ベルリンへの旅より

東日本大震災と福島第一原子力発電所の過酷事故が起きてから七年になる日をベルリンで迎えた。「公式」の記録でも七万人を超える人々が、実際にはそれよりはるかに多くの人々が、今なお避難を余儀なくされているばかりか、未だに見いだされていない遺体が、おそらくは水底に沈んでいる状況は、災禍がけっして過ぎ去っていないことを突きつけている。いや、メルト・スルーを起こした原子炉の廃炉の見込みがまったく立っていないことが意味しているのは、災いが今も起き続けていることではないだろうか。放射性物質は、今も漏れ続けている。

もし、政治というものが語源的な意味で共和的なもの、すなわち共同体の成員すべてにとっての事柄、ラテン語で言うres publicaであるのなら、現在の状況に至った過程を振り返るとともに、災禍に遭った人々がその傷を抱えながら、それでもなお生きていくことに対して最大限に配慮する必要があるはずだ。しかし、日本列島においてこの七年のあいだ「政治」の名の下で行なわれてきたのは、終わることのない災害の歴史も、それに翻弄された人々の生活も省みることなく、とくに原発の再稼働の動きが示すように、放射能による生命の根幹からの破壊の危険を増大させながら、一部の人々の権益のために「前へ」進むことでしかなかった。

今露呈しているのは、「前」へ進むために、その事業に「国民」を動員するために、ありとあらゆる嘘で塗り固められた「ニッポン」なるものが、政治の私物化によって芯から腐っていて、さらにその腐敗が行政機構の骨組みにまで及んでいることだろう。ハンナ・アーレントは、他者とともにあることを基本条件として生きる人間が、そのみずから始める自由を実現する活動として、政治というものを掘り下げたわけだが、そのような意味での政治が、成員のみなに開かれた事柄になるためには、現在利権を握っている者が美化して喧伝する「ニッポン」なるものがまず徹底的に壊されなければならない。洋上の列島で現在起きていることを遠く離れた場所から眺めると、このような思いがいっそう強まる。

ベルリンへ赴いたのは、当地にあるWalter Benjamin Archivにて、ヴァルター・ベンヤミンの生涯と思想に関する文献を調査するためである。丸二日にわたり勝手を知ったアーカイヴの閲覧室に籠もって読むことに集中できたことは、時間的にはけっして充分ではないとはいえ、貴重だった。二日間、閲覧室が開いている時間をフルに使って調査を進めた以外の時間は、主に友人との会合に充てた。以前からの友人や新しい友人と持った刺激的な対話のひと時は、何ものにも代えがたい。ベルリンに到着した3月10日と翌11日に、修理と改装をほぼ終えたウンター・デン・リンデンの州立歌劇場でオペラを観ることができたのも嬉しかった。

飛行機がテーゲルの空港に到着したのは、10日の夕方6時前だった。それからホテルに寄っても、7時半からのR・シュトラウスの《サロメ》の公演に充分間に合ったが、これは現在のベルリンだからこそ可能なことだろう。今回の《サロメ》は、病気で降板したズービン・メータに代わって、クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮するはずだった。しかし、彼もキャンセルしてしまい、結局指揮台に立ったのは、芸術監督のダニエル・バレンボイムの下でアシスタントを務めているという若手のトーマス・グガイス(ドイツ語読みでの表記)だったが、彼は非凡な統率力の持ち主と見受けられる。

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改修をほぼ終えた州立歌劇場の外観

グガイスがオーケストラから引き出した響きは、たしかに《サロメ》の演奏に求められる恐ろしいまでの深みと独特の冷たさに関しては充分とは言えないものの、若々しい躍動感と瑞々しい歌に満ちている。それによって、最後まで間然するところがない流れが形成されていたのは特筆に値しよう。歌手のなかでは、力強い声を基調に実に振幅の大きな表現で、サロメの欲動のダイナミズムを浮き彫りにしたオースリヌ・スタンダイトがやはり印象に残った。ヘロデ王役のゲオルク・ジーゲルやヘロディアス役を歌ったマリーナ・プルデンスカヤをはじめ、他の歌手たちの歌唱も申し分のない出来だったが、ハンス・ノイエンフェルスの演出には、以前に観た彼の手による舞台ほどの説得力は感じられなかった。

人物のメイクも含め誇張された隈取りを舞台上に一貫させ、ヒトもモノも一種の「フィギュア」として見せることによって、フェティシズムとして現われる欲動を照らし出そうという演出のコンセプトは伝わってくるものの、それをネオ・バロック的に描くことが、今に何を問いかけるのかは伝わってこない。原作者オスカー・ワイルドの黙役としての登場と立ち回り──「七つのヴェールの踊り」は、「コスプレ」した彼との絡みだった──にも、正直なところあまり必然性が感じられない。

