に迫る表現に触れるとともに、この展覧会に出品されていた作品からうかがえる戦争画の問題性にも言及する内容のものです。
  • 1月27日/2月3日/2月10日:ヒロシマ平和映画祭2015/16の催しとして、「奥間勝也Artist Talk+新作上映会──広島で記憶と継承を考える:沖縄の映像作家を迎えて」と「消された記憶の痕跡を辿り、現在の暴力の淵源に迫る映画『ルート181:パレスチナ〜イスラエル 旅の断章』上映会」を、広島市立大学講堂小ホールを会場に開催しました。また、2月10日には、「ドキュメンタリー作品上映+Talk Session:ヒロシマ/広島/廣島を映像で見つめ、伝える──映像作家・プロデューサー平尾直政さんを迎えて」を広島市立大学サテライトキャンパスにて開催しました。
  • 2月27日:成田龍一さんをはじめとする研究者が続けておられる科研費の研究会で最近の仕事を取り上げていただきました。岩崎稔さんに『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)を、村上陽子さんには『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ』(インパクト出版会、2015年)を、それぞれ綿密な読解にもとづいて論じていただきました。これらに対する応答の時間も取っていただきました。
  • 3月1日:形象論研究会の雑誌『形象』創刊号に、「ベンヤミンの形象の理論──仮象批判から記憶の形象へ」と題する論文と森田團さんの『ベンヤミン──媒質の哲学』(水声社、2011年)の書評が掲載されました。論文は、ベンヤミンが初期から最晩年に至るまで繰り広げた形象の理論を、彼の言語哲学、歴史哲学、美学の結節点と捉えたうえで、彼の思考の核心をなすものとして浮き彫りにしようとする内容のものです。言語を媒体と考える言語哲学を踏まえつつ、形象それ自体が媒体として捉えられていることを念頭に置きながら、「美しい仮象」の批判を経て、想起の媒体にして新たな歴史の場となる可能性へ向けて形象の概念を洗練させていくベンヤミンの思考を辿りました。
  • 3月20日:広島で開催された森元斎さんの著書『具体性の哲学──ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)の合評会で、「出来事の生成の哲学、あるいは生きられるアナキズム」と題する書評を発表しました。
  • 3月20日:広島市立大学広島平和研究所編『平和と安全保障を考える事典』(法律文化社)に、マルクス主義、国際共産主義運動、プロレタリア独裁、失地回復主義の項目を寄稿しました。
  • 3月26日:中央大学後楽園キャンパスにて開催された中央大学人文科学研究所の公開シンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫《海、静かな海》初演を振り返る」にパネリストとして参加し、「細川俊夫の作品に見る現代の芸術としてのオペラの可能性」と題する発表を行ないました。ベルリンでの《松風》、デュイスブルクでの《班女》、広島での《班女》および《リアの物語》というように、ドイツと広島で細川俊夫さんのオペラ作品の上演に接してきた経験を振り返りつつ、能の精神から現代のオペラの表現の地平を開拓してきた細川作品の特質に触れました。そのことを踏まえて、ハンブルクで初演された《海、静かな海》の細川さんのオペラ作品における位置をあらためて測り、その初演を振り返ることによって、東日本震災および原発事故後の現代に向き合うこの新たなオペラの特徴を現代の芸術としてのオペラの可能性へ向けて考察しました。
  • 4月1日:広島市立大学の学外長期研修制度にもとづくベルリンでの在外研究が始まりました。ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授の下で「〈残余からの歴史〉の哲学的・美学的探究」という研究課題に取り組んでいます。主に、ベルリン自由大学の文献学図書館とヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフを利用しながら研究を進めています。前期中の卒業論文の指導「卒論演習I」は、Skypeをつうじて行ないました。
  • 4月10日:出版総合誌『出版ニュース』2016年4月上旬号の「書きたいテーマ・出したい本」コーナーに「残余からの歴史へ」と題する小文を寄稿しました。詩人パウル・ツェランが語った、破局を潜り抜けて最後に残った言葉を手引きに、破局の残余の記憶が星座のような布置を形成し、相互に照らし合わせるなかに、現在の危機が照らし出されるような残余からの歴史の理論的な構想を提示する内容のものです。
  • 4月23日:4月23日から6月5日まで横浜美術館にて開催された「複製技術と美術家たち──ピカソからウォーホルまで」展のカタログに、「切断からの像──ベンヤミンとクレーにおける破壊からの構成」という論考を寄稿させていただきました。ベンヤミンが先の「複製技術時代の芸術作品」をはじめとする著作で示している、完結した形象の破壊、技術の介入によるアウラの剝奪、時の流れの切断などをつうじて新たな像の構成へ向かう発想を、クレーがとくに第一次世界大戦中からその直後にかけての時期に集中的に示している、作品の切断による新たな像の造形と照らし合わせ、両者のモティーフの内的な類縁性と同時代性にあらためて光を当てようと試みるものです。
  • 5月6日:秋富克哉、安部浩、古荘真敬、 森一郎編『続・ハイデガー読本』(法政大学出版局)に、「ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン──反転する時間、革命としての歴史」と題する論文を寄稿しました。これら三人のユダヤ系の思想家と、初期のハイデガーの時間論と歴史論を照らし合わせ、ユダヤ系の思想家たちが構想する「救済」と結びついた歴史の理論と、『存在と時間』の「歴史性」の概念に最初の結実を見ることになるハイデガーの歴史論との差異を見通す視座を探る内容のものです。
  • 5月19日/20日:4月6日から8月1日にかけてパリのポンピドゥー・センターで開催された大規模なパウル・クレー展「パウル・クレー──作品におけるイロニー」に関連して関連してGoethe-Institut Parisにて開かれた国際コロック「パウル・クレー──新たな視点」に参加しました。展覧会評と合わせたその報告記は、形象論研究会の雑誌『形象』第2号に掲載される予定です。
  • 6月27日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムにて、ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学についての研究の初期の成果を「想起からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学」と題して発表する講演を行ないました。
  • 7月27日:青土社の『現代思想』2016年8月号の特集「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する論文を寄稿しました。ベルリンと広島のアメリカを介した結びつきに、広島の被爆から現在も続く核の歴史の起源があることを確認したうえで、その歴史を担う人物としてのアメリカ合衆国大統領の来訪を迎えた広島の現在を、歴史的かつ批判的に考察する内容のものです。とくにそこにある「軍都」の記憶の抑圧と国家権力を正当化する物語への同一化が、沖縄の米軍基地の問題をはじめとする現在の歴史的な問題の忘却に結びついていることを指摘しました。そのうえで、一人ひとりの死者の許に踏みとどまるかたちで被爆の記憶を継承していくことのうちに、国家権力の道具となることなく、他者とともに歴史を生きる道筋があることを、残余からの歴史の概念の研究構想のかたちで示唆し、この歴史のグラウンド・ゼロとして広島を捉え返す思考の方向性を提示しました。
  • 8月16日〜19日:広島市立大学国際学部の専門科目「共生の哲学I」の集中講義を行ないました。
  • 8月30日〜9月8日:中國新聞文化面の「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題する全8回のコラムを寄稿しました。ベルリンでの在外研究期間中に見聞きしたことを交えつつ、今も続く核の歴史に、記憶することをもってどのように向き合いうるか、その際に芸術がどのような力を発揮しうるか、といった問いをめぐる思考の一端を綴るものです。
  • 8月31日:原爆文学研究会の会誌『原爆文学研究』第15号に、能登原由美さんの著書『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿しました。長年にわたり著者が取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。
  • 9月25日/26日:ヴァルター・ベンヤミンが1940年に自死を遂げたスペインのポルボウを調査に訪れました。それをつうじて得られたことはいずれ著書などに反映させたいと考えています。
  • 10月〜2月:広島市立大学国際学部の専門科目「専門演習II」と「卒論演習II」(卒論指導)を、Skypeをつうじて行なっています。「専門演習II」では、テオドーア・W・アドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を講読しています。
  • 10月2日:ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられるHiroshima-Salon(ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieにて)のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しお話させていただきました。
  • 10月20日/21日:ミュンヒェンのHaus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を観覧しました。この展覧会は、第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、Postwarという視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとする大規模なものです。そこに丸木位里、丸木俊の《原爆の図》から2点が出品されたことも含め、お伝えしていく予定です。
  • 11月26日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催したひろしまオペラルネッサンス2016年度公演《修道女アンジェリカ》、《ジャンニ・スキッキ》(11月26日/27日、JMSアステールプラザ大ホールにて)のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ──プッチーニの『三部作』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。「三部作」の作曲に際してプッチーニがダンテの『神曲』を意識していたことを踏まえつつ、第一次世界大戦のさなかに書かれたこのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。歌とハーモニーの美しさが際立つ《修道女アンジェリカ》とドラマの展開が特徴的な《ジャンニ・スキッキ》の魅力に触れつつ、「三部作」が、ダンテの作品とは異なったかたちで生がその全幅において掬い取られる場を開いていると指摘しました。
  • 11月29日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで、「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」と題する論文をドイツ語に訳したものを発表する講演を行ないました。その日本語の原稿は、形象論研究会の会誌『形象』の第2号に掲載される予定です。
  • 12月12日:細川俊夫さんの対談書『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、拙訳にてアルテスパブリッシングから刊行されました。2012年にドイツで出版された細川俊夫さんと音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrer (Hofheim: Wolke, 2012) の日本語版です。現代を代表する作曲家細川俊夫さんがその半生とともに、創作と思索の軌跡を語った対談書ですが、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、その音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論でもあります。一書にまとまった評論としては世界初です。日本語版には、細川さん自身による新たな序文、豊富な写真や譜例の他、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィを収録しています。

