ペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》を観て

 

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プログラムより(下も)

ヴァルター・ベンヤミンは40歳を迎える頃、自殺を真剣に考えていた。離婚をめぐる裁判の結果、財産のほとんどを失ったばかりでなく、友人のゲルショム・ショーレムに語った、ドイツの第一級の批評家として身を立てたいという希望を成就させる見通しも立たなくなったことが、その外的な理由として考えられよう。ただし、ベンヤミンのなかには、いずれも儚く崩れた女性たちとの関係を含め、人生を生き終えたという思いもあったようだ。彼が手記に綴っているところによると、彼はその頃、自分をめぐる人間関係を一つの像として描き出そうと試みている。その像が記された紙片は失われたようだが、もしかすると、ベンヤミンがピレネーの麓で48年の生涯を閉じようとするときにも、彼の周りにいた人々の関係は、一つの像として彼の脳裡に去来したのかもしれない。

ベンヤミンをめぐる人間関係は、親しい友人との関係も含めて緊張を含んでいる。ショーレムとは四半世紀にわたって交友を続けたが、ヘブライ語を学んでパレスティナへ渡ることへの誘いに、ベンヤミンは結局乗らなかった。ブレヒトの詩作に魅かれていたとはいえ、そのイデオロギーに同調することはなく、彼との雑誌も計画倒れに終わった。死を間際にしたベンヤミンが幻視していたであろう、こうした緊張に満ちた布置としての人間関係を舞台上に描き出すことによって、ベンヤミンという思想家の像を浮き彫りにすること。これがペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》(Peter Ruzicka, „BENJAMIN“)の企図したことなのかもしれない。2018年6月3日に行なわれた初演から数えて6回目の上演を、10月14日にハンブルク州立歌劇場で観ることができた。

このオペラには、すでに挙げたショーレムとブレヒトのほか、ベンヤミンの生の行方を左右することになった三人の女性、一時期妻となったドーラ・ケルナー、彼が愛し、モスクワまで追いかけたアーシャ・ラツィス、そして亡命生活を共にしたハンナ・アーレントが登場する。ただし、舞台に登場するこれらの人物は、主人公のベンヤミンも含め、残されたドキュメントを基に、あくまで文学的、かつ音楽的に構成された虚構である。そのことを示すために、キム・ヨナによるリブレットには、ヴァルター・B、アーシャ・Lのように、人物の姓はイニシャルでのみ記されている。今回観たハンブルクでの初演のプロダクションでは、キム・ヨナ自身が演出も手がけている。おそらくは彼女の構想にもとづく、廃墟めいていると同時に旅の宿駅を思わせる舞台装置は、旅の多い生涯を送ったベンヤミンを描くに相応しく思われた。

このオペラ《ベンヤミン》には、「七つの宿駅による音楽劇(Musiktheater in sieben Stationen)」という副題が付されている。ベンヤミンのなかに湧き起こる想念のなかで、人間関係の布置が情景とともに浮かび上がるさま──その一部は、思想の風景とも言えるだろう──を、彼の生涯の宿駅になぞらえながら、想起の展開を描き出そうという企図を表わすものであろう。その最初の宿駅は、不安に満ちた響きが悶えるようにして始まる。やがて、ゲシュタポからの逃避行の果てに疲れ果てたと見えるベンヤミンの許に、群衆のなかからもう一人の彼の姿が近づいてくる。こうしてベンヤミンを歌う歌手の他に、彼を演じる「俳優」が登場するのには、いくつかの理由が考えられよう。まず彼が自分の思考を記憶も含めて、つねに比喩的な像のかたちに描き出してきたことが、内的な理由として想定される。

他方で外的な理由として、散文の人ベンヤミンに、歌だけで語らせるのは難しいということもあったにちがいない。第一の宿駅では、彼の「歴史の概念について」が引用され、歴史主義の物語を代表する合唱の歌と、その連続性を中断して「歴史」が抑圧した過去を救い出す歴史認識を語る「俳優」の語りが、激しい論争を繰り広げる。その様子は、「音楽劇」の作り方として一つの可能な方向性と見えた一方で、ベンヤミンの思考の描き方としては、対立が硬直しすぎているとも思われた。ギュンター・シャウプによる「俳優」の演技は、台詞の語りを含めて実に巧みであったが、時に饒舌さが気になるところもあった。ただし、第四の宿駅でベンヤミンとブレヒトがチェスの盤を囲む際に、そのテーブルの下に潜り込んで、しばらくそのテーブルを被って演技を続けるというアイディアは、秀逸だったと思われる。

IMG_0466なぜなら、身を屈めてチェス盤の下に潜る姿は、この宿駅で合唱によって伝えられる、独ソ不可侵条約の締結という危機を前にして、ベンヤミンの「歴史の概念について」の最初のテーゼに浮かび上がる、チェスの駒を動かす人形のなかに隠れて勝負を必ず勝利へ導く「せむしの小人」の像と同時に、彼の生涯を挫折に次ぐ挫折へ導いた、彼の不器用さの寓意とも言うべき「せむしの小人」の姿を、同時に思い起こさせるからである。こうしてベンヤミンの想念の像を、想念の運動に応じた情景の転変とともに、ほとんど時系列を無視したかたちで浮かび上がらせる手法は、ベンヤミンを描くオペラの作り方としては当を得たものと考えられる。そして、その過程をルジツカの音楽の持続が貫いている点が、《ベンヤミン》というオペラの説得力に結びついていると思われた。プログラムに掲載されたインタヴューのなかで彼は、このオペラのための音を追求したと述べていたが、たしかに音楽を貫き、オペラの基本的な性格を決定する響きの存在がつねに感じられる。

それを伝えるオーケストラの演奏は、部分的にいくらか緩みを感じたとはいえ、きわめて水準の高いものだったと言える。とくにアンサンブルの緻密さは特筆に値しよう。全体の指揮は作曲家のルジツカ自身が執っていたが、楽器編成が巨大なためにもう一人指揮者を要するようで、副指揮者を石川星太郎が務めていた。ベンヤミンの役を歌ったディートリヒ・ヘンシェルをはじめとする歌手たちのアンサンブルにも隙がない。ヘンシェルは、歌唱と演技の双方でベンヤミンという人物を感じさせて印象深かった。児童合唱を含む合唱も、一貫して力強い歌唱を聴かせてくれた。

それにしても、ルジツカの音楽の展開の緊密さは、この作品だけに聴かれるものではないとはいえ、あらためて瞠目させられる。冒頭で不安に満ちたかたちで響いた動機が、幾重にも変奏され、時に巨大な音響の塊を形成する場面があるかと思えば、弦楽器の各声部の独奏に表われて、きわめて繊細な移行を響かせる場面もある。こうして変形を重ねた動機が、最後の宿駅で三人の女性の柔らかで、哀しみを湛えた重唱に収斂していくのは、たしかに感動を呼ぶ。そして、その響きが震えながら静まって、消え入っていくなかでベンヤミンが息絶える過程も、深い感銘を残すものであった。しかしながら、このような音楽の展開が、「ベンヤミン」という主題と緊密に結びついたものだったか、という点に関しては留保せざるをえない。

このオペラの第五の宿駅は、一つの間奏であると同時に、舞台の展開に「中間休止(ツェズーア)」を刻むものである。そこでは、大規模な管弦楽と合唱が一体となって破局の予感を響かせるが、その音楽はルジツカの前々作のオペラ《ツェラン》から引用されたものである。彼にとってつねに内的な対話の相手であるという詩人パウル・ツェランを主題としたオペラの音楽をここで引用することは、ベンヤミンの危機的な状況における思考とその死が、ツェランの詩作が向き合い続けたショアー/ホロコーストを予感させるという解釈を示すものであろう。この解釈そのものに対してはまったく異論はないが、それを提示する音楽には少し付いて行けないものを感じた。たしかに、巨大な響きのうねりが打ち寄せるのには圧倒的な力がある。しかし、そのなかで「イェルサレム」の名が、これでもかとばかりに繰り返されるのに対しては、どこか取って付けた印象を拭うことができなかった。

もしそこに至る過程で、ベンヤミンの歴史をめぐる思考が音楽と舞台表現によってもう少し突き詰められ──その意味で「歴史の概念について」からの引用は、別なかたちで第四の宿駅に置かれるべきだったかもしれない──、それが彼の死後の巨大な破局に突きつけられるとするならば、間奏における《ツェラン》からの引用は、恐ろしいまでの説得性を持ちえただろう。しかし、そのようには実際のオペラが展開しなかったことは、ルジツカが自分の音楽の展開を優先させたことのみならず、キム・ヨナが書いたリブレットと、それにもとづく舞台作りにも要因があると考えられる。非常に巧みに構成されているとはいえ、リブレットにおけるベンヤミンの言葉の扱い方に対しては、言いたいことが数多くあるが、今はそれは措いて、演出とそこに表われるテクストの問題に焦点を絞ることにしたい。

すでに触れたように、舞台上の人物はあくまで虚構である。だとすれば、それぞれの人物は舞台の展開のなかで、音楽とともにその登場人物としての人格を表出すればよいはずである。しきりに煙草を吸う女性はハンナ・Aのままでよく、実在のアーレントを知る観客は、それとの関連を隠喩として想像すればよいのではないか。しかしながら、今回の演出では、ヴァルター・B以外の人物が登場すると同時に、その背後で実在の彼女および彼の引き伸ばされた肖像写真が掲げられた。オペラの主題となる歴史上の人物との関連を示すためとはいえ、その表現はあまりにも直接的で、違和感を拭えなかった。それ以上に問題があると思われたのが、個々の人物の造形である。アーシャ・Lは、なぜソヴィエト共産党のテクノクラートのようで、かつ容姿と声で性的な魅力を振りまく存在として登場しなければならないのだろう。

このオペラのなかでブレヒトとラツィスは、つねにマルクス主義の側へベンヤミンを引き込む役回りを演じる。そのためにみずからの主張をほとんどドグマのように繰り返すわけだが、それによってブレヒトの詩作も、ラツィスの演劇との関わりもどこかへ吹き飛んでしまう。そのために、第六の宿駅で試みられるプロレタリアートのための児童演劇も、ユートピア的な性格を失ってしまっていた。その舞台は、歴史の塵のなかからこそ浮かび上がる一つの希望を、不可能なものとして暗示すべきではなかっただろうか。他方で、ベンヤミンをユダヤ教の側へ、かつパレスティナへ導こうとする役割を果たすショーレムの姿も、どこか型にはまった印象を受ける。彼がほぼ始終キッパを被っているのには、違和感を禁じえなかった。

こうして──敢えて比喩的に言えば──モスクワとイェルサレムのあいだの対立が、あまりにも図式的に描かれてしまっていることともに、問題があると思われたのが、アーシャ・Lとドーラ・Kが、あまりにもジェンダー的に差別化された役割を与えられてしまっていることである。ベンヤミンの息子シュテファンを連れたドーラが母性を強調するかたちで登場すること以上に、アーシャがベンヤミンの男性的な欲望の対象として、ほとんど典型的なイメージとして現われるのには、強い違和感を覚えた。詰め襟でかつ深いスリットの入ったスパンコールのドレスは、モスクワへ向かう恋愛劇の小道具としては分かりやすいかもしれないが、これを女性に着せるところに、性差別的で、かつ舞台上の人物形象を旧来のオペラの登場人物としての「人間」に還元する──ここにこそ差別が含まれているのではないのか──眼差しの存在を感じないでいられない。

たしかに、キム・ヨナの舞台上の人物の動かし方は、合唱の扱いも含めて実に巧みで間然するところがない。舞台美術上のイメージの扱いも、人物の肖像写真とクレーの《新しい天使》の絵を除いては、効果的だったと思われる。だが、その手法は分かりやすすぎるかたちでオペラ的で、それゆえにあまりにも人間的である。ルジツカの音楽の緊密さとその強度には目を瞠るものがあるが、それは彼の音楽としてあまりにもよく鳴りすぎている。しかし、それは歴史の屑を拾い、その内奥にまで入り込んだベンヤミンに相応しいこととは思えない。彼は自伝的な手記の一つで、彼の思考の伴侶と言うべき天使は、「別れざるをえなかったもの、人々、そしてとくに物事に似ている」と述べている。そのような天使が指し示している、あらゆる人間的なものを突き抜けた、廃物そのものが語るような表現の強度こそが、時間の流れを止めて、ベンヤミンの思考を歴史のなかに屹立させるのではないだろうか。

