ベルリン通信IX/Nachricht aus Berlin IX

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霜が降りた朝の風景

あけましておめでとうございます。ベルリンから新年のご挨拶を申し上げます。2017年がみなさまにとって幸多き年になりますように。さて、大晦日(ベルリンの時間で)にもイスタンブールから、ナイトクラブでの銃乱射で40名近い人々が命を落としたという痛ましい報せが入ってきましたが、今年は少しでも多くの人々が平和を感じられる年になってほしいものです。あらためてそう願わざるをえないのは、ドイツへ居を移して以後も、ドイツ国内で、シリアをはじめ世界中で、そして日本でも悲しい出来事が相次いだからですが、その一つが先月、クリスマスを前にしたここベルリンで起きました。新年にはあまり相応しくないことかもしれませんが、まずはその出来事を、犠牲者を哀悼しつつ振り返っておかなければと思います。

すでに広く報じられているように、12月19日の20時過ぎ、ベルリンの中心部、かつて主要駅の役割を果たしていた動物園駅のそばのブライトシャイト広場で開催されていたクリスマスの市に、大型トレーラーが突入し、12名の人々が亡くなりました。チュニジア出身とされる襲撃の容疑者がミラノで射殺される結果に至ったこの痛ましい出来事は、ベルリンの人々のあいだに深い衝撃をもたらしました。とくに娘の小学校の同じクラスの親たちの様子からは、不安と動揺が読み取られました。さらに、第二次世界大戦中の空襲の傷跡を敢えて残すことによって、戦争を記憶する行為と、そこに至った歴史を繰り返さないことへの誓いを一つながらに形にしたカイザー・ヴィルヘルム記念教会の目の前で起きたことも、ベルリンの人々の心を深く傷つけたのではないでしょうか。

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クーアフュルステンダムの夜

しかし、それでもなお人々の複数性を生きる日常を継続することが今はいかに大切かを、ベルリンの大多数の人々は深く理解している様子です。このことも、娘のクラスのクリスマス・パーティーに参加して実感しました。これもすでに報じられているとおり、さまざまな背景を持つ人々とともに生きていく(クラスの親たちの出身も、ドイツ国内以外に、ポーランド、イタリア、中国、トルコ、それに日本などと、実に多様です)ことが、破壊的な暴力にも、そして不安を煽り、排外主義的な憎悪を掻き立てる政治にも屈しない力になりうることを、ベルリンの市民は、静かに、普段どおりの行動をもって示していました。

もちろん、今回の襲撃を排他主義的な政治に利用しようとする政治家もいます。しかし、こうした行き方を許さず、ここに生きる人々の多様性を確かめながら、人々を結びつけようとする動きが公の場で見られることは重要でしょうし、とくに外国人には心強く感じられます。例えば、シャウビューネでは、「憎悪と不安に抗して──ともに人として生きるために」と題する催しが急遽企画されました。ベルリンのクリスマスの市への襲撃が惹起した不安に我を忘れ、憎悪を他者に投げつけるのではなく、それぞれに異なった人々とともに在ることを立ち止まって振り返り、その貴重さを確かめることによって、社会を他者に開こうとする催しと言えるでしょう。催しそのものは、朗読とピアノ演奏だけのささやかなものでしたが、音楽をつうじて時空間を共有し、朗読される言葉を分かち合うことの大切さが噛みしめられるものでした。

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ベルリンの晴れた冬空

このような、下手をすると人々のあいだの社会的な関係が取り返しのつかないかたちで引き裂かれかねない危機的な状況にあっては、生の深みに聴く者を誘いながら人々を結びつける音楽の力がとくに重要でしょう。この音楽の力を将来担っていく音楽家を育成するアカデミーが、12月にベルリンに誕生したことも、あらためて特筆されるべきと思われます。すでに別稿で触れましたように、12月8日には幸運にもバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーに立ち会うことができました。両者が設立したウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が生まれたことになります。セレモニーのなかでダニエル・バレンボイムは、このアカデミーを、さまざまな人々の対話をつうじて音楽を作り上げる場にしていきたいという希望とともに、教育課程のなかで、哲学をとくに重視する旨のことを語っていました。哲学をつうじて、根本的な問題に複数の視角から取り組みながら、対話に開かれた人格を養成することが、未来の音楽家の育成にとって不可欠であることという彼の主張は、現代における哲学の役割を考えるうえでも重要と思われます。