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。

『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行のお知らせ

51fwl3vou1l広島に生まれ、現代日本を代表する作曲家として世界中で活躍されている細川俊夫さんが、その創造の源泉と思索の軌跡を語った「対話による自伝」とも呼ぶべき対談書、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されます。12月12日には、各書店の店頭に並ぶとのことです。

本書は、ドイツですでに2012年にWolke社より出版されている、Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter Wolfgang Sparrerの日本語版ということになります。聞き手を務めているのは、ドイツの音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさん。細川さんの作曲の師尹伊桑の音楽の研究者として、東アジアの音楽に深い関心を持ち続けるとともに、細川さんの作曲活動をベルリン留学時代からずっと見守ってこられた方です。序文は、細川さんと深い親交で結ばれているだけでなく、細川さんの音楽に今も刺激を与え続けている作曲家ヘルムート・ラッヘンマンさんによるものです。

原書刊行から4年以上が経過してしまいましたが、こうして日本語版の刊行に漕ぎ着けられたのは、何よりもまずアルテスパブリッシングの木村元代表の深いご理解とお力添えの賜物です。編集の実務は、青土社時代にピエール・ブーレーズの『標柱 音楽思考の道しるべ』や『現代音楽を考える』などを手がけられた水木康文さんにご担当いただきました。水木さんのきわめて綿密で誠意に満ちたお仕事がなかったら、本書をここまで仕上げることはできませんでした。寺井恵司さんに、装幀を含め本書全体を美しくデザインしていただけたのも非常にありがたかったです。

さて、シュパーラーさんの手によってまとめられた原書の最大の特色は、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、細川さんの音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論であるということです。一書にまとまった評論としては世界初ということになります。細川さんの作曲活動の出発点や、その新たな展開への転換点となった場所を軸とした章では、細川さんの音楽が、同時代の音楽の文脈から独特の位置において浮かび上がっています。あるいは、「花」のような細川さんの作曲のテーマを焦点とする章では、作曲の基本理念と方法が、音楽を専門としない読者にも分かりやすい言葉で語られています。

そればかりでなく、今音楽とは何か、日本からの音楽は何でありうるか、芸術の社会的位置はどこにあるのか、その源にある自然のなかの、また自然とともにある人間の生は今どうなっているのか、といった問題をめぐって、細川さんの深い思索が繰り広げられていることも、原書の特色として見逃せません。翻訳に際しては、原書のそのような特色を最大限に生かせるよう微力を尽くしました。まずは、ようやく日本での演奏機会が徐々に増えてきた細川さんの作品の原点にあるものを、さらにはその作曲を貫く思想を理解する一助として、本書を役立てていただけることを心から願っております。もし本書が、芸術との関わりを、さらには自然との関係を深いところから見つめ直すきっかけになるとすれば、これに勝る幸いはありません。

日本語版の最大の特色としてまず、細川さんから特別に新たな序文をお寄せいただいていることを挙げなければなりません。また、ショット・ミュージックの多大なご助力により、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィが収録されているのも、日本語版独自の際立った特色と言えるでしょう。人名と細川さんの作品名の索引も付しました。それゆえ一種の資料集としても、お手許に置いて長くお使いいただけるものと考えております。豊富な写真と譜例、それに図版も、原書から引き継いでいます。これらを眺めるだけでも、かなり見応えがあるのではないでしょうか。

至らぬ点もあろうかとも思いますが、音楽を愛好する方々に、細川さんの音楽の世界を開くとともに音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、本書が広く手に取っていただけることを願ってやみません。西洋の音楽と文化に正面から向き合いながら、日本、そしてアジアの音楽の核心にあるものを深い源泉から汲み上げ、世界へ向けて響かせ続けている細川さんの音楽の世界を、その原風景から開く本書は、音楽そのものが生まれる現場へ読者を導き、その音楽観を変えるきっかけになるものと信じております。