すでにフランクフルター・アルゲマイネ紙などの新聞に出た批評が示すように、ルジツカの《ベンヤミン》は、現代のオペラとして一定の評価を得ているようである。しかし、そのことはベンヤミンを主題とすることに成功したことを意味しない。これまで見てきたように、ルジツカとキムは、ベンヤミンの思考と、それを生きた生涯とを、ルジツカの音楽の論理と現在通用している「オペラ」の論理の内部に閉じこめて、一つのドラマを作り上げてしまった。そのことは《ツェラン》、《ヘルダーリン》と書き継がれてきたルジツカの詩人オペラの三部作の完結編には相応しかったかもしれないが、そうして自己完結するなら《ベンヤミン》は、歴史的な現在に語りかける力を失ってしまうだろう。なぜ今ベンヤミンでオペラなのか。この根本的な問いに答える可能性は、「オペラ」の論理ではなく、破局を透視しながら潰えた可能性を過去から探り出すベンヤミン自身の思考を、現在との布置において掘り下げるなかからこそ、開けてくるにちがいない。偉大な芸術作品は、ジャンルを破壊するかそれを創造するかのいずれかであるというベンヤミンの言葉を、あらためて噛みしめておきたい。

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岩波書店『思想』ヴァルター・ベンヤミン特集号刊行のお知らせ

371906岩波書店の雑誌『思想』2018年7月号は、20世紀前半に文筆家として活躍しながら独特の批評的思考を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの特集号です。本号は、6月28日より各書店の店頭に並びます。また、29日からはhontoAmazonなどのインターネット上の書店でも発売になるとのことです。ちなみに月刊誌でのベンヤミン特集は、久しぶりのことになります。1992年のベンヤミン生誕百年の年には、青土社の『現代思想』で、それから二年後には『思想』誌でベンヤミン特集が組まれています。その後、2002年12月には青土社の『ユリイカ』で、ベンヤミンが特集されていますが、今回の『思想』でのベンヤミン特集は、それ以来およそ16年ぶりの月刊誌での特集ということになるはずです。

その間ベンヤミンを読む環境は、その著作を日本語で読むことに限って見ても、大きく変わりました。まず、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』(全7巻)などの刊行によって、ベンヤミンの著作の大半が、読みやすい日本語で読めるようになっています。また、現在ズーアカンプ社より手稿の調査にもとづく編集と刊行が進みつつある、著作と遺稿の批判版全集(Werke und Nachlass: Kritische Gesamtausgabe)のテクストにもとづく日本語訳も、少しずつながら現われ始めています。テーオドア・W・アドルノ、その妻グレーテル(・カルプルス)、そして生涯の友人ゲルショム・ショーレムとの往復書簡の日本語訳が揃っていることも忘れられてはなりません。

ベンヤミンの仕事の領域横断的な広がりに見通しを与えた一方で、議論の関心が当時翻訳が刊行された『パサージュ論』(現在は岩波現代文庫)とその周辺に集中する傾向のあった1990年代前半のベンヤミン研究の興隆からおよそ四半世紀を経て、ベンヤミンの著述活動を最初期から跡づけ、彼の思考を貫く軸を浮き彫りにする研究や、アドルノをはじめ同時代の思想家との関係を生産的に吟味し直す研究などが陸続と現われています。このようなベンヤミンをめぐる日本の状況と、海外の研究動向の双方を見据えながら、彼の著作を今読み直す可能性へ向けて、今回の『思想』誌のベンヤミン特集は構想されています。言語、歴史、これらの宗教的背景、芸術と身体を含むその新たなメディアなどをめぐるベンヤミンの思考を検討する議論の布置が、新たなベンヤミン像を浮かび上がらせる特集になっていれば幸いです。

今回の特集には、ベンヤミンのテクストへの新たなアプローチを提示する試みとして、彼の「技術的複製可能性の時代における芸術作品」の第一稿の翻訳が、これを初めて印刷した批判版全集第16巻と同様、原文に残された抹消や挿入なども再現するかたちで、しかも『思想』誌初の横組みで収録されています。竹峰義和さんの労作は、ベンヤミンのテクストの生成過程からその思考の展開を吟味し、これまで読まれてきた芸術作品論のテクストには最終的に取り入れられなかったものを含め、そのモティーフを生産的にすくい取る道を開くものと言えるでしょう。「ダダイズムは、……芸術作品の文書化を促進する」という言葉をはじめとするダダへの立ち入った論評が見られるあたり、個人的に興味を惹かれます。この「第一稿」の訳出が、他の批判版のテクストが検討される契機になることを願っております。

これ以外の翻訳として、今回の特集には、マイケル・ジェニングスの論文「終末論に向けて」とアーヴィング・ウォールファースの論文「救出 対 弁明」の翻訳も収録されています。両者ともベンヤミン研究を牽引してきた代表的な研究者ですが、その仕事はこれまであまり日本では紹介されてきませんでした。山口裕之さんが訳したジェニングスの論文は、ベンヤミンの歴史哲学と神学の結びつきが、どのような思想的な布置から生じたのかを明らかにするきわめて重要なものです。田邊恵子さんの翻訳によるウォールファースの論文は、「夢のキッチュ」という短いテクストの解釈を足がかりに、近代という「時代=時代の夢」の世界の批判をつうじて、そのなかに打ち捨てられた「歴史の屑」を救い出すというベンヤミンの思考を、多層化して救出するもので、これも際立ったかたちでベンヤミンを読む可能性を示しています。

このほかに今回の特集には、ベンヤミンのユダヤ的なものとの対決を、ショーレムとの対照において検討した論文や、第一次世界大戦下のヘルダーリン受容を軸に、「ドイツ」をめぐるベンヤミンの思考の位置を浮き彫りにした論文、彼の言語論を新たな視角から検討した論文、ベルトルト・ブレヒトの叙事演劇から着想を得た「身ぶり」や「中断」のベンヤミンの思考における意義を掘り下げた論文、さらにはベンヤミンが着目した技術と自然のインタープレイのメディアとして、機械と身体の相互浸透を形象化する可能性を検討した論文が収録されています。これらは翻訳論文と併せて、ベンヤミンの思考の歴史的な文脈を捉え直したところから、その可能性を検討する道を切り開くものと言えるでしょう。

今回の特集では、ベンヤミンを論じた二つの重要な著書として、『ベンヤミン解読』(白水社)と『堕ちゆく者たちの反転』(岩波書店)がある道籏泰三さんに、「思想の言葉」と「名著再考」をご執筆いただいています。前者では、石川淳の短篇「焼跡のイエス」を手がかりに、救いのなさを凝視するベンヤミンの思考の基本的なモティーフが、見事に浮き彫りにされています。後者では、とくに『ドイツ悲劇の根源』を取り上げていただきました。このバロック悲劇論の文脈と構成、そこに含まれる基本的なモティーフとその発展が、簡潔ななかに鮮明に描き出されたこの「名著再考」は、悲劇論のみならず、他のベンヤミンの著作を読み直すうえでも踏まえるべき軸を示すものでしょう。

私も今回の特集に、ベンヤミンが「歴史の概念について」のなかで提起している「抑圧された者たちの伝統」の概念に取り組んだ論考を寄稿させていただきました。この「伝統」が、経験の崩壊と、それによる旧来の伝統の破産を踏まえたところから語られていることを浮き彫りにしたうえで、この来たるべき伝統に対する彼の問題意識とともに、それがどのような歴史の姿を示唆しているかを、歴史叙述における非連続性の意義に触れるかたちで論じたものです。批判版全集の『歴史の概念について』の巻に収録されているハンナ・アーレント手稿とともに、年代記の概念をめぐるベンヤミンとアーレントの関係にも少し触れました。

さて、今回のベンヤミン特集には、企画段階から関わってきましたので、特別な思い入れがあります。『思想』の吉川哲士編集長からこの特集のお話をいただいたのが昨春のこと。その後吉川さんとの打ち合わせを経て、執筆者の調整と打診を進め、昨秋には『思想』編集部のご尽力により、京都で執筆者の会議も持つことができました。そこで各執筆者が論文の構想を交換し、収録する翻訳テクストを選定したうえで、論文執筆と翻訳を進めていきました。その結果として、今ベンヤミンを読み直す可能性を、密度の濃い議論によって提示するものに仕上がったかと思います。それは何よりも、吉川編集長をはじめ『思想』編集部の周到な準備のおかげです。心から感謝申し上げます。そして、いずれも力作を寄せてくださった執筆者と翻訳者のみなさまにも、衷心より感謝申し上げます。『思想』の新たなベンヤミン特集が広く読まれ、多くの人にベンヤミンの著作を読んでその思考に取り組むきっかけを与えることを願ってやみません。

■『思想』特集ヴァルター・ベンヤミン(2018年7月号)目次

  • 思想の言葉(道籏泰三)
  • 抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統(柿木伸之)
  • ショーレムとベンヤミン──「修復」のシオニズム,「忘却」への「注意深さ」(小林哲也)
  • ベンヤミンと「秘められたドイツ」をめぐって──『死のミメーシス』補遺(平野嘉彦)
  • 終末論に向けて──1920年代初頭におけるヴァルター・ベンヤミンの神学的政治の展開(マイケル・ジェニングス)
  • 名前、この名づけえぬもの──ベンヤミンの初期言語論(藤井俊之)
  • 非゠伝達可能性の象徴としての言語──ベンヤミンの言語哲学における記号への問い(森田團)
  • 〈名著再考〉ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』を読む(道籏泰三)
  • サンチョ・パンサの歩き方──ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ(竹峰義和)
  • 救出 対 弁明──ベンヤミン「夢のキッチュ」について(アーヴィング・ウォールファース)
  • 機械の身体というユートピア──技術メディアとしての映画とアヴァンギャルドの思考(山口裕之)
  • 技術的複製可能性の時代における芸術作品──第一稿(ヴァルター・ベンヤミン)

ベルリンへの旅より

東日本大震災と福島第一原子力発電所の過酷事故が起きてから七年になる日をベルリンで迎えた。「公式」の記録でも七万人を超える人々が、実際にはそれよりはるかに多くの人々が、今なお避難を余儀なくされているばかりか、未だに見いだされていない遺体が、おそらくは水底に沈んでいる状況は、災禍がけっして過ぎ去っていないことを突きつけている。いや、メルト・スルーを起こした原子炉の廃炉の見込みがまったく立っていないことが意味しているのは、災いが今も起き続けていることではないだろうか。放射性物質は、今も漏れ続けている。

もし、政治というものが語源的な意味で共和的なもの、すなわち共同体の成員すべてにとっての事柄、ラテン語で言うres publicaであるのなら、現在の状況に至った過程を振り返るとともに、災禍に遭った人々がその傷を抱えながら、それでもなお生きていくことに対して最大限に配慮する必要があるはずだ。しかし、日本列島においてこの七年のあいだ「政治」の名の下で行なわれてきたのは、終わることのない災害の歴史も、それに翻弄された人々の生活も省みることなく、とくに原発の再稼働の動きが示すように、放射能による生命の根幹からの破壊の危険を増大させながら、一部の人々の権益のために「前へ」進むことでしかなかった。

今露呈しているのは、「前」へ進むために、その事業に「国民」を動員するために、ありとあらゆる嘘で塗り固められた「ニッポン」なるものが、政治の私物化によって芯から腐っていて、さらにその腐敗が行政機構の骨組みにまで及んでいることだろう。ハンナ・アーレントは、他者とともにあることを基本条件として生きる人間が、そのみずから始める自由を実現する活動として、政治というものを掘り下げたわけだが、そのような意味での政治が、成員のみなに開かれた事柄になるためには、現在利権を握っている者が美化して喧伝する「ニッポン」なるものがまず徹底的に壊されなければならない。洋上の列島で現在起きていることを遠く離れた場所から眺めると、このような思いがいっそう強まる。