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冬のテルトウ運河

12月に、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏会をはじめ、いくつもの素晴らしい演奏会やオペラの公演に接することができたのは幸いでした。オーケストラの演奏会についてはすでに別稿に記しましたので、ここでは、現代作品の演奏会とオペラの公演に少し触れておきます。まず、12月12日の夜には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の“Late Night”コンサートで、ジェラール・グリゼーの最晩年の作品、ソプラノと15の楽器のための《閾(しきい)を越えるための四つの歌(Quatre chants pour franchir le seuil)》を聴きました。バーバラ・ハンニガンの独唱に、サイモン・ラトルの指揮によるベルリン・フィルハーモニーのメンバーとゲストによるアンサンブルという、望みうる最高の組み合わせで、この作品の実演に初めて接することができました。同時代の自殺した詩人の作品から、古代エジプトの詩句、さらには古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩まで遡りつつ、生と死の閾を掘り下げ、一つの文明の滅亡、さらには人類の死滅に至るまで死を突き詰めるこの作品に、きわめて完成度の高い演奏をつうじて出会うことができたのは、本当に幸せでした。

クリスマスの夜には、コーミッシェ・オーパーでチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》の公演を観ました。昨シーズンに初演されたプロダクションの再演ということになります。歌手たちの水準が非常に高く、音楽的に完成度の高い公演でした。乳母役の歌手と公爵役の歌手が、豊かな声量でアンサンブルを支えていた点、とくに印象的でした。オネーギン役のギュンター・パーペンデルとオルガ役のカロリーナ・グーモスは、この劇場を代表する歌手として存在感をいかんなく発揮していたと思います。ヘンリク・ナーナシの指揮の下、オーケストラの力演も光りました。バリー・コスキーの演出は、若い男女の心の揺れが音楽的に表現されるよう工夫されたもので、かつ絵として美しい情景を見せていました。この《エフゲニー・オネーギン》の舞台は、現在のコーミッシェ・オーパーを代表する一つと言えるでしょう。

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コトブスのシュプレンブルク塔

12月の最初の週末には、家族でブランデンブルク州のコトブスへ、家族で小旅行に出かけました。ベルリンからコトブスまでは、電車で1時間半ほどです。当地の州立劇場で行なわれているフンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》の公演を観ることが主な目的でした。その公演は、音楽的にはとても充実していました。とくにオーケストラには瞠目させられましたし、父親の役を歌ったバリトン歌手をはじめ、歌手の水準も高かったです。舞台に登場した子どもたちの様子や、客席の温かい雰囲気からも、市民が街の文化の発展に積極的に参加する姿勢が伝わってきました。《ヘンゼルとグレーテル》の公演に先立っては、市の博物館を訪れました。街の歴史を伝える展示もさることながら、ソルブ人の文化を伝える展示がとくに興味深かったです。女性が大きく広がる白い布で頭を覆う独特の衣裳や折々の風習などとともに、ソルブ語訳聖書や詩集などのかたちで表われるソルブ語の文化の営みが紹介されていました。

早いもので、ベルリン滞在の期間が、あと一か月ほどになってしまいました。現在、論文や依頼されている仕事に取り組みつつ、あらためてベンヤミンのテクストに向き合っていますが、その過程で、今さらながらに原典を読むことの重要性を噛みしめています。残された時間を有効に使って、文献研究を可能なかぎり深めたいものです。また、それをつうじて得られたベンヤミンなどの思想への新たな見通しにもとづいて、今回の在外研究のテーマである〈残余からの歴史〉の理論的な構想をまとめて、帰国後の研究の深化に結びつけていきたいと考えています。今年も変わらぬご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

フルトヴェングラーの影──ベルリンでの三つの演奏会を聴いて

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旧フィルハーモニーの椅子

現在、ベルリンのフィルハーモニーのロビーでは、「旧フィルハーモニー──ベルリンの神話」展が開催されている。演奏会の開演前や休憩時間には、多くの聴衆が、唯一残された旧フィルハーモニーの客席の椅子を含む、そこでの演奏会や催しの活況を伝える展示に見入っていた。写真を見ると、素晴らしい音響を誇っていた──そのことは、1940年代の録音からも充分に伝わってくる──このホールで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会やフリッツ・クライスラー、パウ・カザルスといった著名な音楽家を迎えての演奏会のみならず、コメディアンのショーに舞踏会、さらには政治集会──ドイツ共産党の大会も行なわれている──も開催されていたことがわかる。