ベルリンへ/Nach Berlin

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2003年の冬に訪れたときのイーストサイド・ギャラリー

早いもので今年も桜が見頃になりました。近所の三瀧寺の周辺も多くの花見客で賑わっています。毎年そのような時期になると、新たな年度、そして新たな学期も始まって、何かと気ぜわしくなるものですが、今年は普段とは別の慌ただしさがあります。今年度は、勤務先の大学の学外長期研修制度により、4月1日から明くる年の2月10日まで、ベルリンで在外研究を行ないますので、その準備に追われていたのです。おかげさまですでに住居は確保していますし、荷造りなども済んではいるのですが、さまざまな仕事に追われているうちに、肝心の研究計画をしっかりまとめ直す時機を逸してしまいました。ベルリンに着きしだい、当地で行なう研究の照準を合わせ直し、そのために取り組まなければならないことを整理したいと思います。

すでに別稿に記しましたとおり、ベルリン滞在中は、まずはベンヤミンの著作や書簡などをしっかり読み直しながら、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的かつ美学的に追求したいと考えています。そこへ向けて、ベンヤミンの歴史への問いを、彼の問い自体を掘り下げながら引き受けていきたいと思います。ちなみに、残余からの歴史とは、これもすでに述べましたとおり、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史とひとまず言えるでしょう。その歴史の可能性は、史実の探究と美的表現が交響するところに開かれるのではないでしょうか。

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2004/05年の在外研究の際に撮影した博物館島の風景

ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、この大学の図書館で、あるいはベルリン芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフで、ベンヤミンのテクストとそれに関する文献を読み、この残余からの歴史の概念を掘り下げる傍ら、週に一度くらいは、優れた音楽や舞台に接する時間も取りたいものです。それをつうじて、先日の中央大学人文科学研究所のシンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演を振り返る」のテーマでもあった、現代の世界における音楽や舞台芸術の可能性についても考えを深めたいと考えています。

また、ベルリンには近郊にザクセンハウゼンの収容所跡がありますし、中心部にも「テロルのトポグラフィー」をはじめ、全体主義的ファシズムとその戦争、そして虐殺の歴史を伝えるモニュメントなどが無数にあります。それらがどのように造られていて、どのように記憶を喚起するかを観察することも、研究にとって欠かせないことでしょう。こうしたモニュメントへのアートの介入とその意義を検討することは、広島での記憶の継承の姿を、その可能性において考えるうえでも重要なことと思われます。さらに、今回の滞在中は、さまざまな背景を持つ人々の相互理解および共存の試みと、排外主義的な主張の両方を目の当たりにすることにもなるはずです。2004/05年の冬学期の時期にポツダムに研究滞在していた時にもベルリンは頻繁に訪れていましたが、その頃からすると、街の風景もところどころ変わったことでしょう。街の変化を見るのも楽しみなところです。

このように、ベルリン滞在中に取り組みたいことは、挙げだしたらきりがありませんが、10か月ほどのあいだにできることは限られているでしょう。まずは、文献をしっかり読むことに力を注がなければと思います。それに、今回は家族で滞在するので、しばらくは生活が落ち着かないかもしれません。身辺に気をつけなければならない場面も多くなるでしょう。いずれにしても、滞在中は対応しきれないことが多々あるにちがいありません。ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。いよいよ今日出発します。

細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演を振り返るシンポジウムのご案内

中央大学人文科学研究所公開シンポジウムflyer東日本大震災と福島第一原子力発電所の過酷事故が起きてから5年の月日が経ちました。それとともに、これらの出来事が人々の魂に残した傷がいかに深かったかが、浮き彫りになりつつあるように思われます。被災した人々のそれぞれの場所での生活再建がままならない状況は言うまでもありませんが、津波などで肉親を亡くし、自分だけが生き残ったことの負い目を抱えるなかで心身を磨り減らし、早く亡くなる人が後を絶たないことも、座視できないことでしょう。こうした問題があるなかで、未だ2600名に近い行方不明者がいることは、非常に痛ましいことです。その一部が、防護服なしには捜索に行くことすらできない場所に置き去りにされていること、それはいわゆる「原子力政策」の取り返しのつかない過ちを物語っているばかりでなく、壊滅的な放射能汚染の危険をも告げているのではないでしょうか。にもかかわらず、政府と電力会社は、原子力発電所の再稼働を押し進めています。

このように、大震災も原発事故も未だけっして終わっていないなか、深刻な危機に直面している現在を照らし出すとともに、そこに生きることを根底から見つめ直させるのが、今年の1月24日にハンブルク州立歌劇場で世界初演された細川俊夫さんのオペラ《海、静かな海》だと思われます。ケント・ナガノさんの指揮と平田オリザさんの演出による世界初演の模様は、3月14日の午前0時よりNHK-BSの「プレミアムシアター」の枠内で放送されましたので、ご覧になった方もおられることでしょう。この放送を私も見ました。すでに別稿に記したとおり、私は《海、静かな海》の世界初演をハンブルクで観ているわけですが、「フクシマへのレクイエム」と題されたドキュメンタリーとともにその初演を見直すことで、新たに知ったことや発見したことがありました。細川さんの音楽や、福島と広島の結びつきなどについても、あらためて考えさせられたところです。

さて、来たる2016年3月26日(土)に、細川さんの《海、静かな海》のハンブルクでの世界初演、そしてその模様の放送を踏まえたうえで、この新たなオペラの世界初演の意義を検討し、現代のオペラの可能性を、その社会との関係などを含めて考えるシンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫《海、静かな海》初演を振り返る」が、中央大学の人文科学研究所の主催により開催されます。時間は14時より17時半までで、会場は中央大学後楽園キャンパスの6210号室です。昨年のシンポジウム「《リアの物語》から考える──日本での現代オペラ上演の現状と課題」と同様、今回も現代のオペラの可能性を世界的な動向を視野に追求し続けておられる、中央大学の森岡実穂さんにコーディネイトしていただきました。今回のシンポジウムにおいては、細川さん自身が《リアの物語》から《海、静かな海》に至るオペラ作曲の歩みを語ってくださるのが何よりも貴重と思われます。細川さんにとって、オペラの作曲とは何か、またどのような音楽思想の下で《海、静かな海》が作曲されたのか、といったことを詳しくうかがえることでしょう。

また、演出家の佐藤美晴さんより、《海、静かな海》のハンブルクでの世界初演のプロダクションに演出助手として加わった経験をお話しいただけるのも、とても貴重なことでしょう。ドイツにおけるオペラ制作の実情を詳しくうかがうなかで、日本におけるオペラ制作の課題も浮かび上がってくるのではないでしょうか。私も、「細川俊夫の作品に見る現代の芸術としてのオペラの可能性」と題して拙いお話をさせていただきます。主にドイツと広島で細川俊夫さんのオペラ作品の上演に接してきた経験を振り返りることで、《海、静かな海》の細川さんのオペラ作品における位置を測り、その初演を振り返ることによって、大震災と原発事故後の現代に向き合うこの新たなオペラの特徴を掘り下げ、さらに細川さんの作品から見て取られる、現代の芸術としてのオペラの可能性の一端に迫ることができれば、と考えております。