ベルリンへ赴いたのは、当地にあるWalter Benjamin Archivにて、ヴァルター・ベンヤミンの生涯と思想に関する文献を調査するためである。丸二日にわたり勝手を知ったアーカイヴの閲覧室に籠もって読むことに集中できたことは、時間的にはけっして充分ではないとはいえ、貴重だった。二日間、閲覧室が開いている時間をフルに使って調査を進めた以外の時間は、主に友人との会合に充てた。以前からの友人や新しい友人と持った刺激的な対話のひと時は、何ものにも代えがたい。ベルリンに到着した3月10日と翌11日に、修理と改装をほぼ終えたウンター・デン・リンデンの州立歌劇場でオペラを観ることができたのも嬉しかった。

飛行機がテーゲルの空港に到着したのは、10日の夕方6時前だった。それからホテルに寄っても、7時半からのR・シュトラウスの《サロメ》の公演に充分間に合ったが、これは現在のベルリンだからこそ可能なことだろう。今回の《サロメ》は、病気で降板したズービン・メータに代わって、クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮するはずだった。しかし、彼もキャンセルしてしまい、結局指揮台に立ったのは、芸術監督のダニエル・バレンボイムの下でアシスタントを務めているという若手のトーマス・グガイス(ドイツ語読みでの表記)だったが、彼は非凡な統率力の持ち主と見受けられる。

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改修をほぼ終えた州立歌劇場の外観

グガイスがオーケストラから引き出した響きは、たしかに《サロメ》の演奏に求められる恐ろしいまでの深みと独特の冷たさに関しては充分とは言えないものの、若々しい躍動感と瑞々しい歌に満ちている。それによって、最後まで間然するところがない流れが形成されていたのは特筆に値しよう。歌手のなかでは、力強い声を基調に実に振幅の大きな表現で、サロメの欲動のダイナミズムを浮き彫りにしたオースリヌ・スタンダイトがやはり印象に残った。ヘロデ王役のゲオルク・ジーゲルやヘロディアス役を歌ったマリーナ・プルデンスカヤをはじめ、他の歌手たちの歌唱も申し分のない出来だったが、ハンス・ノイエンフェルスの演出には、以前に観た彼の手による舞台ほどの説得力は感じられなかった。

人物のメイクも含め誇張された隈取りを舞台上に一貫させ、ヒトもモノも一種の「フィギュア」として見せることによって、フェティシズムとして現われる欲動を照らし出そうという演出のコンセプトは伝わってくるものの、それをネオ・バロック的に描くことが、今に何を問いかけるのかは伝わってこない。原作者オスカー・ワイルドの黙役としての登場と立ち回り──「七つのヴェールの踊り」は、「コスプレ」した彼との絡みだった──にも、正直なところあまり必然性が感じられない。

11日には、バレンボイムの指揮によるヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の公演に接することができた。バレンボイムがこの作品の音楽の脈動をみずからの血肉にしていることが、響きからひしひしと伝わってくる上演で、とくに感情の波と海の波濤が一体となったかのような音楽の寄せては返す動きの凄まじいまでの振幅と、それを貫く音楽の生命感は、聴く者を内側から燃え立たせずにはおかない。加えて、全体に音楽の推進力が貫かれていたので、前奏曲から「愛の死」による幕切れまで一気に聴かせる趣があった。

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州立歌劇場の真新しい内部

それにしても、バレンボイムが指揮する時のシュターツカペレの響きは、本当に力強く、かつ輝かしい。そこに見通しの良さも加わっていたのには、改築によって歌劇場の音響も改善されたことが手伝っていたかもしれない。各楽器の独奏も素晴らしく、とくに艶やかなヴィオラと苦悩の深さを突きつけるかのようなクラリネットのソロは印象的だった。そして、歌手たちの歌唱は、まさに圧倒的だった。なかでも、愛の高揚を声に乗せて劇場全体に届けえた主役二人の歌の強さは、《トリスタンとイゾルデ》の上演史に名を刻むに値するものと思われる。

ただし、イゾルデ役を歌ったアニヤ・カンペとトリスタン役を歌ったアンドレアス・シャーガーの歌唱において特筆されるべきは、二人が最後まで劇場を呑み込むかのような響きの奔流を貫く声を響かせていたことだけではない。子音の残響をも生かす表現の繊細さがあるからこそ、二人の歌には説得力があるのだろう。そして、そのことは歌曲演奏への不断の取り組みにもとづいていよう。それにしても、マルケ王の役を歌ったステファン・ミリングの存在感には圧倒させられた。その声は、王の怨念の深さを伝えながら、岩礁のように屹立していた。

このように、《トリスタンとイゾルデ》の公演は、音楽的にはこれ以上望めないと思われるほどの出来だったが、ドミトリ・チェルニアコフの演出には疑問を拭えない。2016年の夏にベルリン・ドイツ・オペラで観たヴィリー・デッカーの演出同様、船室を主な舞台とすることには異論はないし、その閉ざされた室内空間における不可能な自己の解放を表現したいという演出の意図も分からないではないが、身体表現に無駄な動きが多いことには強い違和感を持った。不自然で、かつあまりにも直接的な身振りは、音楽を邪魔していた気がしてならない。

さらに、ドラマのクライマックスに当たる瞬間に、やや抒情的に過ぎると思われる映像のプロジェクションに訴えるのにも、あまり必然性を感じられなかったし、何よりもそのために始終薄い遮幕が下がっているのは、歌手にとって過重な負担でしかなかったのではないだろうか。今回観た《サロメ》にしても、《トリスタンとイゾルデ》にしても、演出のアイディアが空回りしてしまっている印象は拭えない。これらの古典的な作品において、時間と空間を統一的に造形しつつ、作品に内在するものを新たに説得的に今に取り出す演出の難しさも考えさせられた二つの公演だった。

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皇帝パノラマ展示の様子

ところで、今回の滞在のあいだ、研究や対話、それに観劇の合間を縫うかたちで、ベルリン市の歴史博物館であるメルキッシェス・ムゼウムも訪れた。そこに展示されている皇帝パノラマ(Kaiserpanorama)を見るためである。皇帝パノラマというのは、19世紀末に造られた写真の映写装置で、木造の大きな枠の内部を、ベルリンの街頭風景や記念行事の模様を収めた写真が一定の速度で回転しているのを、ステレオスコープで見る仕掛けになっている。実際に、双眼鏡のような格好で覗いてみると、建物や人の姿がかなり立体的に浮かび上がる。フリードリヒ通りを走る自動車など、こちらに迫ってくるかのようだ。

世紀転換期における技術の都市への浸透と、それによる都市生活への変貌を一つの見世物として伝えるこの皇帝パノラマを、幼年期のベンヤミンも強い印象とともに体験していて、後に彼は『一方通行路』と『一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代』の双方でこれに言及している。ただし、前者のアフォリズム集において「パノラマ」のなかに浮かび上がるのは、1920年代前半の途方もないインフレーション下にあるドイツの都市風景である。ベンヤミンの筆が描き出すその風景の像には、現在の日本列島の人々の生きざまを映し出しているかに思えるところがある。

現状にしがみつくあまり視野狭窄に陥り、他者に対する温かさを失っていくインフレ下のドイツの人々の姿は、未だに「自己責任」を吹聴しながら、自分と異質に見える人々に対する敵意を剝き出しにすることによって「ニッポン」に頑張る現在の人々の姿と驚くほど重なる。そしてベンヤミンは、こうして他者との対話の回路も、自己との対話の回路も閉ざして思考停止に陥ること──これをアーレントは「孤立」と呼んだのではなかったか──が、破滅を招き寄せることを見通していた。それを食い止めるためには、「頑張る」べきとされている「ニッポン」なるものが、近代の嘘であることを見抜き、思考に絡みつくその神話を打ち砕く必要がある。死者と、そして他者とともに生きる──そこにある複数性こそが生存の条件にほかならない──道筋は、この瓦礫を縫う道は、その先にのみ開かれるだろう。

[2018年3月15日]

Chronicle 2017

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ある秋の日の夕暮れの太田川放水路

例年よりもいくぶん寒さの厳しい年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。広島はここへ来て曇りがちになってきました。そのぶん冷え込みは、気温のうえでは和らいでいますが、湿気のせいでむしろ寒く感じます。昨年は在外研究で滞在していたベルリンで年の瀬を迎えていたわけですが、たしかその頃は、日中も気温が零度を下回るくらい寒さが厳しかったと思います。しかし、空気が乾燥しているせいか、滲みるような寒さは感じませんでした。そのような気候のなか、ベルリンでは淡々と日々を過ごしていたことが思い出されます。大晦日が半分休日で、元旦が休日になる以外にはとくに休みのないドイツに、日本の年末のような慌ただしさはありません。ただし、当然ながら大晦日の夜だけは別で、元旦にさしかかった夜半過ぎまで、周りじゅうで打ち上げ花火の音が、ほとんど戦場のように轟いていました。

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10月に訪れた三段峡にて

ようやく年内までの仕事に目処をつけて、なかなか読めずにいた本のページを繰っていると、そのようなことが少し懐かしく思い起こされます。今年の2月上旬にベルリンでの10か月ほどの研究滞在を終えて帰国し、広島での仕事に戻ったわけですが、それから10か月以上が経ってもなお、日常生活のペースになかなか適応できずにいます。その要因として、在外研究後の多くの例に漏れず、4月に新しい学期が始まってからというもの、大学でさまざまな仕事を背負うことになって、それが非常に忙しいということも、もちろんあるにはあります。しかし、それ以上に自分が身を置いている環境、さらにはこの国の息苦しさが、今に至る「不適応」の最も大きな原因でしょう。たまに中国山地の峡谷などへ出かけたりすると、今まで感じたことのない解放感を感じることもあります。そうした自然の美しい場所に比較的容易く行けるのが、広島のよいところでしょうか。

それでも何とか日々の仕事をこなしているわけですが、やはり精神的にはストレスが溜まります。とはいえ、息苦しさを醸し出している仕組みにだけは、絶対に適応するまいと思っています。なぜなら、今この列島の人々を──私が身を置いている大学のいわゆる「改革」を含めて──「前へ」動かしている現在の仕組みが、幾重もの不正を覆い隠すことによって仕組まれたものであることは、少し目を開いて気骨あるジャーナリストなどが綴った文章を辿れば、歴然としているからです。何よりも許しがたいのは、権力者が不正を積み重ねて不正義を構造化していく過程で、現在の社会的関係のなかで弱い立場にある人々が被った、各人の尊厳を踏みにじる暴力が、暴力として裁かれていないことです。こうした問題に対して実質的に何もできないことは歯痒いですし、問題を質す言論が不可視の力によって抑圧されているのには、本当に胸が詰まる思いです。

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晩秋に訪れたパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにて

その一方で、選挙の結果などが示すように、不正を重ねた上で不正義を蔓延させる現在の仕組みに、人々がみずから、しかも「みなと同じように」しがみつこうとしているのも確かでしょう。秋にたまたま訪れた東京の美術館のやや混み合った展示室の内部で、観覧者が「自発的に」整然とした行列を作っているのを目の当たりにしたときには、言いようのない気味の悪さを覚えました。このような行動こそが、自分たちとは異質に見える少数者を排除しながら、社会をみずから息苦しいものにしているのではないでしょうか。それにけっして同化することのない自由が、少数者を含めた他者とともに生きることと結びつく回路を、学生を含めた若い人たちが、自分自身の生き方として考えるきっかけを伝えることが、教育に携わる者として課せられた仕事ではないかと考えていますが、その仕事もけっして容易ではありません。

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第28回武生国際音楽祭flyer

このような息詰まる社会生活から一歩離れて息をつき、思考をほぐすひと時を与えてくれたのが、音楽をはじめとする芸術でした。すでにここでもお伝えしてきたように、細川俊夫さんの室内オペラ《二人静》のパリでの世界初演やオラトリオ《星のない夜》のベルリンでの演奏、国内での重要な演奏会の数々、さらには魅力的な展覧会などに接することができたことは、けっして忘れられません。自分が芸術によって生かされていることを、これほど強く感じた一年はなかったと思います。それにどれほどお応えできたかは、はなはだ心許ないものがありますが、今年は芸術に関わる講演や執筆の仕事を、これまでになく多くいただきました。春には詩と美術、秋には詩と音楽について講演させていただく機会を得て、多くを学ぶことができました。初秋に武生国際音楽祭に参加させていただき、アーティストたちと身近に接して話すなかでも、多くの刺激を得ることができました。

