福岡アジア美術館を会場に開催されていた水俣・福岡展2023(認定NPO法人水俣フォーラム主催)の協賛企画として10月29日に開催された「水俣を想う歴史家と哲学者の対話」の終わりに、歴史家の藤原辰史さんが、パレスティナのガザ地区の海水が下水などによって汚染されていることに触れてくれた。2006年から続くイスラエルによる封鎖と、その後も度重なった武力攻撃によってガザの水道が機能しなくなり、下水が処理されないまま海に流されているという。そのために健康被害が心配されるほどに海水が汚れていく一方、飲み水を含めた生活用水の供給もできない状態が続いていることは言うまでもない。
それでもなお、人々は海に出る。海岸で遊ぶために、魚を獲るために、あるいはただ息をつくために。海が広がっていくのを眺め、波とともに吹き寄せてくる風を浴びると、生きている感触が得られるのだ。先の対談は、石牟礼道子の言葉に因んで「生類の歴史へ」というテーマをめぐって行なわれたが、地中海に面したガザ地区の人々は、海でこそ、自分が生類の一つであることを実感するにちがいない。そうした人々の生きざまを浮かび上がらせる映画が福岡で上映されていることを知り、仕事の合間を縫って見に行った。ガリー・キーン、アンドリュー・マコーネル監督のドキュメンタリー映画『ガザ 素顔の日常』である。
2019年に発表されたこの作品は、ガザの人々と海の深い結びつきを伝えている。冒頭に描かれる、子どもたちが巧みに泳ぐ姿から惹きつけられた。海で遊んでいるのは40人もの家族がいる漁師の孫たちだ。彼らは父や兄たちから船の操り方や網の扱い方などを学ぶ。こうして海で生きる技を体得する。アフマド少年は、ガザのみなに尊敬されるような漁師になって船を持ちたいと語っていた。しかし、海も封鎖されている。水質汚染の影響もあるのだろう。船を動かせる海岸から5キロメートル圏内では、ほとんど何も獲れないという。わずかに網にかかったイワシのような小魚が、子どもたちの貴重な蛋白源になっている。
もし漁をしているうちに見えない封鎖ラインの外に船が出てしまったら、漁船はすぐにイスラエルの軍艦によって拿捕される。漁師が拘束されることもあるという。ある老人の息子は犯罪の嫌疑をかけられ、5年ものあいだ拘留されていた。映画は、彼がようやく家族の許に帰ってくる日を追っていたが、その映像は、彼を英雄化するハマスの構成員が空砲を撃ちながら行進する様子をアイロニカルに描いているように見えた。一人の男は、ハマスが支配するようになってから、ガザは世界から見放されたと独白していた。占領、そして封鎖の暴力は、ガザの人々の生を締めつけ、その未来を鎖していく。
電気が頻繁に止まり、手仕事を細々と続けるのすらままならない。タクシーの運転手は、家族があり、仕事を続けられているのは幸せだと語るが、その彼も債務不履行のために収監されたことがあるという。若者が職を得られる可能性はきわめて低い。このような絶望的な状況のなか、生存はそれ自体抵抗であらざるをえない。そして、若者たちは抵抗を石に込めて壁の向こうへ投げつける。イスラエル軍の兵士は、それに対して容赦なく銃口を向ける。投石する若者たちは、重い傷を負う。命を落とすこともある。映画では、そのような若者の救護を務めとする救急隊員の必死の働きが印象深く描かれていた。
この救命士は無事でいるだろうか。イスラエル軍は今、救急車両の列に、それが負傷者や病人を運び込む病院などに、空からも地上からも苛烈な攻撃を行なっている。一連の攻撃によるガザ地区の住民の死者は、すでに一万人を超えたという。心身に傷を負った人の数はもはや計り知れない。病院とは言うまでもなく、病を患う者、負傷した者が治療と看護を受ける場所である。あるいは新たな命を宿した女性が出産し、その直後のケアを受ける場所であり、新たに生まれ出た命が育っていくために必要な医療を受ける場所でもある。家を失い、体調の不安を感じながら病院へ逃げ込んだ人も少なくないだろう。
そこにいるのは、他の場所へ移動することが困難な人々である。現在の状況で弱い立場にある人々が激しい砲火にさらされ、救護されないままに放置されている現状は容認しがたい。なぜ弱者に武器を向けるのか。そこには、ガザ侵攻を押し進めるイスラエルの現政権の基本的な姿勢が顔をのぞかせているように見える。そして、数多くの新生児を命の危険にさらしているところには、今やその攻撃性を剝き出しにしている人種差別的なイデオロギーの本質も表われていよう。政権にはパレスティナ人のことを「動物」だと言い放つ者もいるという。そのような他者観の下でガザの住民の虐殺が続いている。
ここにあるのは、1948年からのナクバの連続であり、その要因として歴史家イラン・パペが挙げる民族浄化の企図のあまりも暴力的な顕在化である。その点でイスラエルの軍隊がガザ地区で進めているのは、ジェノサイドと言わざるをえない。哲学者ジュディス・バトラーも、「われわれ(ユダヤ人)を口実にするな Not in our name」と訴えながらそう指摘していた。このことを武力攻撃の当初から執拗に医療が標的にされてきた経緯と考え合わせると、恐怖に震える。映画をつうじて見た人と人の強い絆のなかで、また海の自然との深い結びつきのなかで真剣に生きる一人ひとりの命がここまで蔑ろにされるのか。
もう一つ容認しがたいと思われるのは、イスラエルの現政権の閣僚の一人が、核兵器の使用も選択肢の一つになるなどと軽々しく述べ立てたことである。原子爆弾の惨禍に遭った広島で長く暮らした者として、そのことには心の底からの怒りを覚える。その一方でこうした発言に、現在のガザを一掃してしまいたいという欲望も感じないではいられない。そのような欲望を背景に住民の生命を上から踏みにじってはばからない者は、ハマースによる無差別攻撃によって奪われた一人ひとりの命も、そのなかで行なわれた大規模な誘拐によって恐怖の下に置かれた一人ひとりの命も顧みていない。
こうした犠牲が、イスラエル軍の地上侵攻を容認させるようなかたちで報じられる一方、ガザが封鎖されてきたことや、ヨルダン川西岸地区とともにイスラエルの占領下にあることが、そこにある人間性の剝奪とともに取り上げられる場面はあまりにも少ない。ガザのパレスティナ人の犠牲も膨大な数としてしか語られなくなりつつある。先に触れたDemocracy Now!のインタヴューでバトラーが述べていたように、親に抱き上げられる前に息を引き取った赤ん坊を含め、ガザの死者一人ひとりが悼まれる回路が開かれる必要があるのではないだろうか。生あるものたちのあいだに、あらゆる境界を越えて。
誰ひとり殺されてはならない。そう考えるところから哀悼が分有されてこそ、国家的組織による殺戮と、その犠牲を容認する「戦争」の論理に内側から抗することができるだろう。虐殺は止められなければならない。たとえそれに対して直接に働きかけられなくとも、この出来事に潜む問題──それは、百年前に関東大震災のさなか、朝鮮人などの虐殺を引き起こした問題と同じ根を持っている──へ眼差しを向けるとともに、一つひとつの顔から注がれる眼差しを感じ続ける身ぶりを止めてはならない。このようなささやかな抵抗の重要性を気づかせてくれたのが、水俣・福岡展の会場に掲げられた犠牲者一人ひとりの遺影だった。