ご参加の方々を交えた議論をつうじて、《海、静かな海》の初演の意義をさらに掘り下げ、現代の芸術としてのオペラの可能性を検討できれば、実りあるシンポジウムになることでしょう。現代の音楽に関わっておられる方々、オペラや演劇など、舞台芸術に関わっておられる方々、これらの芸術に関心をお持ちの方々などが、数多く議論に加わってくださることを願っております。入場無料で、事前の申し込みも不要とのことです。お問い合わせ先は、中央大学人文科学研究所(Tel.: 042-674-3270)です。共催に加わってくださった東京ドイツ文化センターのウェブサイト日本独文学会のウェブサイトにも、情報が掲載されております。どうぞ奮ってご参加ください。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演に接して

波の打ち寄せる音が微かに聞こえてくるなか、一人また一人と街の人々が灯籠を手に海辺へ集まってくる。やがて響く下から突き上げるような地鳴りの音。それに続く、湧き立ち、押し寄せるような打楽器の前奏とともに、細川俊夫のオペラ《海、静かな海(Stilles Meer)》の世界初演(2016年1月24日、ハンブルク州立歌劇場にて)は始まった。その響きは、東日本大震災の被災地で今も断続的に続いている地震と、5年が経とうとする大震災の衝撃のフラッシュ・バックとを、一つながらに表わしているように感じられてならない。細川のこれまでのオペラには見られない激烈な一撃による開始は、取り返しのつかない出来事の傷痕が残る海辺へ、聴衆を一瞬で惹きつけていた。しばらくして、この打楽器だけの前奏が静まると、そこに留まり、生き続けることの内側にあるものが、歌とともに響いてくる。

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細川俊夫《海、静かな海》の舞台 ©Staatsoper Hamburg

地震が続き、震災の記憶が回帰する場所に留まること。それは何よりもまず、世界の崩壊への恐怖に脅えながら日々を過ごすことである。原発事故がもたらした土壌と水質の放射能汚染によって壊されてしまった日常を。そのことは、視覚的にも表現されていた。舞台上に垂直に吊るされた細長い灯は、今も事故を起こした原子炉に残る燃料棒を思い起こさせずにはおかない。人々の暮らしは、いつでも倒れて、世界をそこに生きる生命もろとも根底から破壊しかねない燃料棒の下にあるのだ。

震災と原発事故によって震撼させられた後の世界に生きることへの不安は、折々に繰り返される合唱の歌によっても表現される。「月のない夜は星に聞け。/星のない夜は波に聞け。波のない夜は雲に聞け……/山は死ぬるか?/海は死ぬるか?/空は死ぬるか?」この詩句を歌う音型は、とくに節の末尾の音の上昇において、細川が6年前にドレスデン空襲と広島への原爆投下の犠牲者に捧げた《星のない夜──四季へのレクイエム》(2010年)の合唱の旋律を思い起こさせずにおかない。世界の崩壊を予感するようなゲオルク・トラークルの詩を響かせるその旋律は、自然の底知れぬ力に慄きながら、生への祈りを響かせていた。《海、静かな海》における合唱は、それを反響させるかのように、世界の終わりの予感に脅えながら、生存への切なる願いを歌っているように聞こえた。その響きは、初めのうち少し生硬だったが、徐々にしなやかさと説得力を増していった。最後の場面の合唱の清澄な響きは、作品の全体を聴衆に深く印象づけたにちがいない。

最初の合唱が静まると、オーケストラの緊張に満ちた響きが、静かに空間に浸透していく。それはこのオペラの基調をなしながら、象徴的な装置とともに一つの舞台を形成するものと言えよう。その舞台の上で、震災と原発事故の後の痛々しい現実と、冥想とが、歌とともに浸透し合う。そして、被災地であるとともに、夢幻の世界でもあるこの舞台を結節点として、震災の津波で夫と息子を失ったバレエ教師クラウディア、その夫の姉ハルコ、そしてクラウディアの元恋人で、彼女を連れ戻しにドイツからやって来たシュテファンの思いが交錯する。平田オリザの原作による台本と彼の演出は、この三人の主人公の人物像を見事に描き分けていたが、細川の音楽は、三者が区別されながら通じ合う──だからこそ、三者は激しく思いをぶつけ合うのだ──ところにも光を当てている。三者が相通じるのは、死者、とりわけクラウディアとシュテファンのあいだに生まれた息子マックスへの哀惜の思いである。これを細川は最終的に、念仏の声に収斂させる。

「南無阿弥陀仏」の念仏の声は、能の「隅田川」から取られたものであり、その一節を三人が演じてみようとする際に聞かれる。オペラ《海、静かな海》は、「隅田川」を重要な準拠枠とし、その能と同じく、息子の死を受け容れられない母親を軸にドラマを展開させながら、この母親の、能のなかで歌われるように「狂うて」いるかのようですらある死者の許への跳躍を音楽で響かせ、死者とともに生きる魂の姿を浮き彫りにする。このオペラも細川のこれまでのオペラと同様に、能の精神を現代に生かすことで、被災地を舞台とする今回のオペラの舞台にこそ相応しいかたちで、死者と生者のあいだを開き、そこに留まることの核心に迫ろうとしているのだ。そのことは、夢幻の世界への魂の上昇を、歌のかたちで響かせることによってこそ可能なのである。

そのための声の選択は、実に興味深い。クラウディアの役がソプラノの声域に、またハルコの役がメゾ・ソプラノの声域に割り当てられることは容易に想像がつくとしても、シュテファンの役がカウンター・テナーによって歌われるのは、やや意外に思われるだろう。しかし、音楽を聴き続けるうちに、そのことに重要な意味があることが分かってくる。三重唱になる場面では、近接した音域で歌うハルコとシュテファンの声の上に、クラウディアの声が浮き上がり、同時に彼女と残りの二人の立場の違いが浮き彫りになる。他方で、シュテファンが一人で歌う場面では、津波で流された息子へ語りかける言葉に、まさに能が表現してきた、彼岸へ向かう魂の動きが込められるのである。この役を歌ったベジュン・メータは、きわめて完成度の高い歌唱で、シュテファンの哀惜と絶望を切々と響かせていた。