324513今年は、このような芸術の関わりが、哲学するうえでも重要な位置を占めつつあるという感触を深めました。それはすでに公にしたエッセイや、来春にお届けする論文などにも表われていることでしょう。その一方で、2月までの在外研究の成果を含め、歴史哲学に関する研究の成果をまとめるという仕事は、来年に持ち越すことになりました。今年は、ベンヤミンの歴史哲学を検討した論文を、ドイツ語で書かれたものを含めて二篇公刊することができましたが、本当はもう一歩先へ仕事を進めておきたかったところです。それ以外に、事典の大項目というかたちで「哲学者」としてのベンヤミンの姿をお伝えする機会にも恵まれました。年が明けたらすぐに新しい仕事に取り組まなければなりませんし、1月から2月にかけては、細川俊夫さんのオペラ《班女》の広島での再演と、オペラ《松風》の日本初演をほんの少しお手伝いすることにもなっています。再び美術に関わる機会もいただいております。来たる年も、変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。みなさまがお健やかに幸せに満ちた年を迎えられることを念じております。

■Chronicle 2017

  • 1月10日:原爆の図丸木美術館の『原爆の図丸木美術館ニュース』128号に、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」と題する記事が掲載されました。ミュンヒェンのHaus der Kunst(芸術の家)におけるPostwar展の第一室に、丸木夫妻の《原爆の図》より第2部《火》と第6部《原子野》が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評したエッセイです。
  • 2月10日:広島市立大学の学外長期研修によるベルリンでの研究滞在を終えて帰国しました。
  • 2月14日〜23日:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学II」と全学共通系科目「哲学B」の集中講義を行ないました。
  • 3月4日:駿河台のEspace Biblioにて、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念してのトーク・ショーの進行役を務めました。リコーダー奏者の鈴木俊哉さんに、細川俊夫さんの作品などの演奏も披露していただいて、充実した内容の会となりました。
  • 3月10日:形象論研究会の雑誌『形象』第2号に、論文「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」、展覧会などの報告「パリでのパウル・クレー展『作品におけるイロニー』と国際コロック『パウル・クレー──新たな視点』に接して」、高安啓介さんの『近代デザインの美学』(みすず書房、2015年)の書評「内発的な構成としてのデザインの美学へ」が掲載されました。拙論「形象における歴史」は、ベンヤミンの歴史哲学が、形象を媒体として構成される歴史を構想していたことに着目し、その理論を検討するとともに、それを「記憶の芸術」の美的経験を組み込んだ歴史の構想に接続させる内容のものです。
  • 3月11日:成蹊大学で同大学のアジア太平洋研究センターの主催で開催されたシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」のパネリストを務め、「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という表題の報告を行ないました。『怪物君』を含む最近のものを含めた吉増剛造さんの詩作を、原民喜とパウル・ツェランの詩作との布置において検討し、破局の後の詩ならびに言葉の可能性を、「うた」という観点から問う内容のものです。シンポジウムでは、吉増さんの詩作の初期から『怪物君』にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。
  • 3月25日:図書新聞の第3297号に、竹峰義和さんの著書『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」が掲載されました。アドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する破壊的ですらある読み替えが、思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。
  • 4月1日:日本哲学会の欧文機関誌“Tetsugaku: International Journal of the Philosophical Association of Japan, Vol. 1”に、ドイツ語の論文„Geschichte aus dem Eingedenken: Walter Benjamins Geschichtsphilosophie“(「想起からの歴史──ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学」)が掲載されました。拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の終章に描き出した「想起」から歴史そのものを捉え返すというベンヤミンの着想を、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版(Kritische Ausgabe)の読解を軸にさらに掘り下げながら、彼の歴史哲学とは何か、という問題にあらためて取り組んでみました。想起の経験を検討する際に、「歴史の主体」という問題やその死者との関係にも論及しています。
  • 4月〜7月:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学I」、「社会文化思想史II」、「発展演習I」、「専門演習I」、「卒論演習I」、「多文化共生入門」の一部、全学共通系科目の「世界の文学」、「平和と人権A」の一部、そして大学院全研究科共通科目「人間論A」を担当しました。広島大学の教養科目「戦争と平和に関する学際的考察」2回の講義も担当しました。
  • 4月29日:広島市現代美術館の特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連した講演「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」を同美術館のスタジオにて行ないました。殿敷侃の芸術を一貫した逆流の芸術として捉えるとともに、同時代の芸術などと照らし合わせることによって、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして見直す可能性を探る内容のものです。
  • 5月15日:松山大学の黒田晴之さんが招聘された現代クレズマーを象徴するミュージシャン、フランク・ロンドンによる特別講義、ロンドンとジンタらムータの共演によるミニ・ライヴを、広島市立大学国際学部の授業の一環として企画しました。両方に多くの一般の方々にお越しいただき、盛況のうちに終えることができました。
  • 5月20日:原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。
  • 5月25日:東京オペラシティ文化財団主催の同時代音楽企画「コンポージアム2017」のプログラムに、「ヘルダーリンの詩と音楽」と題するエッセイが掲載されました。今年のコンポージアムで日本初演されたハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のものです。アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に光を当てようと試みました。
  • 6月16日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催でJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第23回演奏会「次世代の作曲家V」のアフター・トークの進行役を務めました。この演奏会では、細川俊夫さんの《旅IX──目覚め》が日本初演された他、川上統さんと金井勇さんのヒロシマに寄せた新作が世界初演されました。
  • 7月25日:広島市立大学の「市大から世界へ」グローバル人材育成講演会として開催された、ハンブルク・ドイツ劇場の原サチコさんの講演「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」の際に、講師の紹介役を務めました。
  • 9月2日:広島市東区民文化センタースタジオにて行なわれた第七劇場のイプセン「人形の家」の公演のポストパフォーマンス・トークにて、同劇団の主宰者鳴海康平さんと対談しました。
  • 9月11日:大阪大学大学院文学研究科の美学研究室の主催で大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にてパネリストを務めました。「演劇の批判と擁護」と題する講演を行なったフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんの仕事に応答するかたちで、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」という報告を行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』におけるヴァーグナーの「総合芸術作品」が資本主義社会の「幻像(ファンタスマゴリー)」と化してしまうという議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制の問題にも論及したうえで、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》を、従来のオペラが表象してきた「人間」の像からはみ出す人間の深淵にある力を響かせるオペラとして論じる内容の報告です。 シンポジウムの内容は、来春刊行の雑誌『a+a美学研究』(大阪大学大学院文学研究科美学研究室編)で紹介される予定です。
  • 9月14日:作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただいた第28回武生国際音楽祭にて、「嘆きの変容──〈うた〉の美学のために」という表題の講演をさせていただきました。困難な世界のなか、他者とのあいだで、そして死者とともに生きることを悲しみとともにわが身に引き受ける嘆きを掘り下げ、その嘆きを響かせるという観点から、〈うたう〉ことを、さらに言えば〈うた〉の出来事を、文学と音楽を往還するかたちで考察する内容のものです。
  • 9月19日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Earの第24回演奏会「若き巨匠イェルーン・ベルワルツ──トランペットの世界」にて、アフター・トークの進行役を務めました。今回の演奏会では、細川俊夫さんのトランペット協奏曲にもとづく《霧のなかで》や、ジェルジュ・リゲティの《マカーブルの秘密》などが演奏されました。
  • 9月30日:9月30日と10月1日にJMSアステールプラザの大ホールで開催された、ひろしまオペラルネッサンス2017年度公演《コジ・ファン・トゥッテ》(モーツァルト作曲)のプログラムに、プログラム・ノート「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」が掲載されました。モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、後期のモーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることを、作品の特徴を紹介しつつ浮き彫りにする内容のものです。
  • 10月〜2018年2月:広島市立大学で国際学部の専門科目「共生の哲学II」、「社会文化思想史I」、「発展演習II」、「専門演習II」、「卒論演習II」、全学共通系科目「哲学B」を担当しています。
  • 11月24日:広島芸術学会の会報第145号に、同学会第120回例会の報告「ひろしまオペラルネッサンス公演《コジ・ファン・トゥッテ》の鑑賞」が掲載されました。ひろしまオペラルネッサンス公演の鑑賞ならびにその後の感想交換会というかたちで開催された例会について、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》という作品に正面から取り組んでその美質を生かした上演の歴史的な意義を指摘し、上演をめぐる意見交換の概要を伝える内容のものです。
  • 11月24日:大項目「ヴァルター・ベンヤミン」を寄稿させていただいた『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻──現代の哲学・年表・総索引』(加賀野井秀一、伊藤泰雄、本郷均、加國尚志監修、白水社)が刊行されました。私が執筆した項目では、1917年の「来たるべき哲学のプログラムについて」における経験への問いを出発点としつつ、言語哲学、美学、そして歴史哲学から「哲学者」としてのベンヤミン像に迫ろうと試みました。彼の生涯と思想を哲学の視点からコンパクトにまとめた記事としてご笑覧いただければ幸いです。

晩秋の仕事と二つのオペラ公演

23131876_1677489805636718_3631688594356689424_n早いもので11月が終わろうとしています。今年は、紅葉をゆっくり味わう間もなく冬になってしまったような季節の移り行きで、余計に時の流れの速さを感じます。実際、大学の仕事と研究関係の原稿執筆などで、息つく暇もないくらいでした。とはいえ、今月初旬には、広島の北にある三段峡を訪れることができました。紅葉はまだまだでしたが、峡谷の遊歩道が多くの人出でごった返す前に来られたのは、かえってよかったのかもしれません。クヌギなどの葉を落とす風の音や多彩な流水の音、そして鳥の声に耳を澄ましながら歩くのは気持ちがよいものです。

現在もいくつかの原稿を並行して準備している最中ですが、そのような綱渡りのような生活は、少なくとも年末まで続きそうです。初夏の頃からずっと執筆に追われている感じですが、そのようななか、10月と11月のそれぞれ下旬に、素晴らしいオペラの公演に接することができたのは幸運でした。まず挙げなければならないのが、11月23日に大津のびわ湖ホールで開催されたオリヴィエ・メシアンのオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》の演奏会形式での上演です。スコアを完全に手中に収めたシルヴァン・カンブルランの指揮とそれに見事に応えた演奏でこの神秘劇の全曲を聴けたことは、とても貴重な体験となりました。正味四時間半に及ぶ全曲を聴き終えて、圧倒された、というのではなく、何か温かいものに満たされた、という感触を持ちました。このプロジェクトを実現させ、この精妙にして巨大な作品の全貌を聴衆に届けてくれた演奏者と関係者のみなさまに心から感謝しています。

23167768_1677494542302911_2385720205421113172_nこの作品の実演に接するのはまったく初めてなので、とても立ち入ったことは言えないのですが、最も内容豊かで、かつメシアンの持ち味が発揮されているのは、ジオットのフレスコ画の画題にもなっている「鳥たちへの説教」の情景(第6景)だったように思われます。この情景の音楽を聴いていると、メシアンが数十種類も聴き分けて、細やかにみずからの音楽に生かしていた鳥たちの声の一つひとつが、実に力強い生命力を放っていることが伝わってきます。それを受け止めながら語りかけるフランチェスコの声が、神秘の徴を呼び起こすところには、地上の生命を深く肯定するところに聖性との接点を見届けようとするメシアンの神学が表われているのかもしれません。