このように、ナチス・ドイツの敗戦以前のベルリンにおいて、音楽の拠点としてのみならず、社交の中心としても機能していたベルンブルガー通り──かつてベルリンの主要駅の一つだったアンハルター駅の近く──の旧フィルハーモニーは、1944年1月30日の空襲で完全に破壊されてしまった。その廃墟の写真を見ながら、今まさにロシアの軍事的な支援を受けたシリア政府軍によって徹底的に破壊されているシリア東部の街アレッポのことを思わないわけにはいかなかった。この街では、ほぼ完全に封鎖された状態で住民が日夜攻撃に晒され、子どもを含むおびただしい非戦闘員が犠牲になったと聞く。家屋のみならず、多くの病院や学校も破壊された様子は、ドイツでは繰り返しニュースで伝えられていた。

このようなアレッポの状況が心配で、先週はなかなか音楽を聴こうという気にはなれなかったのだが、結果的には三度、旧フィルハーモニー展が開かれている現在のフィルハーモニーに通うことになった。いずれの演奏会も、ベルリンにおいてのみならず、世界的に重要な指揮者たちの現況を知る鍵となる演奏会と思われたからである。聴いたのは、12月12日のダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会、12月14日のインゴ・メッツマッハー指揮によるベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、そしてクリスティアン・ティーレマン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。いずれの演奏会でも、これらの指揮者が今抱いている音楽が十全に鳴り響いた演奏を聴くことができた。

バレンボイムが指揮したシュターツカペレの演奏会では、スメタナの連作交響詩《わが祖国》が取り上げられた。少なくとも、彼がこの作品のスタジオでのレコーディングを行なったことはないはずである。この時期に彼が満を持して臨んだ今回の《わが祖国》の演奏であることは、曲を完全に手中に収めた彼の指揮から伝わってきた。驚かされたのは、第1曲の「ヴィシェフラド」の冒頭からして、相当に大きくテンポを揺らしながら、波打つような曲の流れを形づくっていたこと。第2曲の「ヴルタヴァ」のよく知られたテーマも、けっしてルーティンに流れることなく、胸中に鬱積した思いがフレーズの頂点から流れ下るように歌わせていたのが印象に残る。この曲と第4曲「ボヘミアと森と草原より」で聴かれる、舞踊のリズムと一体になった旋律にしても、バレンボイムは、細かくテンポを動かしながら、独特の活気をもって歌わせていた。

この日のバレンボイムの指揮で、素晴らしいと思われたのが、こうしたテンポの変化が、ほとんど恣意的に感じられなかったこと。「ヴィシェフラド」から「ヴラニーク」に至る大河のような有機的な流れを形成するものとして、テンポの動きが存分に生かされていた。同時に「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原より」などで聴かれる追い込みには、他の演奏では聴いたことのない勢いがあった。とりわけ「ヴラニーク」の終わりに、「ヴィシェフラド」のテーマをはじめとする他の曲の旋律が回帰し、万感を込めて歌われた後、曲の終わりへなだれ込んでいく一節には、凄まじいまでの求心力があった。他方で、「ヴルタヴァ」の神秘的な旋律や、「ターボル」でフス派の聖歌がコラール風に歌われる一節は、もう少し時間を取って歌わせてほしいとも思ったのだけれども。

若い頃のバレンボイムの指揮は、彼が少年時代にその薫陶を受けたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの亜流と揶揄されることもあったが、《わが祖国》の演奏を聴いて、バレンボイムの音楽は、作品を貫く有機的なダイナミズムを、バレンボイム独自の解釈で徹底的に抉り出すかたちで、フルトヴェングラーの精神を受け継ぐに至っていると感じた。そのような彼の音楽を、シュターツカペレ・ベルリンは、ほぼ余すところなく響かせていた。「ボヘミアの森と草原より」の冒頭のむせ返るような響きは忘れられない。

メッツマッハーが古巣のベルリン・ドイツ交響楽団──彼は2007年から2010年までこのオーケストラの音楽監督を務めていた──に帰っての演奏会で取り上げられたのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》。メッツマッハーはまず、とかく単調になりがちなストラヴィンスキーの新古典主義的な作品に内在するダイナミズムを引き出し、静と動のメリハリの利いた、同時に身体的な動きを感じさせる《ミューズの神を率いるアポロ》の演奏を繰り広げていた。とくにリズミックな曲の躍動は、この作品が《春の祭典》のような作品を書いたのと同じ作曲家の手によるものであることを思い出させた。