シュテファンとともにクラウディアに息子の死を受け容れさせようとするハルコを歌った、藤村実穂子の存在感も忘れがたい。「マックスは死んだのよ」という突き刺すようなハルコのひと言は、彼女が死者への思いとのあいだに引き裂かれながら、被災地の現実を凝視しようとしているだけに重みがある。そのことを歌う「汚れた子供……」と始まる一節は、原発事故に遭うということを、その奥底から抉り出していたのではないだろうか。切り詰められた伴奏の上で歌われるこの一節は、オペラの舞台の肉眼では見えない現実を、聴き手に鋭く突きつけるものと言えよう。その現実を生きながら、同時に冥想の世界に留まり、息子の魂の傍らに生き続けようとするのがクラウディアであるが、彼女の役を歌ったスザンネ・エルマークは、細やかなニュアンスを湛えた声と振幅の豊かな表現で、彼岸と此岸を媒介する役を見事に演じていた。津波に流された死体のありさまを抉り出す強い歌もさることながら、能舞台の橋掛かりのような通路の上で歌われる、彼岸へ立ち昇るかのような、柔らかな祈りの歌が何よりも印象的であった。その美しさは、死者へ思いを寄せ、死者に応えようとする魂の美しさだったのではないだろうか。

これら三人の主人公をはじめとする役柄のために細川が書いた音楽は、彼のこれまでのオペラに比べると、素直に歌う部分が多いように聞こえるが、それによって言葉が明確に響いたのは、《海、静かな海》のリブレットの性格にも、またオペラ自体の性格にも相応しいのではないだろうか。その一方で、打楽器だけの間奏曲──前奏にはその一部が採られている──がとくに印象的なオーケストラのパートは、非常に表情が豊かである。総奏で、激烈な高まりと、静謐さの双方を表現する一方、自在に楽器編成を変えながら、多彩な響きを聞かせている。それによって、このオペラの舞台における時間の重層性を表現することに成功していた。先に触れたハルコの歌の伴奏の張りつめた静けさとともに、クラウディアの柔らかな歌にエコーのように寄り添うヴィオラの独奏がとくに印象的であった。ケント・ナガノ指揮によるオーケストラの演奏は、すでにして説得力豊かであったが、公演を重ねるごとにさらに精度と表現の振幅を増していくだろう。

「隅田川」を使ってクラウディアにマックスの死を受け容れさせ、彼女をドイツへ帰そうというハルコとシュテファンの試みは、クラウディアを説得するには至らず、彼女が語るように、それぞれが「それぞれの故郷に」赴くことになる。三人が三様の方向へ歩み始め、彼岸の灯籠流しを終えた人々が防護服を着けて墓地へ向かおうとするなか、音楽は穏やかに静まっていく。震災も原発事故もまったく終熄していない──そのことは、人々を危険な「避難区域」の墓地へ導くロボットがはっきりと表わしている──なかで、死者の傍らに留まりながら、また震災と原発事故のトラウマを抱えながら日々を歩んでいこうとする姿の静けさ。それは、水面が優しく輝く海の静けさと呼応している。その地点まで、震災と原発事故に遭った後に生きること自体を、その可能性において突き詰めていくオペラ《海、静かな海》には、現在への厳しい問いも含まれていよう。

オペラの舞台となった街の灯籠流しには、広島と長崎で今も続けられている灯籠流しとある共通点がある。それは、いずれの灯籠流しも、どこで死んだかも、どこに遺体があるのかも、核のために分からなくなってしまった死者に捧げられているということである。《海、静かな海》というオペラ自体も、これらの場所の灯籠のように、そのような死者に捧げられているにちがいない。それを貫く独特の静けさは、未だ遺体の見つからない死者の存在を忘却し、波間に置き去りにして、ひたすら「前へ」、原発を再び動かしてでも進もうとする国の喧騒を、無言のうちに鋭く問いただしていよう。2016年1月24日、細川俊夫のオペラ《海、静かな海》は、聴衆の盛大な喝采とともに、現在への問いを含みながら、ハンブルクから世に送り出された。この出来事に立ち会った者は、震災も原発事故もまだけっして終わっていないことを、深く心に刻んだはずである。

Chronicle 2015

年の瀬とは思えない暖かい日が続いていますが、お変わりないでしょうか。気候の尋常ならぬ穏やかさに、かえって気持ちが落ち着かない日々を過ごしております。空気の生暖かさは、戦争のなかで虐げられてきた人々や、今も日々追いつめられている人々の苦悩を覆い隠し、こうした人々が曝されている暴力を問う思考を鈍らせるものにすら思えるのです。被爆、そして敗戦から70年の節目の年が暮れようとしてしている今、70年のあいだ時に声にならないかたちでも発せられてきた、抑圧されてきた人々の言葉を、神話としての歴史に抗って聴き直していくことの重要性を、あらためて確認すべきではないでしょうか。このことが、来たる年も思考を継続する出発点になると思われます。

IMG_1727そのことの重要性を、私自身先日「被爆70年ジェンダー・フォーラムin広島」に参加して噛みしめたところです。入念な準備を経て開催されたこのフォーラムは、「広島/ヒロシマ/廣島」に凝縮される問題を考え続ける起点となるような、人と問いの交差点(intersection)になったのではないでしょうか。私はそこで得たさまざまな刺激を、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的、かつ美学的に考えることに生かしたいと思っています。その歴史をひとまず、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史と特徴づけられるでしょうし、その可能性は史実の探究と美的表現の交響のなかに探られうると考えているところです。

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残余からの歴史が開く場所なき場には、今まさに神話的に喧伝されている「最終的解決」も「不可逆」性もありえません。そこには絶えず死者が到来し、過去に新たに向き合わせます。そのことが、現在を記憶の布置のなかに照らし出すのです。「時の関節が外れた」場に身を置いてこのことを潜り抜けてこそ、自分自身を、性差別を含んだかたちで規定された「国民」的な従属゠主体性を脱するかたちで、他者への応答可能性へ向けて変貌させうるのではないでしょうか。このことが、とりわけ東アジアに生存の余地を開くためにも、喫緊に求められていると思われてなりません。

来年は、こうした残余からの歴史の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」をはじめとする歴史哲学的著作の読み直しにもとづいて探究することを中心的な課題としたいと考えているのですが、それに取り組むための時間を、4月より広島とは別の場所でいただくことになりました。来年度は、ベルリンにて、当地のベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、およそ10か月間の在外研究を行ないます。この大学の図書館でも充分に研究のための資料は閲覧できるでしょうが、幸いベルリンには、芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフもありますので、こちらも併せて活用しながら研究を進めたいと考えています。

9784755402562以下にクロニクルのかたちで記すように、今年は非常に忙しく過ぎていきました。そのことにはもちろん、今年が被爆と敗戦から70年の年だったことも作用しているにちがいありません。そのような節目の年に、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)を上梓したのをはじめ、今までになく多くの文章を公表できたことは、非常に光栄に思っておりますし、その執筆過程で学ぶことも多々ありました。しかし、そのぶん地道な研究がいくらかおろそかになった感は否めません。来年4月からのベルリンでの在外研究のあいだは、テクストを丁寧に読むことにできるだけ多くの時間を割きたいと思います。