11日には、バレンボイムの指揮によるヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の公演に接することができた。バレンボイムがこの作品の音楽の脈動をみずからの血肉にしていることが、響きからひしひしと伝わってくる上演で、とくに感情の波と海の波濤が一体となったかのような音楽の寄せては返す動きの凄まじいまでの振幅と、それを貫く音楽の生命感は、聴く者を内側から燃え立たせずにはおかない。加えて、全体に音楽の推進力が貫かれていたので、前奏曲から「愛の死」による幕切れまで一気に聴かせる趣があった。

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州立歌劇場の真新しい内部

それにしても、バレンボイムが指揮する時のシュターツカペレの響きは、本当に力強く、かつ輝かしい。そこに見通しの良さも加わっていたのには、改築によって歌劇場の音響も改善されたことが手伝っていたかもしれない。各楽器の独奏も素晴らしく、とくに艶やかなヴィオラと苦悩の深さを突きつけるかのようなクラリネットのソロは印象的だった。そして、歌手たちの歌唱は、まさに圧倒的だった。なかでも、愛の高揚を声に乗せて劇場全体に届けえた主役二人の歌の強さは、《トリスタンとイゾルデ》の上演史に名を刻むに値するものと思われる。

ただし、イゾルデ役を歌ったアニヤ・カンペとトリスタン役を歌ったアンドレアス・シャーガーの歌唱において特筆されるべきは、二人が最後まで劇場を呑み込むかのような響きの奔流を貫く声を響かせていたことだけではない。子音の残響をも生かす表現の繊細さがあるからこそ、二人の歌には説得力があるのだろう。そして、そのことは歌曲演奏への不断の取り組みにもとづいていよう。それにしても、マルケ王の役を歌ったステファン・ミリングの存在感には圧倒させられた。その声は、王の怨念の深さを伝えながら、岩礁のように屹立していた。

このように、《トリスタンとイゾルデ》の公演は、音楽的にはこれ以上望めないと思われるほどの出来だったが、ドミトリ・チェルニアコフの演出には疑問を拭えない。2016年の夏にベルリン・ドイツ・オペラで観たヴィリー・デッカーの演出同様、船室を主な舞台とすることには異論はないし、その閉ざされた室内空間における不可能な自己の解放を表現したいという演出の意図も分からないではないが、身体表現に無駄な動きが多いことには強い違和感を持った。不自然で、かつあまりにも直接的な身振りは、音楽を邪魔していた気がしてならない。

さらに、ドラマのクライマックスに当たる瞬間に、やや抒情的に過ぎると思われる映像のプロジェクションに訴えるのにも、あまり必然性を感じられなかったし、何よりもそのために始終薄い遮幕が下がっているのは、歌手にとって過重な負担でしかなかったのではないだろうか。今回観た《サロメ》にしても、《トリスタンとイゾルデ》にしても、演出のアイディアが空回りしてしまっている印象は拭えない。これらの古典的な作品において、時間と空間を統一的に造形しつつ、作品に内在するものを新たに説得的に今に取り出す演出の難しさも考えさせられた二つの公演だった。

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皇帝パノラマ展示の様子

ところで、今回の滞在のあいだ、研究や対話、それに観劇の合間を縫うかたちで、ベルリン市の歴史博物館であるメルキッシェス・ムゼウムも訪れた。そこに展示されている皇帝パノラマ(Kaiserpanorama)を見るためである。皇帝パノラマというのは、19世紀末に造られた写真の映写装置で、木造の大きな枠の内部を、ベルリンの街頭風景や記念行事の模様を収めた写真が一定の速度で回転しているのを、ステレオスコープで見る仕掛けになっている。実際に、双眼鏡のような格好で覗いてみると、建物や人の姿がかなり立体的に浮かび上がる。フリードリヒ通りを走る自動車など、こちらに迫ってくるかのようだ。

世紀転換期における技術の都市への浸透と、それによる都市生活への変貌を一つの見世物として伝えるこの皇帝パノラマを、幼年期のベンヤミンも強い印象とともに体験していて、後に彼は『一方通行路』と『一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代』の双方でこれに言及している。ただし、前者のアフォリズム集において「パノラマ」のなかに浮かび上がるのは、1920年代前半の途方もないインフレーション下にあるドイツの都市風景である。ベンヤミンの筆が描き出すその風景の像には、現在の日本列島の人々の生きざまを映し出しているかに思えるところがある。

現状にしがみつくあまり視野狭窄に陥り、他者に対する温かさを失っていくインフレ下のドイツの人々の姿は、未だに「自己責任」を吹聴しながら、自分と異質に見える人々に対する敵意を剝き出しにすることによって「ニッポン」に頑張る現在の人々の姿と驚くほど重なる。そしてベンヤミンは、こうして他者との対話の回路も、自己との対話の回路も閉ざして思考停止に陥ること──これをアーレントは「孤立」と呼んだのではなかったか──が、破滅を招き寄せることを見通していた。それを食い止めるためには、「頑張る」べきとされている「ニッポン」なるものが、近代の嘘であることを見抜き、思考に絡みつくその神話を打ち砕く必要がある。死者と、そして他者とともに生きる──そこにある複数性こそが生存の条件にほかならない──道筋は、この瓦礫を縫う道は、その先にのみ開かれるだろう。

[2018年3月15日]

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