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この第6景に至る長い第2幕の音楽を聴きながら、フランチェスコが創始した修道会に属した中世の神学者ボナヴェントゥラの著書『魂の神への道程』のことを思い出しながらも、道行きの具体的な方向にはそれと反対のものを感じていました。メシアンは、どこまでも被造物の生命の営みを、第一幕に登場した男の皮膚病のような病も含めて引き受けていくことによって、汎神論すれすれのところで創造の痕跡を捉える方向性を示していますが、それが三台のオンド・マルトノの使い方に象徴的に表われている気がします。この楽器が繊細に奏で、やがて合唱とも重なっていく「天使のヴィオール」の主題は、もちろん神秘的で印象に残ったのですが、それ以上に三方向から絶えず降り注ぐようにオンド・マルトノの音が響いてくる(この点でびわ湖ホールでの楽器の配置は功を奏していたと思います)のが印象的で、音響に垂直的な、どこか天井画を持ったバロックの聖堂の建築のような広がりをもたらしていたと感じます。

とはいえ、《アッシジの聖フランチェスコ》の音楽の頂点は、フランチェスコが聖痕を受けるに至る第7景にあったように思います。びわ湖ホール声楽アンサンブルと新国立劇場合唱団の混成による合唱の力演もあって、トーン・クラスターを駆使した音響が凄まじい緊張感を醸していました。それまで具体的な被造物との関わりのなかで探究されていた、イエスの受難とは何かという問いが、フランチェスコのなかで突き詰められるこの情景があってこそ、このオペラは魂のドラマにおける焦点を持ちうるのではないでしょうか。そのなかで聖書の言葉が、シェーンベルクとはまったく異なった響きの下で、意味を越えた力として響くのも興味深く思われました。ここでの歌唱を含め、フランチェスコの役を歌ったヴァンサン・ル・テクシエの歌唱は、役柄に相応しい劇性と気品を兼ね備えていました。今回の上演では、読売日本交響楽団の演奏にも感嘆させられました。オーケストラが一つになって複雑なリズムを生き生きと刻みながら、艶やかな歌を響かせるアンサンブルの緊密さは、上演の成功に大きく貢献していたと思います。

22815609_1671956036190095_1275962100839757002_n10月28日に兵庫県立芸術文化センターで、関西二期会の第88回オペラ公演として行なわれたヴェーバーの《魔弾の射手》の公演を見られたのも貴重な経験となりました。ベルリン滞在中に知り合った気鋭の演出家菅尾友さんの演出は、このオペラのスコアとリブレットの双方を読み抜いて、そこに現代に生きる者に語りかける内実が含まれていることを説得的に示していたと思います。説明過剰になることなく物語の背景や登場人物の立場を示す方法も巧みでしたし、主人公の心の動きと音楽の変化が、人物の動きや装置の変容と緊密に結びついた舞台の進行が最後まで貫かれている点には、心からの感動を覚えました。

なかでも印象的だったのは、群衆を含めた他の人物像との対照のなかに浮かび上がるマックスとアガーテの姿でした。両者とも、ジェンダー・バイアスも同調圧力も強い慣習的な共同体のなかで、どうしても要領よく立ち回れない繊細な若者として浮き彫りにされていたと思います。そしてその繊細さが、アガーテにおいては無意識の領域にまで浸透する恋人への思いの深さとして、マックスにおいては悪魔の自在弾に手を染める弱さとして表われることが、優れて音楽的に表現されていたのも印象的でした。それから、現代の若い人々の共同体にも見られる、マチスモに集団で寄りかかった暴力性が、第一幕と第三幕の合唱で明瞭に描がれるとき、この国の人々が今まさに置かれている関係が照らし出されると同時に、《魔弾の射手》を「ドイツ」のオペラとして称揚するナショナリスティックな共同体意識も、痛烈に批判されていたように感じます。狩人の共同体に「魔弾」をもたらした悪魔ザミュエルの部屋が、サブ・カルチャーの凝縮された錬金術の工房のように描かれていたことも、現代の若い人々の共同体における想像力を凝縮しているようで興味深かったですし、第二幕における肖像画の巧みな使い方も光りました。

全体として、呪術性と合理性のあいだで揺れ、けっして善悪で割り切ることのできない人間性を、観客の一人ひとりに内在するものとして見事に浮き彫りにした《魔弾の射手》の舞台でした。もちろん、音楽も聴き応えがありました。とくにアガーテ役を歌った木澤佐江子が、傷つきやすい心を伸びのある声で歌いきって、存在感を示していたのが心に残ります。エンヒェンの役を歌った熊谷綾乃も、アガーテと好対照を示しながら、好奇心旺盛であると同時に心配りの利く女性の姿をしっかりと印象づけていました。ピットに入ったキンボー・イシイの指揮による関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏も、若々しい躍動感に満ちていて、今回の舞台に相応しかったと思います。とくに随所に聴かれるオーボエの独奏と、エンヒェンのアリアにおけるヴィオラの独奏は印象的でした。合唱も、全体で40名足らずながらも、聴きどころの合唱でとても力強いハーモニーを聴かせていました。これだけ凝縮度と説得力のあるヴェーバーの代表作の公演を観られたことは幸せでした。

324513この間に公になった仕事に一つ触れておきますと、11月25日に発売された『メルロ゠ポンティ哲学者事典』別巻(白水社)の大項目として、ヴァルター・ベンヤミンの生涯と思想をコンパクトに紹介する文章を寄稿させていただきました。このような機会を与えてくださった編者のみなさまに、心より感謝申し上げます。拙稿では、1917年の「来たるべき哲学のプログラムについて」における経験への問いを出発点としつつ、言語哲学、美学、そして歴史哲学から「哲学者」としてのベンヤミン像に迫ろうと試みました。彼が「哲学者」というのは、もしかすると日本では一般的とは言えない見方かもしれませんが、ドイツ語圏をはじめヨーロッパでは「哲学者」としても認知されています(もちろん、哲学畑で研究する人は少ないですが……)し、彼が葬られたポルボウの墓地には、「ヴァルター・ベンヤミン/ドイツの哲学者」という銘が残っています。ともあれ、ご興味のある方に他の項目と併せてご一読いただければ幸いです。私としても、ここに示したベンヤミン像を足がかりとしながら、さらに研究を深め、彼の思考から今に生きることを照らし出す洞察を引き出したいと考えております。

初秋の仕事など

[2017年8/9月]

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大田川放水路の堤の彼岸花

秋風の涼しい時期になりました。彼岸花が残る川堤にも、柔らかな陽射しの下、気持ちのよい風が吹いています。早いものですでに十月。大学の学期が始まりました。また学生たちと向き合う日々が続きます。そして今期は、他者とともに生きることへ向けた一人ひとりの学生の問題意識を引き出すと同時に、現在の危機を歴史認識をもって見通しながら、それを生き抜く思考の回路を、ベンヤミンの思想の研究をつうじて探ることにも力を入れなければなりません。

さて、去る九月には二つの場所で、音楽をめぐって考えてきたことをお話しする機会に恵まれました。9月14日に武生国際音楽祭2017の作曲ワークショップにて「嘆きの変容──〈うた〉の美学」というテーマでのレクチャーをさせていただいたことは、すでに別稿でご報告したとおりですが、それに先立って9月11日には、大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にて、広島でオペラの上演に関わってきた経験を踏まえながら、現代におけるオペラの位置と意義をその可能性へ向けて省察する研究報告をさせていただきました。シンポジウムの開催へ向けてご尽力くださった大阪大学大学院文学研究科の田中均さんに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

20170911poster『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』などの著書のあるフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんを囲んでのシンポジウムでは、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する報告を、ドイツ語で行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』における「幻像(ファンタスマゴリー)」としての楽劇を批判的に検討する議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制(シアトロクラシー)の問題にも論及したうえで、広島で上演されたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》の一端の分析と、ベンヤミンとアドルノの美学とを手がかりに、オペラを詩的な要素と音楽的要素の緊張のなかで人間の残余の媒体をなす「音楽゠劇」として捉え返す可能性を提示するという内容の報告です。その日本語の原稿は、遠からず活字にしてお届けしたいと考えております。

そこで触れたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》は、9月30日と10月1日に広島市のJMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演(委員を務めているひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催)で取り上げられた作品です。川瀬賢太郎さんの指揮、岩田達宗さんの演出による今回のプロダクションは、モーツァルトとダ・ポンテの手になる作品に真正面から向き合って、作品そのものに含まれる美質を、見事に引き出していたと思います。四人の恋する男女をはじめとする登場人物がほぼ同等の役割を果たすこのオペラにおいては、重唱によってドラマが運ばれていくのが特徴的ですが、それを支える歌手たちのアンサンブルも非常に緊密でした。稀に見る完成度でモーツァルト後期の傑作の全貌を提示できたことは、ひろしまオペラルネッサンスにとって大きな、そして今後につながる成果であったと考えております。公演にお越しくださった方々に心より感謝申し上げます。

59435900a3886今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演のプログラムにも、作品解説として「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この作品が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、モーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることに力点を置いて、作品の特徴を紹介する内容のものです。作品と今回のプロダクションのアプローチを理解する一助であったとすれば幸いです。それにしても、公演の会場に居合わせて、後期のモーツァルトの澄みきった響きに身を委ねるとともに、そのなかに抉り出される人間の内奥からの情動を肌で感じることができたのはとても幸せでした。

9月2日には、東京から津市美里町に拠点を移して四年目になる第七劇場の広島での公演を、広島市東区民文化センターで見せていただきました。今回取り上げられたのは、イプセンの「人形の家」。そのテクストに内在する仕掛けを、言葉と身振りの双方でしっかり表現する一方、日本でいち早く戯曲の内実を論じた人々の言葉を含め、新たな要素を付け加えながら、ノラが一人の人間として自立して生きていくことを、その困難も含めて浮き彫りにした舞台作りは、実に興味深かったです。それによって「人形の家」という作品が、ジェンダーやレイシズムの問題が幾重にも絡み合った問いを投げかけるものとして浮き彫りにされていたと感じました。この日の終演後に登壇させていただいたポストパフォーマンス・トークでは、こうしたことを、劇団の主宰者で今回の舞台を演出された鳴海康平さんと楽しく話すことができました。

21740934_1633032076749158_8229968318528997813_o9月19日には、JMSアステールプラザでHiroshima Happy New Ear(細川俊夫さんが音楽監督を務める現代音楽演奏会シリーズで、主催はひろしまオペラ・音楽推進委員会)の第24回の演奏会が、トランペット奏者のイエルーン・ベルワルツさんとピアニストの中川賢一さんを迎えて開催されました。細川さんが当初オーケストラとの協奏曲として作曲した《霧のなかで》、ヒンデミットやエネスクのトランペットのための作品のほか、リゲティのオペラ《グラン・マカーブル》のなかのゲポポのアリアの編曲版などが取り上げられたこの演奏会は、豊かな歌と多彩な音色を兼ね備えたベルワルツさんのトランペットに魅了されたひと時でした。彼の演奏は、呼吸と歌の延長線上にあることを、20世紀前半の音楽からジャズに至るプログラムをつうじて実感させられました。終演後、トーク・セッションの進行役を務めました。

8月の下旬には、ごく短期間ではありましたが、2月上旬まで滞在していたベルリンを訪れました。その主要な目的の一つが、コンツェルトハウスを会場に毎年開催されているYoung Euro Classicという世界中のユース・オーケストラが集う音楽祭で、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が細川俊夫さんの《星のない夜》を演奏するのを聴くことでした。トラークルの詩を歌詞に用いて季節を歌いつつ、四季の巡りのなかに第二次世界大戦末のドレスデン空襲と広島への原爆投下の体験を浮き彫りにする声楽とオーケストラのための大規模な作品を、核エネルギー発見の地であり、かつ今も戦争の記憶を至るところで刻み続けているベルリンの地で演奏することには、歴史的な意義があったと思われます。

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Young Euro Classicの会場となったベルリンのコンツェルトハウス

《星のない夜》の演奏は、「冬に」の楽章とそれに続く間奏曲に聴かれる不穏で途方もない破局の予感を含んだ自然の息吹が、最後の楽章で浄化されて死者の記憶とともに穏やかに空間を包むに至る一貫した流れを感じさせる演奏に仕上がっていました。「ドレスデンの墓標」の楽章における破壊の表現の凄まじさ以上に、哀しみの表現の深さや、静かな箇所における繊細で抒情的な表現の美しさが際立っていて、そこに作品への取り組みの真摯さが感じられます。広島の若い音楽家にこそ可能な《星のない夜》の魂の籠もった演奏は、満場の聴衆に深い感銘を与えていましたし、現地のメディアにもおおむね好意的に受け止められていました。