IMG_1898今年も大学での講義や公務に追われながら研究と執筆に勤しむ毎日でしたが、その合間を縫うかたちで、パリ、チューリヒ、そしてテル・アヴィヴとイェルサレムへ旅することができたのは、忘れがたい思い出になりました。そのなかで、素晴らしい音楽や舞台、あるいは美術に触れられた喜びについては、すでに記したとおりですが、それ以上に現地で人と会って語り合う時間を持てたことの貴重さを、今は噛みしめているところです。細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演に関わる仕事で明けた今年は、音楽との関わりがさらに深まるとともに、美術との関係も強まった一年でした。こうした芸術との関わりを大切にしながら、研究の深化に努めたいと考えております。このところ文字どおり足腰を鍛えることに少し精を出してきましたが、来年はそれを継続しつつ、研究の足腰も鍛え直したいものです。引き続きご指導くださいますようお願い申し上げます。来たる年が、みなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になりますように。

■Chronicle 2015

  • 1月30日:1月30日と2月1日の二日にわたりHiroshima Happy New Ear Opera IIとしてJMSアステールプラザ中ホールにて開催された細川俊夫作曲のオペラ《リアの物語》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:ルーカ・ヴェッジェッティ)のプログラムに、「夢幻能の精神からの新たなオペラの誕生──細川俊夫《リアの物語》によせて」と題するプログラム・ノートが掲載されました。また、今回の《リアの物語》の公演に際しては、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会も務めました。
  • 2月20日:広島芸術学会の会報第131号に、「芸術の力で死者の魂と応え合う時空間を──被爆70周年の広島における表現者の課題」と題する巻頭言が掲載されました。
  • 2月28日:原爆文学研究会の会報第46号に、2014年12月21日に九州大学西新プラザでの第45回原爆文学研究会において行なわれた「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」のなかで行なった研究発表「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」の報告が掲載されました。
  • 3月20日:広島県と広島市が協働して組織した国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会のひろしま復興・平和構築研究事業の成果を教材としてまとめた小冊子『広島の復興の歩み』に、広島の被爆の記憶をテーマにした映画を紹介するコラム「映像に見るヒロシマ」が掲載されました。なお、この小冊子には英訳版“Hiroshima’s Path to Reconstruction”があります。
  • 3月29日:中央大学駿河台記念館で開催された中央大学人文科学研究所の公開研究会として開催されたシンポジウム「《リアの物語》から考える──日本での現代オペラ上演の現状と課題」にて、「広島から現代のオペラを創るために──細川俊夫《リアの物語》広島初演の成果と課題」と題する講演を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「専門演習I」、そしてオムニバス形式の「多文化共生入門」の一部を担当しました。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想I」では、アライダ・アスマンの『想起の空間』などを講読しました。同研究科のオムニバス講義「平和学概論」でも一回講義を行ないました。広島市立大学の全学共通系科目の「世界の文学」と「平和と人権A」の一部の講義も担当しました。日本赤十字広島看護大学では、「人間の存在」の講義を担当しました。広島大学では、教養科目「哲学A」を担当したほか、同じく教養科目である「戦争と平和に関する総合的考察」でも二回講義を行ないました。
  • 6月11日:ヒロシマ平和映画祭のプレ・イヴェントとして本願寺広島別院共命ホールで開催された、青原さとし監督の映像叙事詩『土徳流離──奥州相馬復興への悲願』上映会のトーク・セッションに進行役およびパネリストとして参加しました。
  • 7月3日:県立広島大学サテライトキャンパスひろしまにて、『九月、東京の路上で──1923年関東大震災ジェノサイドの記憶』の著者加藤直樹氏をお招きして広島市立大学特別公開コロキアム「記憶を編み直す──いま、関東大震災時の虐殺を語る意味」を開催しました。30名ほどの市民や学生のみなさんが熱心に参加してくださいました。
  • 7月15日:インパクト出版会より著書『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』を上梓しました。今ここでヒロシマを想起しながら、死者を含めた他者とともに生きることとして平和を捉え直すというモティーフの下、広島の地で2007年から2015年にかけて書き継がれた評論や論考、講演録の集成です。第1部には、想起の媒体としての芸術、さらには言葉の可能性を探る評論や講演をまとめ、第2部には、ヒロシマ平和映画祭などの場での講演の記録などを収めています。第3部には、書評を中心とした評論を、そして第4部には、被爆の記憶を継承することにもとづいて平和の新たな概念を追求する論考を収録しています。
  • 7月31日、8月28日、9月25日:東京ドイツ文化センター図書館にて、「ベンヤミンの哲学──言語哲学と歴史哲学」と題する連続講演会を行ないました。2014年7月に上梓した拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の内容を基に、第1回ではヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を概観し、第2回では彼の言語哲学を、第3回では彼の歴史哲学を紹介しました。毎回図書館の閲覧室が一杯になるほど多くの方々に熱心にご参加いただき、ディスカッションも大変盛り上がりました。
  • 8月7日:広島交響楽団の主催で中国電力本社ホールにて開催された「アニー・デュトワ博士と広島の学生との平和交流&萩原麻未による被爆ピアノ演奏」の司会を務めました。
  • 8月8日:週刊書評紙『図書新聞』第3218号の特集「『戦争法案』に反対する」に、「記憶を分有する民衆を、来たるべき東洋平和へ向けて創造する──平和を掠め取り、言葉を奪い、生きることを収奪する力に抗して」と題する小文をが掲載されました。平和という言葉のみならず、言葉そのものを、さらには生きること自体を食い物にしながら、平和主義を根幹から骨抜きにしようとする政権の無法な動きを、歴史的な問題として見据えつつ、まさにその動きに抗して、国会前で、各地の街頭で、そして大学のキャンパスで生まれつつある言葉を、記憶を分有する民衆の創造へ向けて結び合わせることを要請するささやかな平和宣言です。
  • 8月28日:広島芸術学会の会報134号に、8月1日に広島県立美術館講堂で行なわれた広島芸術学会第29回大会における田中勝氏の研究発表「積極的平和と芸術──『ゼロ平和』から見る芸術の創造的価値」の報告が掲載されました。
  • 8月29日:駒場アゴラ劇場で行なわれた下鴨車窓の公演『漂着』のポストパフォーマンス・トークで、この作品の作家で演出家の田辺剛さんと対談させていただきました。『漂着』の舞台は、オシプ・マンデリシュタームが詩について語った「投壜通信」からインスピレーションを得ながら、言葉の遣り取りのなかに含まれる絶望と希望を、あるいは奇跡と破局を、映像作家の生活と、彼が作り出そうとする虚構の世界を往還しながら浮かび上がらせるものでした。
  • 9月26日:9月26日と27日にJMSアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《フィガロの結婚》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:岩田達宗)のプログラムに、「エロスを昇華させる歌の美、赦しの瞬間の崇高──モーツァルトの《フィガロの結婚》の新しさ」と題するプログラム・ノートが掲載されました。
  • 10月1日:11月21日と28日に淀橋教会で開催された「細川俊夫10×6還暦記念コンサート」のフライヤーとウェブサイトに、この演奏会の意義と魅力を紹介する小文が掲載されました。
  • 10月〜2016年2月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」、そして「専門演習II」を担当しています。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想II」では、米山リサの『広島、記憶のポリティクス』などを講読しています。広島市立大学では、全学共通系科目の「哲学B」も担当しています。広島大学では教養科目「哲学B」の講義を、広島都市学園大学では「哲学」の講義をそれぞれ担当しています。
  • 10月10日:『図書新聞』第3225号に、鹿島徹氏が批判版ヴァルター・ベンヤミン全集の『歴史の概念について』の巻に異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた、ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社、2015年7月)の書評「アガンベン稿とも呼ぶべき最初のタイプ稿を底本とした新たな翻訳──ベンヤミンのテーゼの読み直しは歴史そのものを捉え直す、かけがえのない出発点」が掲載されました。
  • 12月4日:エリザベト音楽大学のセシリアホールで開催された同大学のクリスマスチャリティーコンサートのプログラムに、細川俊夫作曲《星のない夜──四季へのレクイエム》の作品解説と歌詞対訳が掲載されました。
  • 12月12日:原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の第14号に、論文「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」が掲載されました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようとする内容です。
  • 12月17日:ベルンのパウル・クレー・センターに集う研究者の編集によるクレー研究の国際的なオンライン・ジャーナル“Zwitscher-Maschine”に、7月5日から9月6日にかけて宇都宮美術館で開催されたパウル・クレー展「だれにもないしょ。」の展覧会評の英語版“Viewing the Paul Klee Exhibition »This is just between Ourselves«”が掲載されました。
  • 12月22日:世界的な打楽器奏者中村功氏を迎えてJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第20回の演奏会「打楽器の世界」のアフター・トークの司会を務めました。