この日の演奏会において素晴らしかったのは、メッツマッハーのブルックナー解釈。全体的にやや速めのテンポを基調としながら、この《ロマンティック》交響曲において特徴的な、豊かな歌と、その背景をなす鬱蒼とした奥行きの双方を、けっして響きの透明感を損なうことなく鳴り響かせていた。それによって、それぞれの旋律の流れを形成する対位法的な動きが明瞭に浮かび上がると同時に、響きの風景とでも言うべきものが立ち上ってくる。ブルックナーの第4交響曲が、何故に「ロマンティック」と称されるのかを、音楽的に得心させるメッツマッハーの解釈だったと言えよう。ベルリン・ドイツ交響楽団も、非常に完成度の高い演奏でそれに応えていた。

メッツマッハーの解釈でもう一つ特徴的だったのは、各楽章全体の構成を有機的な流れにおいて見通しながら、各楽節の流れと楽節間の移行を繊細に、かつ自然なテンポの動きを伴いながら響かせていたこと。それによって、冒頭のホルンのテーマから、そのテーマが巨大な建築のなかで鳴り響くに至る一貫した流れが形成されていた。もちろん、響きの力感と勢いもけっして欠けておらず、例えばスケルツォでは、森を駆け抜けるかのように速いテンポのなかで、金管楽器のリズミックな音型が、力強く、かつ明確に響いていた。そこからほぼアタッカで続けられたフィナーレで聴かれる、トゥッティのユニゾンの壮大さも忘れがたい。この日の演奏においては、《ロマンティック》交響曲の難所とも言うべきコーダの演奏も成功していた。深沈とした響きが巨大な音響空間を形成するに至る流れを、メッツマッハーの解釈は見事に建築していた。

ティーレマンがブルックナーの交響曲を指揮するのには、一度だけ接したことがある。2010年3月27日にアクロス福岡で行なわれたミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調を指揮するのを聴いている。この演奏の際に少し気になった、曲の大きさを演出しようとするダイナミクスの不自然な細工や、持って回ったような音楽の運びが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての交響曲第7番ホ長調の演奏からは、ほとんど感じられなかった。悠揚迫らぬテンポの運びは従前の演奏と変わらないながら、そこに自然な流れが加わったのは、ティーレマンの解釈の深化を示すものと思われる。全体的に、ノーヴァク版の楽譜に書き込まれたテンポの変化を、雄大な流れのなかに生かした演奏と言えよう。

この日の演奏で最も感心させられたのは、ティーレマンの指揮に力みが感じられなかったこと。それによって、第1楽章の第三主題がクライマックスに至る箇所や、フィナーレで全楽器が複付点リズムを刻む一節などで、かえって大きな響きの空間が開かれていた。また、アダージョの第二主題が、アクセントの後で少し音を抜くように奏されていたのも印象的だった。それによって、逆に深い息遣いが響いていたし、クライマックスへ至る大きなクレッシェンドにも、噛みしめるような味わいが生まれていたのではないか。テンポの変化も自然かつ効果的で、とくにスケルツォのアッチェレランドには強い求心力があった。さらに、第2楽章とフィナーレでは、はっとさせられるようなゲネラルパウゼも聴かれた。その後に響いた柔らかな旋律の美しさは忘れられない。フィナーレにおける歌謡的な第二主題の再現からコーダに至る壮大な流れは、ティーレマンの音楽の充実ぶりを示すものと言えよう。欲を言えば、曲全体のもう少し自然な流れを、第7交響曲からは聴きたかったところである。

この日のベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会で、ある意味でブルックナーの演奏よりも味わい深かったのが、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調の演奏。華麗さからはほど遠い、どちからと言うと朴訥にリズムを刻みながら、フレーズのニュアンスを繊細に響かせるブッフビンダーのアプローチが、ティーレマンのごつごつとしたところのある音楽作りと見事にマッチして、作品のハイドン的な側面が最大限に引き出された演奏となった。第2楽章の味わい深い歌も、機知と曲の構成への洞察に満ちたフィナーレのロンドも実に感銘深かった。ブッフビンダーがとくにロンドで、楽節ごとにテンポとタッチを明確に区別していたのも印象的だった。