今回の日本語の原文で歌われた「広島の墓標」の楽章に込められた言葉を失うまでの恐怖と悲しみは、藤井美雪さんの深く、強い声を介して会場全体を震わせていました。小林良子さんが歌った、地上の世界に怒りをぶつける「天使の歌」も、強い緊張感によって時の流れを宙吊りにし、繰り返されてきた人間の過ちとその忘却を、鋭く問いただしていたと思います。このような、真の意味で強い歌に耳を傾けながら、広島で被爆した子どもの詩が伝える沈黙のうちにある恐怖の忘却が新た破局を招き寄せようとしている今、これらの歌の内実を思考によって掘り下げることが求められていることをあらためて思いました。激昂する天使の声が空間を切り裂くように、記憶の抹殺を積み重ねていく時の流れを断ち切りながら、生存の余地をベンヤミンの言う「瓦礫を縫う道」として開く可能性を、研究をつうじて探っていきたいと考えているところです。

初夏の音楽と美術など

[2017年6/7月]

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世羅高原の薔薇「詩人の妻」

暑中お見舞い申し上げます。うだるような暑さの日が続きますが、お元気でしょうか。広島では、夕凪がいつもにも増して蒸し暑く感じられます。今年は空梅雨の後に、局所的な豪雨が日本列島の各地を襲いましたが、ここ広島も六月の末に、三年前の土砂災害の日を思い出させるような豪雨に見舞われました。それにしても、7月5日から6日にかけての九州北部での豪雨の被害には心が痛みます。と申しますのも、以前に佐賀県の鳥栖市でラ・フォル・ジュルネ(「熱狂の日」音楽祭)が開催されていたのに通っていたとき、今回の豪雨の被害が最も大きかった福岡県朝倉市の杷木温泉を宿泊に使っていたものですから。それにこの朝倉市には、「国際子ども芸術フェスティヴァル」の伝統もありました。被災した方々の一日も早い生活再建を願ってやみません。

六月から七月にかけては、心身の調子があまり良くありませんでした。四月から、まったく新しい講義を含めた大学の仕事が本格的に始まり、二年前よりもかなり多忙だったこともありますが、そのなかで暗然とさせられることがあまりにも多かったのも確かです。昨今、大学のあり方について、大学の内外でさまざまな「改革」の必要性が言われていますが、その多くは、大学を含めた組織の次元の低い自己満足と、子どもとその親にたかる「教育産業」の新たな利権のためのものでしかないと思われてなりません。そして、そのために若い人たちと、その一人ひとりのための教育が食い物にされることは、許しがたいことです。こうした風潮すべての虚妄を見抜けるような批判的思考を培うことも、大学における教育の責務となりつつあることを痛感する昨今です。

七月の上旬には夏風邪を引いてしまったのですが、その症状が治まってきたところで、手足の末端に力が入らなくなってしまいました。一種の虚脱状態になって、何も手につかない日がしばらく続きましたが、おかげさまで今はある程度体調が回復してきました。そのようなわけでなかなか思うように仕事ができず、忸怩たる日々を送っていたわけですが、学ぶことにひたむきな学生の姿とその成長には救われます。今学期の三年生向けのゼミでは、学生の問題意識に応じるかたちで、花崎皋平の『生きる場の哲学──共感からの出発』(岩波新書)を講読しましたが、それをつうじて私も学ぶことが多かったです。その以下の一節は、今あらためて個々人の置かれている状況とともに顧みられるべきかもしれません。「無にひとしいものでありながら、自分とおなじ運命のもとに他人もまたおかれていることを、身につまされて感ずることができたら、そこに生まれる感情は『やさしさ』と名づけられるだろう。つまり、『やさしさ』とは、疎外された社会的個人のありようを、共感という方法でとらえるときに生ずる感情である」。

20170725 原サチコ グローバル人材育成講演会 - コピー

原サチコさん講演会のflyer

7月25日に、大学の「『市大から世界へ』グローバル人材育成講演会」の講師に、ハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優として活躍されている原サチコさんをお迎えできたのは、大きな喜びでした。「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」というテーマでお話しいただきましたが、ハノーファーをはじめとするさまざまな場所でのヒロシマ・サロンを、そのきっかけとなった林壽彦さん(広島とハノーファーが姉妹都市になるきっかけを作った方です)との出会いを含めてご紹介いただいたことによって、ヒロシマがチェルノブイリなど二十世紀の世界的なカタストロフィのあいだにあることが浮き彫りになると同時に、それとの関係のなかで被爆の記憶を継承していくことの課題が照らし出されました。そして、苦難の記憶を分かち合うことにもとづく交流が、まずは相手に対する関心と尊敬にもとづいてこそ、実質的なものになることも、聴衆に伝わったと思います。何よりも、講演会をハノーファーへの留学生を含めた人々の出会いの場にできたことは嬉しかったです。

58dcddff527ebところで、六月と七月にはいくつか感銘深い演奏会に接することができました。まず、6月7日に広島市のアステールプラザのオーケストラ等練習場で行なわれたHiroshima Happy New Ear XXIII「次世代の作曲家たちV」では、川上統さんと金井勇さんが「ヒロシマ」に寄せた新作の誕生の瞬間を多くの聴衆と分かち合うことができました。川上さんの《樟木》と金井さんの《凝視》は、好対照をなしていたので、巧まずして刺激に満ちた演奏会の構成にもなったのではないでしょうか。川上さんの作品では、旋律的なモティーフが折り重なるなかで響きが徐々に熱を帯びていく過程が印象的でしたが、それは「樟木=クスノキ」の生命が、地下へ根を張り、中空に葉を茂らせていく様子とともに、それを見守る人間の魂の存在も感じさせるものでした。川上さんの作品では、歌心を感じさせる時間の連続が特徴的でしたが、金井さんの作品では逆に時を断ち切る衝撃が、ただならぬ緊張感を醸していました。そこにあるのは、時系列的のうえでは72年前に起きたことが未だ過ぎ去っていないことに触れる、いや、むしろ触れられることの衝撃なのかもしれません。この衝撃とともに始まる「凝視」と想起の時間を象徴するソリスティックなパッセージの連なりも、求心力に満ちたものだったと思います。川上さんの作品は、被爆してもなお滅びることのなかった木々の生命力を、金井さんの作品は、被爆の痕跡を目の当たりにする衝撃と、それに続く想起の時の緊張を、魂の奥底から感じさせるものと思います。そのような作品を広島に届けてくださったお二人に、あらためて感謝したいと思います。

今回のHiroshima Happy New Earで、ブーレーズの《メモリアル》の演奏と細川俊夫さんのギター協奏曲《旅IX──目覚め》の演奏に接することができたのも大きな喜びでした。ブーレーズの作品では、何と言っても森川公美さんのフルートが素晴らしかったです。音楽の展開をわがものにした読みと繊細な歌心を兼ね備えた演奏によって、魂=言葉の雅な舞いが浮かび上がっていました。亡くなったフルーティストに捧げられたこの作品の凝縮度の高さも伝わってきました。細川さんの《旅IX》における福田進一さんのギターの独奏も、作品への共感に満ちた素晴らしいものでした。自然のなかを歩む人間の魂の開花を象徴したこの作品の音楽においては、大きく螺旋状に発展していくなかで、一つひとつの音が沈黙のなかから立ち上がってくる瞬間がことに印象的でした。その出来事によって、時に空間がたわむかのようにも聞こえました。福田さんのギターと広島交響楽団のアンサンブルが緊密に呼応し合うなかで、実に豊かな響きが生まれていたのも印象的でしたが、その響きがぎらりとした、強烈な生命の輝きをも見せていたのには驚かされました。それにしても、細川さんの作品を聴いていて、川瀬賢太郎さんが指揮する広響の素晴らしさをあらためて実感しました。響きの風景と空気感が実に見事に表現されているのです。それぞれの作品の響きが独特の時間に結びついているのがひしひしと伝わる、素晴らしい解釈と演奏でした。

18301815_1885690948358355_7477246877900166576_n7月14日に広島の流川教会で行なわれた、ザ・ロイヤル・コンソートの演奏会も心に残ります。そこでは、J. S. バッハが未完のまま遺した《フーガの技法》が、寺神戸亮のバロック・ヴァイオリンと三台のヴィオラ・ダ・ガンバにより演奏されました。二曲に“BACH”の名を音列のかたちで織り込み、バッハの作曲技法の自己省察を示すこの巨大なトルソーは、楽譜に楽器編成が記されていないことから、従来管弦楽、弦楽四重奏、あるいはオルガンのような鍵盤楽器で演奏されてきましたが、今回のように当時一般に用いられていた弦楽器のミニマムな編成で演奏されると、三つないし四つの声部が複雑に絡み合うなかから、大バッハとその同時代人の息遣いが響いてくる気がします。透明でありながら、モダン楽器の四重奏などよりも呼吸を感じさせる響きがまず印象的でした。それが、歌うことと一体となった精緻な思考によってフーガやカノンが組み立てられていることを感じさせます。

また、基本主題のリズムを変えたり、その反行型を作ったりすることにもとづいて曲が構成されることが、全体の響きの色合いを変えるのが、直接的に過ぎないかたちで伝わってくるのも好ましかったです。長調の響きのなかで、ヴァイオリンが高い音域を奏でる瞬間など、柔らかな光が上から差してくるように聴こえました。他方で、細かい音型のコンチェルタントな掛け合いが聴かれる曲や、途絶した三つの主題によるフーガの力強さにも欠けていなかったと思われます。ルネサンスの声のポリフォニー音楽との連続性も感じさせるかたちで、《フーガの技法》の魅力を再発見させる素晴らしい演奏会でした。詳細な解説と各曲の作曲技法をスクリーンに投影する工夫も、聴衆の理解を助けてくれました。

細川俊夫さんの《嘆き》がマーラーの交響曲第2番「復活」とともに取り上げられた東京交響楽団のミューザ川崎での定期演奏会(7月15日)については、すでに別稿で触れましたが、それ以外に7月22日には、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のサマーコンサートを聴きました。今回の演奏会のプログラムは、音楽監督の上岡敏之が、聴衆のリクエストにもとづいて選曲して指揮するという趣向でしたが、上岡は「ヴィルトゥオーゾ」という観点から、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調とベルリオーズの幻想交響曲を選んでいました。演奏と作曲双方のヴィルトゥオーゾの作品というところでしょうか。

後者に期待して出かけたのですが、上岡と新日本フィルハーモニーは、よい意味で驚きに満ちた演奏を聴かせてくれました。上岡は、「初心に還って」音楽作りをしたいという旨のことを、プログラムに収められたインタヴューで述べていましたが、「初心に還って」ベルリオーズが書いたスコアを読み直すと、これほどまで豊かな内容が引き出されるのか、という驚きが、音楽を聴く喜びと結びついた演奏だったと思います。幻想交響曲に慣習的に付け加えられていることを排して、ある意味で書かれた音だけでもしっかり響かせるなら、標題音楽的な情景、いや譫妄のなかのおどろおどろしい光景までもおのずと響くことを感得できました。

そうした方向性は、割合さらりとした序奏からも伝わってきましたが、上岡の指揮は、主部に入って音楽が熱を帯びるなかでも、見通しのよい響きを保ちながら、ベルリオーズの持っていた音色の豊かさを存分に生かしていました。全曲を通して、打楽器の音色を実に細かく使い分けていたのが印象的でした。それが音楽の進行に絶妙なアクセントを添えていました。この交響曲では個人的に、ヴァイオリンと木管楽器が一緒に旋律を奏でる響きが好きなのですが、そうした箇所の響きの美しい広がりも、歌の美しさも申し分のないものでした。第二楽章のワルツの旋律を含め、伸びやかな歌に満ちた演奏でもありました。第三楽章のコーラングレやクラリネットの独奏をはじめ、木管楽器の演奏はどれも素晴らしかったです。弦楽セクションのアンサンブルの充実は、上岡との音楽作りの成果を示して余りあります。