晩秋から初冬にかけての演奏会と仕事

早いもので、今年も残すところ二週間足らずとなりました。冬とは思えない、どこか生暖かい感じの気候が続いていますが、お変わりありませんか。私はと言いますと、今年はいつになく慌ただしい師走を過ごしているところですが、この一週間ほどは、広島を離れて自分の研究の位置を省みたり、世界的な研究の動向に触れたり、さらには現代世界の問題が凝縮している状況に接したりすることができました。そこからあらためて広島の現在についても考えさせられました。これについてはまた稿をあらためてお伝えすることにして、ここでは、11月下旬から12月初旬にかけて聴くことのできた演奏会と、それに関わる仕事のことをご報告することにします。

まず、11月21日と28日の二日にわたり、細川俊夫さんの還暦を記念して企画された「細川俊夫10×6還暦記念コンサート」を聴かせていただきました。細川さんが作品を発表し始めた頃からともに歩んできたアーティストや、これからの音楽を担う若いアーティストがみずからの音楽を携えて集い、細川さんの音楽をその原点から見つめ直す、還暦記念に相応しい連続演奏会でした。細川さんの音楽思想の四つのテーマを軸とした構成によって、細川さんの音楽思想の深まりを辿る場にもなったと思います。演奏会のウェブサイトとフライヤーにこの演奏会に寄せる小文を寄稿させていただいたことを、非常に光栄に思っております。

まず、印象的だったのが、両日の演奏会の冒頭に、和楽器の本曲の演奏が置かれたことです。尺八の音が空間全体を震わせながら立ち上がり、笙の音が幾重にも襞を拡げていくところに、細川さんの音楽の源にあるものを垣間見る思いがしました。沈黙のなかから生の息遣いとともに響き始め、空間と共振しながらひと筋の線を描いていく、空間と時間の書(カリグラフィー)としての音楽、それが日本の伝統のなかで追求されてきた音楽と深いところで呼応し合っていることを、アコーディオン独奏のための《メローディア》(1979年)のような最初期の作品からも、はっきりと感じ取ることができました。

今回の連続演奏会では、この作品をはじめ、とくに楽器の独奏のために書かれた作品が、細川さんの音楽が、「作曲するとは自分自身の楽器を作り上げることである」というヘルムート・ラッヘンマン(彼も最近80歳の誕生日を迎えたようですね)の理念を、彼の音楽とは異なったかたちで、時空の書の線を描くかたちで実現していることを、強く感じさせました。なかでも、フルート独奏のための《線》(1984/86年)の上野由恵さんの演奏は、細川さんの音楽の展開の大きな足がかりとなったこの作品の新たな可能性を感じさせる、素晴らしいものでした。また、ヴィオラ独奏のための《哀歌》(2011年)における赤坂智子さんの演奏は、東日本大震災の衝撃の後の細川さんの音楽の深まりを歌心をもって響かせる、実に印象的なものでした。

今回の演奏会でこれらの他にとくに印象に残ったのは、太田真紀さんの声の充実ぶりでした。ジャチント・シェルシの作品で、この同時代の作曲家が細川さんと同様に一つの声から一つの世界を開く音楽を追求していることを見事に響かせた後、演奏会を締めくくる《三つの天使の歌》(2014年)では、警告し、絶望を歌いながら、地上に生きることを見つめ直させる天使の声を空間に屹立させていました。この曲では、吉野直子さんのハープにより、天使の歌が深い哀しみのなかから発せられていることも感じられました。そして、吉野さんのハープと宮田まゆみさんの笙は、《うつろひ》(1986年)をはじめとする作品で、非日常的でありながら、世界そのものを構成するものが凝縮されたかたちで現出する儀式的な場を開く、という細川さんの音楽のもう一つの側面を浮き彫りにしていました。吉野さんのハープとサクソフォンの大石将紀さんの《弧のうた》(1999年)は、今回の演奏会全体を、細川さんの音楽の新たな展開へ向けて象徴する、見事なものだったと思います。

11月29日には、紀尾井ホールにて、ヴィオラ奏者の今井信子さんの三回にわたるリサイタルのシリーズ「夢」の第三回を聴きました。“Clarinet Trio”と題された今回の演奏会は、クラリネット、ヴィオラ、ピアノの三重奏のために書かれたモーツァルト、シューマン、クルターグの作品をプログラムの中心に置いたうえで、ブラームス晩年の二曲のクラリネット、あるいはヴィオラのためのソナタを、クラリネットとヴィオラで演奏するという充実した内容の演奏会でした。クラリネットがヒェン・ハレヴィでピアノが韓国出身の新鋭キム・ソヌク。表現意欲に満ちたこの二人の冴えた演奏を今井さんが豊かな響きで受け止めて、温かくもスリリングなアンサンブルが繰り広げられていました。