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破壊された旧フィルハーモニー

これらフィルハーモニーでの三つの演奏会を聴いて感じたのは、ベルリンでは今も、1920年代からその破壊に至るまで旧フィルハーモニーの中心にいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの精神が生きていることである。彼が指揮した演奏で特徴的な、聴き手の胸を摑んで拉し去るほどの求心力を持ったテンポの動き──とくにアッチェレランド──は、作品を貫く有機的なダイナミズムを読み抜き、それを即興性をもって響かせるところに生まれていることは、あらためて言うまでもないことだろう。敢えてひと言で表わすなら、彼は時間芸術としての音楽の内的な生命を、音楽する瞬間の自由において響かせようとしたのだ。そのようなフルトヴェングラーのアプローチを、バレンボイム、メッツマッハー、ティーレマンといった指揮者が、それぞれに見直していることを、テンポを細かく、そして時に大胆に動かしながら、音楽作品の生命に迫ろうとする演奏から感じないわけにいかなかった。

とりわけブルックナーの演奏において、ギュンター・ヴァントの解釈に代表される、静的な運びのなかで音楽を建築するアプローチ──とくに日本におけるブルックナー像を決定したアプローチ──よりも、フルトヴェングラーが示していた動的に有機的な流れを響かせるアプローチが、指揮者たちのあいだで見直されつつあるのが興味深い。イヴァン・フィッシャーが、コンツェルトハウス管弦楽団を指揮してのブルックナーの第7交響曲の演奏(9月7日)において、ティーレマンとは対照的な全体の運びながら、かなり大胆にテンポを動かして、それぞれの旋律に内在するダイナミズムを抉り出していたのも印象に残っている。このようなブルックナーの解釈の潮流の変化が何を意味するのかは、古楽の演奏や現代の作曲家の音楽の動向も視野に入れつつ、広い文脈のなかで考察されるべき要素を含んでいるように思われる。

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バレンボイム゠サイード・アカデミーの内部の展示

ところで、最近ベルリンでは、フィルハーモニーでの演奏とは違ったかたちでフルトヴェングラーの精神を継承するものとも見られる動きがあった。 12月8日の夜には、現在改修中の州立歌劇場の建物の裏手に、ベルリンの新しい演奏会場ピエール・ブーレーズ・ザールとともに建設されたバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーが行なわれたのである。ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が、ベルリンの地に設立されたことになる。このオーケストラをバレンボイムとともに創立した比較文学者のエドワード・W・サイードも、幼年期にカイロで、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いており、それがサイードにとっての音楽の原体験であったという。そのようなサイードとバレンボイムの思想が、若い音楽家の育成にどのように生かされるか、注目されるところである。人間関係を含めてばらばらに崩壊してしまったシリアの地に、人々の魂を呼応させ、背景の異なる人々を再び結びつけるきっかけをもたらす力を持った音楽家が、このアカデミーから育つことを願ってやまない。

ベルリン通信V/Nachricht aus Berlin V

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八月末に訪れたプラハ城を望む風景

九月を迎えて、ベルリンでは朝夕に秋の気配が感じられるようになりました。午後はそれなりに気温が上がりますが、日が落ちるとすぐに冷気を含んだ風が漂ってきます。日本も、そろそろ秋風が吹き始める頃でしょうか。八月もあっと言う間に過ぎて行きましたが、その感触は、中旬の10日間を猛暑の広島と東京で慌ただしく過ごしたことも影響しています。8月15日から集中講義などのために一時帰国しておりました。集中講義では、4日間で一学期分の講義をして、試験まで済ませたわけですが、学生たちがとてもよく付いて来てくれたと思います。それ以外のいくつかの仕事にも見通しを得ることができました。貴重なお時間を割いてご協力くださった方々に心から感謝申し上げます。その内容については、追い追いお伝えしていきます。

仕事の一つに、中國新聞の文化面の「緑地帯」のための原稿執筆がありました。すでに8月30日付の朝刊より、「ヒロシマ─ベルリン通信」と題して、全8回のコラムの連載が始まっております。本コラムでは、すでに『現代思想』誌の「〈広島〉の思想」特集所載の拙稿に盛り込んだエピソードも含め、4月からの研究滞在中に見聞きしたことを交えつつ、ここベルリンでの思考の一端を綴ってまいります。とくに、今も続く核の歴史に、記憶することをもってどのように向き合いうるか、その際に芸術がどのような力を発揮しうるか、といった問いをめぐって、拙いながら考えたことをお伝えできればと思います。全文が同紙のヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに掲載されますので、ご笑覧いただければ幸いです。