前半には戸田弥生の独奏でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されましたが、その演奏も、技巧の誇示に終わることのない音楽の有機的な発展を伝えるものであったと思います。戸田の独奏は、力が入りすぎたと見える箇所もありましたが、豊かな音で歌心を示した、好感の持てるものでした。彼女の最近の充実ぶりは、アンコールで演奏されたJ.S. バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータのサラバンドが雄弁に物語っていたように思います。アンコールと言えば、幻想交響曲の後にリストのハンガリー狂詩曲第2番が取り上げられたのですが、その演奏が圧巻でした。個人的にこの曲を積極的に聴くことはないのですが、今日ばかりは曲の面白さを、そして演奏と作曲の両面におけるリストのヴィルトゥオジティを心から楽しみました。

六月から七月にかけては、いくつか重要な美術の展覧会にも接することができました。まず、6月11日には、ギャラリー交差611でのいさじ章子さんの個展「基町の文化人──いさじ章子の小宇宙」を見ることができました。比較的大きなサイズの油絵に始まり、「ハルコ」の名で繰り広げられた街頭パフォーマンスの記録映像、そしてそれぞれが一篇の詩を感じさせる小さな絵画作品と続く展示は、実に見応えがありました。なかでも小さな絵の数々が、文字通り林立するかたちに掲げられたいさじさんの詩的な言葉と応え合っているところは、非常に感銘深かったです。言葉を読んで、あらためて絵を見ると、いさじさんが一貫して自身の生きざまを身体的な次元まで深く掘り下げ、そこにある生命の蠢きを感じ取るところから作品を創っていることが伝わってきます。最近の絵画作品では、《水のように歩く》や《佇む》といった作品が印象に残ります。ちなみに、いさじさんは、拙著『共生を哲学する──他者と共に生きるために』(ひろしま女性学研究所)の表紙に素晴らしい絵を描いてくださった方です。

また、7月5日には、峠三吉と四國五郎の交流、とくに1950年前後の「辻詩」の共同制作に光を当てた展覧会「駆けぬけた広島の青春」を、広島市の合人社ウェンディひと・まち交流プラザで見ました。四國と峠の合作による「辻詩」の現存するすべてを並べて見られたのが何と言っても印象深かったです。おそらく、この当初から儚さを運命づけられた合作は、往来に貼られる一つの行為によって、街路を辻、すなわち人と人が交差する場に変えていたにちがいありません。それとともにどのような人たちが出会っていたのかと想像しながら見入りました。控えめな画面が詩の言葉を引き立てている一枚もあれば、絵の動きに詩が吸い込まれていくかのような一枚もありました。なかでもインパクトが強かったのはやはり、日本銀行旧広島支店での四國五郎の回顧展にも出品されていた、当時の「パンパン」の姿を突きつける一枚でした。「辻詩」の1985年の原水爆禁止署名活動における復活を示す連作も、ナジム・ヒクメットの詩の受容を含め、興味深かったです。1949年の日鋼争議を描いた四國の絵と、そこで朗読された峠の詩が展示されていたのも、両者の出会いを印づけるものとして貴重だったのではないでしょうか。

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無題I(或いはピゴチャーズI)

7月22日には、東京の祖師谷のGallery Taga2にて、ボローニャとニューヨークを拠点に活動しているアーティスト吉田萠さんの個展「ジェルンディオ」を見ました。浅海の砂泥に棲む半索動物ギボシムシの生態から着想を得ながら人間の記憶、人間の自己形成ないし自己の崩壊を孕んだ変成の過程、さらにはスタニスワフ・レムとアンドレイ・タルコフスキーの「ソラリスの海」を思わせるその時空間を、多層的に、かついくつもの感覚を刺激するかたちで問う創作活動が展開されているのを、萠さんのお話を聴きながらとても興味深く見ることができました。萠さんの作品は、言葉やさまざまなイメージを書き込んだ平面にいくつもの層を重ねたり、層の一部を、それ自体ギボシムシの形を思わせるような言葉の型をくり貫いたりするなどして構成されていましたが、それをつうじて一部が消えて読めなくなっている文字は、それ自身で新たな運動を始めているかのようでもありました。そして、その動きが作品の空間を越えた世界に通じていることも示す、開かれた構成も作品から感じられました。

砂を吸っては吐いて栄養を摂取するギボシムシは、さまざまな観念やイメージを吸収しながら、あるいはそれを忘れながら生きる人間の自己形成の過程を連想させると萠さんは語っておられました。その過程で記憶の襞に、澱のように固着していくものもあることでしょう。作品のなかの石や錆を思わせる細部からは、そうしたものの存在を感じました。作品そのものが、無数の襞を持った人間の不可視の記憶器官をめくり返したようでもあり、同時に器官としての作品が蠕動し始めているようにも思われました。イタリアの古い扉をモティーフにしたという、別の世界へ通じる扉のような作品も、ギボシムシの生態を、記憶の海に生息する半機械的な生物に変成させた立体作品も、非常に魅力的でした。とくに、脆さも感じさせるかたちでゆらめきながら何かを感知している生き物は、見ていて飽きることがありません。その姿は、人間の自己の脆さとともに、その変成の未来をも暗示しているのかもしれません。

ちなみに萠さんは、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演の際に、卓抜な舞台美術を担当された方です。その公演の演出家ルーカ・ヴェッジェッティさんのお連れ合いでもあり、昨夕はルーカさんとも再会できました。広島で日本銀行旧広島支店に強烈な印象を受け、そこに何度も通ったとのお二人のお話を聴きながら、いつかこの被爆建物の空間で萠さんの作品を見てみたいと思いました。

7月23日には、国立新美術館でジャコメッティ展を見ました。マルグリット&エメ・マーグ財団のコレクションを中心とした大規模な展覧会で、アルベルト・ジャコメッティの回顧展を見るのは、数年前に兵庫県立美術館で見て以来ということになります。存在感に満ちた一連のディエゴの胸像やおそらくは妻のアネットをモデルとした細い女性の立像から強い眼差しを感じながら、ベンヤミンが「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」に記した、眼差しをめぐる考察を思い出していました。彼はこう述べています。「つまりアウラの経験とは、人間社会にしばしば見られる反応形式を、生命を持たないものや、自然と人間の関係に転用したものである。見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、眼差しを開く。ある現象のアウラを経験することは、この現象に眼差しを開く能力を付与することである」。ジャコメッティは、この眼差しの出来事に形を与えようという狂おしい試みを続けていたのかもしれません。

ベンヤミンが描くボードレールにとってこの「アウラの経験」が不可能であったように、ジャコメッティにとって一人の人間が眼差しを放ちながら立ち現われてくることの全体を捉えることは不可能であり続けたでしょう。しかし、彼はその出来事をその精髄において捉えようと苦心を重ねました。その過程をシュルレアリスムの影響下にあった初期から辿ることによって、ジャコメッティの芸術が、以前よりも身近に感じられるようになりました。

今回出品されていた作品のなかで印象に残ったのは、どちらかと言うと後期の作品で、とくに《ヴェネツィアの女たち》の立像群は美しく思われました。一体一体を少し距離を置いて見ると、一人ひとりが独特の顔立ちと眼差しでこちらを見つめ、何かを語りかけてくるように感じられます。それ以外の女性の立像のほかには、歩く男の像が興味深かったです。大きな《歩く男》も《三人の歩く男》の群像も、さまざまな力を背負いながら大いなる一歩を踏み出すという出来事を強く印象づけます。その力を、人間のみならず、《犬》も一身に背負っていることでしょう。これほど哀しい犬の姿は見たことがありませんが、それを形にするところにジャコメッティの生あるものへの愛を感じます。

さて、早いものでもう八月になります。学期の仕事がようやく終わりに近づいてきましたので、九月に二度予定されている講演の準備や、依頼されている原稿の執筆に本腰を入れなければなりません。また、その先に予定されている原稿の執筆の準備にも取りかかる必要があります。この二か月ほどで作業日程にいろいろと遅れが生じていますので、それを可能なかぎり取り戻したいとは思いますが、個人的な事情で思い通りにいかないことがあるかもしれません。それでも、現代世界における芸術の可能性を批判的に省察する、あるいは歴史のなかに生きることを、自分自身の問題として考えるきっかけになるような言葉をお届けできるよう、一ページずつ文献を読み進め、一文一文を書き連ねていきたいと思います。これから暑さがいっそう厳しくなるでしょうが、みなさまどうかお身体に気をつけて、よい夏をお過ごしください。

広島へ/Nach Hiroshima

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役所からの帰り道に見た現役のトラバント

ここ数日ベルリンでは、この冬では比較的寒い日々が続いています。日中でも気温が氷点下二、三度で、空はどんよりと曇っています。あらためてドイツで冬を過ごしていることを実感させる気候ですが、そのようななかで、ベルリンの住居を引き払い、広島へ帰るための準備を進めていました。寒さのなかを半時間ほど歩いて、地区の役所の支所へ住民登録解除の手続きに行ったり、荷物をまとめたりしていたところです。何と言っても、研究のために買いためた本を箱詰めして送り出す作業が難儀でした。昨年四月からの勤務先の大学の学外長期研修制度によるベルリンでの研究滞在を終えて、広島へ帰ります。あっという間に過ぎた十か月でした。

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桜の時季に滞在が始まりました。

滞在期間は、ベルリン自由大学の哲学科のジュビレ・クレーマー教授にお世話になりながら研究を進めました。おかげで、人文学に関する文献が豊富に揃ったこの大学の文献学図書館をほぼ毎日利用できましたし、またクレーマー教授のコロキウムで研究の中間的な成果を発表してフィードバックを得ることもできました。初めの頃には、ベルリン芸術アカデミーのヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフにも、文献のことをはじめ何かとお世話になりました。ベルリンでの研究環境は、ほぼ申し分なかったと言えるでしょう。ただ、それを生かしきれたかと自問すると、やはり忸怩たるものが残ります。もう少し文献を読めたはずだという思いを拭えません。

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初夏から夏にかけては多くの果物を味わいました。写真は市場で見た巨大な西瓜。

ベルリンでは〈残余からの歴史〉の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの歴史への問いを引き継ぎながら、哲学的かつ美学的に探究する研究に取り組んでいました。そのためには、当然ながらベンヤミン自身の問題意識をいっそう掘り下げなければなりません。滞在期間の前半は、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版のテクストと、それに関連した二次文献を読み、あらためて彼の歴史哲学とは何か、という問題に取り組んでいました。また、歴史と芸術の接点を探りつつ美学的な問題意識を深めるためには、ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』が重要であると感じましたので、滞在期間の後半には、そのテクストとこれに関連した文献を繙読しておりました。

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秋のリリエンタール公園

本来ならば、ある程度雑事から解放されている研究滞在の期間にこそ、基礎的な文献をもっと多く読んでおかなければならないのでしょうが、さまざまなことに追われて、思うようには読めなかったというのが正直なところです。とはいえ、ベンヤミンの著作にある程度時間をかけて取り組むなかで、彼の思考への見通しを、微かながら得ることができました。帰国後に少し落ち着いたら、これを何らかのかたちで提示することへ向けた仕事にも取り組まなければと思います。それから、すでに昨年のクロニクルに記しましたように、中國新聞のコラム「緑地帯」などへの寄稿をつうじて、研究に取り組みながら、あるいはベルリンに滞在しながら考えたことを広くお伝えする機会に恵まれたのは幸いでした。

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冬景色

なかでも、昨夏に雑誌『現代思想』の「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」特集に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する拙論を寄稿させていただいたことは、現在の問題意識を明確にする契機となりました。そこに一端を描いた、ベルリンと広島を大西洋と太平洋を越えて結び、今も続いている「核の普遍史」とも言うべき歴史には、広島から、あるいは広島を思うなかから立ち向かわなければならないでしょう。そして、生存そのものを脅かすこの「普遍史」に抗いつつ、今ここに死者の魂とともに生きる余地を探る営為のうちに、〈残余からの歴史〉を位置づけたいと考えているところです。