とくに、モーツァルトのケーゲルシュタット・トリオがこれほど豊かな振幅を持って奏でられたのは、これまで聴いたことがありませんでした。個人的に嬉しかったのは、クルターグの《ローベルト・シューマンへのオマージュ》を実演で聴けたことです。シューマンの引き裂かれた内面を掘り下げながら、それをクルターグ自身の音楽と共鳴させるこの作品の「夜の音楽」は、非常に魅力的に思われました。クラリネットによるブラームスの第1番のソナタも、楽器の持ち味を最大限に生かした好演でしたが、何よりも素晴らしかったのが、今井信子さんのヴィオラによる第2番のソナタの演奏。自然な息遣いで連綿と歌い継いでいくヴィオラの響きが、会場を満たしていました。

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チャリティークリスマスコンサートflyer

12月4日には、エリザベト音楽大学のセシリアホールで行なわれた、同大学のチャリティークリスマスコンサートを聴きました。この演奏会では、20世紀初頭の夭折の詩人ゲオルク・トラークルが四季に寄せた詩をテクストに自然の深い息遣いを響かせながら、季節が巡るなかに、第二次世界大戦の末期に起きた二つの凄惨な出来事、ドレスデン空襲と広島への原爆投下という出来事の記憶を深く刻み込む、細川俊夫さんの《星のない夜》が演奏されました。この作品の解説と歌詞対訳を、演奏会のプログラムに寄稿させていただいたことを、とても光栄に感じています。この作品を取り上げようと決意された大学関係者の方々にも、心からの敬意を表わしたいと思います。《星のない夜》の演奏は、一音一音に熱意のこもった素晴らしいもので、とくにソプラノの小林良子さんが、澄んだ声ときれいな発音で一つひとつのフレーズを美しく響かせる演奏を聴かせてくれたのが印象的した。細川さんの音楽思想が集約されたこの作品に耳を傾けながら、70年前に起きた出来事に思いを馳せ、今を見つめ直す機縁を与える、被爆70年の記念に相応しい演奏だったと思います。

12月6日には、三原市芸術文化センターポポロへ、大阪フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会を聴きに行きました。音楽監督の井上道義の指揮で、アールトネンの交響曲第2番「ヒロシマ」とブルックナーの交響曲第4番、それに佐藤眞のよく知られた「大地讃頌」が、冒頭に地元の合唱団と演奏されました。朝比奈隆が、今から60年前に広島で当時の関西交響楽団と演奏したアールトネンの「ヒロシマ」交響曲と、これも朝比奈が自家薬籠中のものとしていたブルックナーの「ロマンティック」交響曲が井上道義の指揮の下でどのように響くのか、楽しみに出かけました。

アールトネンの交響曲に関しては、この曲とその演奏史をずっと辿って来られた能登原由美さんがこのほど公刊された素晴らしい本『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社)を読んで、少し「予習」して行ったので、いろいろと考えさせられるところがありました。1947年に着手され、1949年に完成したというこの作品は、広島の被爆についての情報が未だきわめて乏しいなかで、原子爆弾の被害を人類の問題として受け止め、そこからの人間の再生を願って書かれたものとひとまず言えるでしょうか。音楽そのものは、同郷のシベリウスからの深い影響の下、映画音楽などの作曲の経験なども踏まえながら書かれていると思われます。同時代のショスタコーヴィチの一部の作品と呼応するようなリアリズムないし描写性を示すところもあります。井上道義の指揮による今回の「ヒロシマ」交響曲の演奏は、井上なりの解釈の下で、「交響曲」としての構成よりも、一篇の交響詩としての流れを重視して、標題音楽的な要素を生かしながら一気に聴かせるものだったのではないでしょうか。序奏で重苦しく奏でられたモティーフが、終楽章で長調に転じて回帰し、再生への願いを込めて徐々に熱を帯びていくあたり、引きつけるものがありました。

後半のブルックナーの交響曲の演奏は、各楽章の主題をゆったりと歌わせながら、それに各声部が対位法的に絡む動きもしっかりと響かせることによって、歌謡性と響きの充実を両立させた、とても聴き応えのあるものでした。井上は、とくに両端楽章で細かいアゴーギグを加えることで、彼ならではの曲の流れを作り出していました。この曲でも井上は、ブロックごとの構築性よりも、全体の自然な流れを重視していたように思いますし、それが彼ならではのブルックナーへのアプローチなのでしょう。とくに第2楽章と第4楽章は、美しい演奏に仕上がっていたと思われます。

第2楽章では、見事なテンポ設定の下で、最初にチェロに現われる憂いを帯びた主題が連綿と歌い継がれていく流れが素晴らしかったですし、第4楽章では、大きな広がりを持った響きのなかに第二主題をゆったりと響かせることが、音楽の大きな起伏を作り、最終的に壮大なクライマックスを現出させたあたりは、実に感銘深かったです。全体的に、ピアノの音量が大きすぎる印象を受けましたが、それは楽員が、井上の意図するところを懸命に実現させようとした結果かもしれません。井上と大阪フィルハーモニーの関係が深まれば、表現の振幅はおのずと広がることでしょう。

ともあれ、両者のブルックナー演奏の朝比奈時代とはひと味異なる方向性を垣間見ることもできました。大阪フィルハーモニーの演奏を聴くのは、実に久しぶりでしたが、重心の低い、聴き応えのある響きは相変わらずでしたし、さらにそこに透明感も加わってきているようにも思われます。もう一つ印象深かったのは、槇文彦が設計したポポロの音響の見事さです。充分な残響のなかで総奏が輝かしく響くのみならず、そのなかで内声の細かい動きもよく聞こえます。三原市民の素晴らしい財産と言うべきこのホールを、しっかりと生かし続けてほしいものです。

Die_Zwitscher-Maschine_(Twittering_Machine)

Paul Klee, »Die Zwitscher-Maschine«(1922)

最後に、話題が少し音楽から美術へスライドするかもしれませんが、ベルンのパウル・クレー・センターに集うクレーの美術の世界的な研究者が主体となって編集され、このほどその創刊号がオンラインで発行された、クレー研究の国際的な雑誌“Zwitscher-Maschine”──この表題は、クレーの水彩画《さえずり機械》(1922年)に由来しています──に、今夏栃木県の宇都宮美術館で開催されたクレー展「だれにもないしょ。」の展覧会評を、英語で掲載していただきました。拙稿の掲載の機縁を作ってくださり、そのために編集を含めご尽力くださった、チューリヒ大学の柿沼万里江さんと翻訳者のデイヴィッド・ノーブルさんに心からの感謝を捧げたいと思います。拙稿は、ご興味のある方にご一読いただけると幸いです。ヴァイオリンを愛し、生涯にわたり音楽を着想の源泉とし続けたクレーの作品を新たな角度から見直す、ささやかなきっかけになればと願っております。