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ブランデンブルクの旧市庁舎の入り口に立つローランの像

一時帰国に先立っては、71回目の広島の原爆忌をベルリンで迎えました。その日の夜は、中心街にあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ、IPPNW(International Physicians for the Prevention of Nuclear War:核戦争防止国際医師会議)の主催によるチャリティー・コンサート„Nie wieder Hiroshima – No more Hiroshima“を聴きに行きました。演奏会は、昨年広島を訪れて若い演奏家と共演したギャレット宇見のピアノ独奏によるもので、彼女が、輝かしい音色と技巧の確かさにおいて才能に恵まれたピアニストであることを伝えるものでした。演奏会の中ほどで、IPPNWの代表者によるスピーチ„Nie wieder Hiroshima – No more Hiroshima“があり、そのなかで広島と長崎の原爆の犠牲者に捧げる黙祷も行なわれました。科学者と原爆開発の関わりを詳しく辿ったそのスピーチの最後で、ギュンター・アンダース(ベンヤミンの従弟に当たります)の「広島は遍在している」という言葉が引かれていたのが印象的でした。

8月11日には、ブランデンブルク(Brandenburg an der Havel)を訪れました。ハーフェル川の辺のこの古い街までは、ベルリンから電車で一時間足らずです。ナチス・ドイツのいわゆる「安楽死」施設の跡に設けられた記念館の展示を見るのが小旅行の目的でした。旧市庁舎の前にはローランの像が立ち、随所に中世の面影を残す美しい古都には、あの「T4作戦」の実行施設の一つが造られ、1940年1月から10月までのあいだに9000人を超える人々がガスによって、「安楽死」の名の下で虐殺されています。その跡地には、犠牲となった人々を紹介するモニュメントが置かれるとともに、ガス室のあった場所が示されています。

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「安楽死」施設記念館のモニュメント

記念館の展示はとても詳細なものでした。誰がどのような立場で虐殺の過程に関わったのか、どのような人々が、どこから、またどのような手続きでこの施設へ送られてきたのか、虐殺の背景にどのようなイデオロギーがあったのか、といったことが、ドキュメントとともに網羅的に描き出されています。犠牲者の多くは心身に障害を持った人々でしたが、なかにはユダヤ人であるという理由で虐殺された人もいたようです。そして、この施設で虐殺に関わった人々の一部は、後に「ラインハルト作戦」の下でソビブルやトレブリンカの絶滅収容所を稼働させるのに重要な役割を果たすことになります。「最終的解決」とも深く結びついたナチスの「安楽死」の問題を、現在を照らし出す問題として考えなければという思いを新たにしました。

8月13日には、ベルリンの歴史ある野外演奏会場ヴァルトビューネで、ダニエル・バレンボイムが指揮するウェスト゠イースタン・ディヴァン管弦楽団の演奏会を家族で聴きました。大勢が集まる演奏会ということで少し不安もありましたが、アラブ諸国とイスラエルの若い演奏家で組織された、そしてバレンボイムと今は亡きエドワード・W・サイードによって創設されたこのオーケストラの演奏を聴ける貴重な機会と思って出かけた次第です。プログラムは、イェルク・ヴィトマンの《コン・ブリオ》に始まり、マルタ・アルゲリッチの独奏によるリストのピアノ協奏曲第1番、休憩を挟んでヴァーグナーの歌劇《タンホイザー》の序曲、楽劇《神々の黄昏》より、「ジークフリートのラインの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」、そして楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の第一幕への前奏曲というもので、なかなか聴き応えがありましたが、音楽家たちはどのような気持ちでこれらの作品に取り組んでいるのでしょうか。

さて、このオーケストラは、バレンボイムとの共演をすでに何年も積み重ねていることもあって、彼の細かいアゴーギグにも実によく付いて行きます。PAを通した音がどうしても聞こえるので、細かいところが伝わらないのが残念ですが、全体として、バレンボイムの求める音楽が、重心の低い、充実した響きとともに引き出された演奏だったと思います。とくに「葬送行進曲」は、気迫が込もっていて、圧倒的な印象を残しました。とはいえ、やはり素晴らしかったのは、マルタ・アルゲリッチのピアノ。幼馴染みで気心の知れたバレンボイムとの共演とあって、感興に富んだ、若々しいとさえ思える演奏を繰り広げていました。のピアノの闊達さが曲ともマッチしたリストの演奏だったと思います。アンコールにバレンボイムとの連弾で、ラヴェルの組曲《マ・メール・ロワ》からの一曲が演奏されました。