過酷な歴史的過程の残滓であるとともに、「歴史」によって抑圧されながらも残り続けている残余としての記憶から、ないしはその消えつつある痕跡から、一つひとつの出来事を想起し、一人ひとりの死者に思いを馳せると同時に、「歴史」とされてきた物語を総体として問いただすところにあるもう一つの歴史、この〈残余からの歴史〉。ベンヤミンの言葉を借りるならば「瓦礫を縫う道」としてのその方法を、さらに彼の思想の研究を深めながら、また広島で原民喜などの作品を読みながら、あるいは歴史学との対話をつうじて探究しなければと考えています。記憶殺しと歴史の骨抜きがとくに日本で進行するなかで、歴史とは何かという問いにはもう少しこだわってみたいと思います。

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フィルハーモニーとともに、コンツェルトハウスへも何度も足を運びました。

ところで、今回の研究滞在中には、細川俊夫さんの『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の日本語版が、関係者のご尽力により、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されました。世界的な作曲家の「対話による自伝」とも言うべき本書を、細川さんが最初に留学したベルリンに滞在しているあいだに世に送ることができたのには、巡り合わせのようなものを感じます。そこで細川さんが、ご自身の作曲活動の軌跡とともに語っておられる、音楽の核心にあるものは、これからさらに深めていかなければと考えています。ベルリンでは、かなりの数の演奏会やオペラなどの公演に足を運びました。熱気に包まれた会場で音楽に耳を傾け、舞台に目を凝らしながら、音楽とは何か、オペラの上演は今どのようにありうるか、という問いがいつも脳裡に浮かんでいました。そうして考えたことも、広島で音楽に関わる仕事に生かしていきたいと思います。

それから、滞在期間にベルリンからヨーロッパ各地へ何度か出かけられたのも、忘れられないことの一つです。なかでも大規模なパウル・クレー展が行なわれていたパリへの旅、ベンヤミンが自死を遂げたポルボウへの旅、そして最近のベルンとチューリヒへの旅からは、今後の研究にとってきわめて重要な経験を得ることができました。それによって、ベンヤミンの思考の軌跡をいっそう広い歴史的文脈に位置づける視野が開けたと感じています。また、ハノーファーとハンブルクでは、広島とドイツを結ぶ非常に興味深い試みにも接することができました。これらの旅をつうじて得られた刺激や人間関係も、今後の研究と教育に生かしていかなければなりません。

今回は家族とともにベルリンに滞在しました。娘が公立の小学校に通ったので、それに関わる細々としたことに時間を取られることも多かったのですが、娘の担任の教師やクラスメイトの親など、おそらく単身での滞在では出会うことのない人々とめぐり逢うことができたのもよい経験でした。娘は友達に恵まれ、何人か親友もできました。近いうちに親友との再会の機会を設けなければと思います。また、住まいの家主がとても親切だったのにも助けられました。こうした人々がいたおかげで、温かい日常を過ごすことができたと思います。ベルリンで出会った、あるいは再会した友人たちにも、さまざまな場面で助けられました。心から感謝しています。

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ちょうどベルリン映画祭の準備が本格化しています。

滞在期間には、昨年の12月に起きたトラックによる無差別殺傷事件のように衝撃的な出来事も起きましたが、この事件の後のベルリンの人々の落ち着いた生活ぶりには、多くを学ばされました。現在、世界を不安が覆うなか、憎悪が人々のあいだを引き裂いているのは確かでしょう。それに、それに乗じたとも言える由々しい政治的な動きは、すでに始まっています。しかし、後戻りできないかたちで雑種化し、さまざまな背景を持つ人々の交差路となっているベルリンの日常を生きる人々は、このことがいかに誤っているかを深く理解していると思います。それに、ダニエル・バレンボイムのように、人の注意力を細やかにしながら人と人を結びつける音楽の力を確信しているベルリンの優れた音楽家は、音楽に取り組む者にとって、人を他者に開く人文的な知が重要であることも深く理解しています。おそらくは、憎悪をその歴史的な根から照らし出し、他者とともに生きるうえで困難でありながら大切な問題を考えることへ人を導くことによって、こうした芸術家の営みを支えるところには、この困難な時代における哲学の課題の一つがあることでしょう。このような問題意識を抱きながら、また広島での仕事に戻りたいと思います。今日広島へ発ちます。

ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

ベルリン通信IX/Nachricht aus Berlin IX

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霜が降りた朝の風景

あけましておめでとうございます。ベルリンから新年のご挨拶を申し上げます。2017年がみなさまにとって幸多き年になりますように。さて、大晦日(ベルリンの時間で)にもイスタンブールから、ナイトクラブでの銃乱射で40名近い人々が命を落としたという痛ましい報せが入ってきましたが、今年は少しでも多くの人々が平和を感じられる年になってほしいものです。あらためてそう願わざるをえないのは、ドイツへ居を移して以後も、ドイツ国内で、シリアをはじめ世界中で、そして日本でも悲しい出来事が相次いだからですが、その一つが先月、クリスマスを前にしたここベルリンで起きました。新年にはあまり相応しくないことかもしれませんが、まずはその出来事を、犠牲者を哀悼しつつ振り返っておかなければと思います。

すでに広く報じられているように、12月19日の20時過ぎ、ベルリンの中心部、かつて主要駅の役割を果たしていた動物園駅のそばのブライトシャイト広場で開催されていたクリスマスの市に、大型トレーラーが突入し、12名の人々が亡くなりました。チュニジア出身とされる襲撃の容疑者がミラノで射殺される結果に至ったこの痛ましい出来事は、ベルリンの人々のあいだに深い衝撃をもたらしました。とくに娘の小学校の同じクラスの親たちの様子からは、不安と動揺が読み取られました。さらに、第二次世界大戦中の空襲の傷跡を敢えて残すことによって、戦争を記憶する行為と、そこに至った歴史を繰り返さないことへの誓いを一つながらに形にしたカイザー・ヴィルヘルム記念教会の目の前で起きたことも、ベルリンの人々の心を深く傷つけたのではないでしょうか。

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クーアフュルステンダムの夜

しかし、それでもなお人々の複数性を生きる日常を継続することが今はいかに大切かを、ベルリンの大多数の人々は深く理解している様子です。このことも、娘のクラスのクリスマス・パーティーに参加して実感しました。これもすでに報じられているとおり、さまざまな背景を持つ人々とともに生きていく(クラスの親たちの出身も、ドイツ国内以外に、ポーランド、イタリア、中国、トルコ、それに日本などと、実に多様です)ことが、破壊的な暴力にも、そして不安を煽り、排外主義的な憎悪を掻き立てる政治にも屈しない力になりうることを、ベルリンの市民は、静かに、普段どおりの行動をもって示していました。

もちろん、今回の襲撃を排他主義的な政治に利用しようとする政治家もいます。しかし、こうした行き方を許さず、ここに生きる人々の多様性を確かめながら、人々を結びつけようとする動きが公の場で見られることは重要でしょうし、とくに外国人には心強く感じられます。例えば、シャウビューネでは、「憎悪と不安に抗して──ともに人として生きるために」と題する催しが急遽企画されました。ベルリンのクリスマスの市への襲撃が惹起した不安に我を忘れ、憎悪を他者に投げつけるのではなく、それぞれに異なった人々とともに在ることを立ち止まって振り返り、その貴重さを確かめることによって、社会を他者に開こうとする催しと言えるでしょう。催しそのものは、朗読とピアノ演奏だけのささやかなものでしたが、音楽をつうじて時空間を共有し、朗読される言葉を分かち合うことの大切さが噛みしめられるものでした。

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ベルリンの晴れた冬空

このような、下手をすると人々のあいだの社会的な関係が取り返しのつかないかたちで引き裂かれかねない危機的な状況にあっては、生の深みに聴く者を誘いながら人々を結びつける音楽の力がとくに重要でしょう。この音楽の力を将来担っていく音楽家を育成するアカデミーが、12月にベルリンに誕生したことも、あらためて特筆されるべきと思われます。すでに別稿で触れましたように、12月8日には幸運にもバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーに立ち会うことができました。両者が設立したウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が生まれたことになります。セレモニーのなかでダニエル・バレンボイムは、このアカデミーを、さまざまな人々の対話をつうじて音楽を作り上げる場にしていきたいという希望とともに、教育課程のなかで、哲学をとくに重視する旨のことを語っていました。哲学をつうじて、根本的な問題に複数の視角から取り組みながら、対話に開かれた人格を養成することが、未来の音楽家の育成にとって不可欠であることという彼の主張は、現代における哲学の役割を考えるうえでも重要と思われます。

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冬のテルトウ運河

12月に、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏会をはじめ、いくつもの素晴らしい演奏会やオペラの公演に接することができたのは幸いでした。オーケストラの演奏会についてはすでに別稿に記しましたので、ここでは、現代作品の演奏会とオペラの公演に少し触れておきます。まず、12月12日の夜には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の“Late Night”コンサートで、ジェラール・グリゼーの最晩年の作品、ソプラノと15の楽器のための《閾(しきい)を越えるための四つの歌(Quatre chants pour franchir le seuil)》を聴きました。バーバラ・ハンニガンの独唱に、サイモン・ラトルの指揮によるベルリン・フィルハーモニーのメンバーとゲストによるアンサンブルという、望みうる最高の組み合わせで、この作品の実演に初めて接することができました。同時代の自殺した詩人の作品から、古代エジプトの詩句、さらには古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩まで遡りつつ、生と死の閾を掘り下げ、一つの文明の滅亡、さらには人類の死滅に至るまで死を突き詰めるこの作品に、きわめて完成度の高い演奏をつうじて出会うことができたのは、本当に幸せでした。

クリスマスの夜には、コーミッシェ・オーパーでチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》の公演を観ました。昨シーズンに初演されたプロダクションの再演ということになります。歌手たちの水準が非常に高く、音楽的に完成度の高い公演でした。乳母役の歌手と公爵役の歌手が、豊かな声量でアンサンブルを支えていた点、とくに印象的でした。オネーギン役のギュンター・パーペンデルとオルガ役のカロリーナ・グーモスは、この劇場を代表する歌手として存在感をいかんなく発揮していたと思います。ヘンリク・ナーナシの指揮の下、オーケストラの力演も光りました。バリー・コスキーの演出は、若い男女の心の揺れが音楽的に表現されるよう工夫されたもので、かつ絵として美しい情景を見せていました。この《エフゲニー・オネーギン》の舞台は、現在のコーミッシェ・オーパーを代表する一つと言えるでしょう。

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コトブスのシュプレンブルク塔

12月の最初の週末には、家族でブランデンブルク州のコトブスへ、家族で小旅行に出かけました。ベルリンからコトブスまでは、電車で1時間半ほどです。当地の州立劇場で行なわれているフンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》の公演を観ることが主な目的でした。その公演は、音楽的にはとても充実していました。とくにオーケストラには瞠目させられましたし、父親の役を歌ったバリトン歌手をはじめ、歌手の水準も高かったです。舞台に登場した子どもたちの様子や、客席の温かい雰囲気からも、市民が街の文化の発展に積極的に参加する姿勢が伝わってきました。《ヘンゼルとグレーテル》の公演に先立っては、市の博物館を訪れました。街の歴史を伝える展示もさることながら、ソルブ人の文化を伝える展示がとくに興味深かったです。女性が大きく広がる白い布で頭を覆う独特の衣裳や折々の風習などとともに、ソルブ語訳聖書や詩集などのかたちで表われるソルブ語の文化の営みが紹介されていました。

早いもので、ベルリン滞在の期間が、あと一か月ほどになってしまいました。現在、論文や依頼されている仕事に取り組みつつ、あらためてベンヤミンのテクストに向き合っていますが、その過程で、今さらながらに原典を読むことの重要性を噛みしめています。残された時間を有効に使って、文献研究を可能なかぎり深めたいものです。また、それをつうじて得られたベンヤミンなどの思想への新たな見通しにもとづいて、今回の在外研究のテーマである〈残余からの歴史〉の理論的な構想をまとめて、帰国後の研究の深化に結びつけていきたいと考えています。今年も変わらぬご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。