八月には、もう一つオーケストラの演奏会を聴きました。ヨーロッパを中心とした世界各地のユース・オーケストラの音楽祭Young Euro Classicの一環として行なわれたルーマニア・モルドヴァ・ユース・オーケストラの演奏会です。隣接する二つの国の17歳から25歳の若い音楽家によって構成されたこのオーケストラの演奏能力の高さと、音楽のエネルギーに驚かされました。オーケストラが一体となっての響きの力感と推進力は息を呑むほどでしたし、繊細な表情にも欠けていません。何と言っても、セクションどうしがよく聴き合って、つねに見通しの利く響きを形成しているのが素晴らしかったです。とくに、プロコフィエフの《ロメオとジュリエット》の組曲における音楽の振幅の大きさには瞠目させられました。

二つの国から集まった若い音楽家の力をいかんなく発揮させていたのが、ルーマニアの名匠クリスチャン・マンデアル。緊密で有機的な響きをオーケストラを引き出しながら、間然することのない音楽の流れを形成していました。彼が得意なレパートリーを指揮するのを、ぜひ聴いてみたいところです。とはいえ、今夜最も驚嘆させられたのは、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲における、アンドレイ・イオニーツァという若いチェリストの独奏。すでにチャイコフスキー・コンクールなどのコンクールでの受賞と著名な音楽家との共演を重ねてきたチェリストですが、素晴らしい才能と思います。豊かで深い音から実に闊達な音楽を聴かせていました。

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プラハ城内にある聖ヴィート教会のゴシック様式の身廊

月末には、休暇を取ってプラハへ二泊三日の家族旅行に行ってきました。ベルリンからプラハへは、飛行機を使うと一時間足らずです。旧市街とプラハ城などのお定まりの観光地くらいにしか行けませんでしたが、とくにプラハ城内の教会は、何度見ても発見があります。今回は天候に恵まれたので、聖ヴィート教会のステンドグラスがひときわ美しかったです。ロマネスク様式の聖イジー教会の建築も、あらためて興味深く思いました。旧市街の塔からの「百塔の街」の眺めも楽しめました。家族旅行だったので、初めてケーブルカーでペトリの丘に登ったり、公共の渡し舟でヴルタヴァ川を渡ったりもしました。プラハの街は、観光客でごった返していて、それを当て込んだ店が多いのは相変わらずですが、全体として落ち着きを取り戻しつつある印象を受けました。

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プラハ動物園で見たゴリラの親子

ちなみに、家族がプラハで最も喜んだのは、最終日に訪れた動物園。プラハまで来て動物園、と思われるかもしれませんが、この動物園は一日過ごす価値があります。広大な敷地で実にさまざまな動物の生態を間近に見ることができます。家族にはやや不評だったユダヤ人街の外れのギャラリーでは、上海に逃れたユダヤ人の生きざまを記録した写真の展示を興味深く見ました。プラハ城内の国立美術館では、デューラーの《ロザリオの聖母》をはじめ、ホルバイン、レンブラント、ライスダールらの名作と再会しましたが、クラーナハについて、ややとまった展示もありました。そう言えば、近々東京と大阪でもクラーナハ展が開催されるようですが、それがこの画家の再評価の機縁になればと思います。

さて、冒頭で触れましたように、すでに九月が始まりました。4日からは、福井県越前市で武生国際音楽祭が始まります。ここ数年毎年聴かせていただいていたこの素晴らしい音楽祭に、今年伺えないのが残念ですが、今年も、古典と現代を結びつけながら、両者に新たな光を当てる充実したプログラムが組まれていますので、例年に増して多くの聴衆が集まることを心から願っております。5日からは娘が通う小学校の新学期が始まります。そして、すでにベルリンでは、芸術週間の演奏会や催しが始まっています。まもなく各劇場の新シーズンも本格的に始動します。研究に、仕事に、そして劇場や演奏会場に通うのに忙しい日々が始まりそうです。季節の変わり目に差しかかりますので、みなさまもお身体大事にお過ごしください。