ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

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Haus der Kunstにおける„Postwar“展を見て

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

現在、ミュンヒェンのHaus der Kunst(芸術の家)では、„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“(副題は、「太平洋と大西洋のあいだの芸術、1945〜65年」)というテーマの大規模な展覧会が開催されている(会期は、2016年10月14日から2017年3月26日まで)。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野の下で捉えようとする、きわめて意欲的な展覧会である。そのウェブサイトに記されているところによると、「戦後の芸術について踏み込んだかたちで、かつグローバルな視野を持って開催される今回の展覧会は、65か国からの218名の芸術家による、総計350点の作品を展観するもので、そこには絵画、彫刻(立体作品)、インスタレーション、コラージュ、パフォーマンス、映画、芸術家の著書、ドキュメントおよび写真が含まれる」とのことである。

この展覧会において„Postwar“という語は、「戦後」というだけでなく、植民地体制の崩壊後という意味合いもあり、実際、アジアやアフリカの欧米の植民地だった国々の芸術家の作品も数多く出品されている。その展開が、独立運動などにおけるその芸術の働きも含めて示されているのも、展覧会の特徴の一つと言えよう。しかし、ここで„Postwar“という語に関してはむしろ、人間性を、さらには生命を根幹から破壊し、世界を崩壊させるに至った戦争が、取り返しのつかないかたちで起きてしまったことと、その衝撃が地球的な規模で波及したことが重要だろう。この歴史が、美術そのものをどのように変えたか、また美術の変貌のうちに世界の崩壊と再構築が、さらには人間像の変化がどのように捉えられているか、という点が、展覧会の焦点になっているのではないだろうか。

„Postwar“の衝撃の原点に広島と長崎への原爆投下が位置づけられているのも、今回の展覧会に関して特筆されるべきだろう。その最初の章は、「余波──零時と核時代」と題されていて、そこには丸木夫妻による《原爆の図》のうち第2部「火」と第6部「原子野」が、上下に並べて展示されている。このように展示されると、「火」における人物群像が示す、崩れ落ちてきそうなまでの立体性と動きが、いっそう際立つように見えた。また、「原子野」はちょうど目の高さで、非常に間近で見られたこともあり、見ていて闇の深さに吸い込まれそうな気がする。人物像の異様な、肉体を脱落させたとも言えそうな透明さも目に留まった。その周りには、被爆直後の長崎の写真や広島の──「幻の」と言うべきか──「慰霊碑」にまつわるイサム・ノグチの作品などが展示され、アラン・レネの《ヒロシマ・モナムール》の冒頭部分が流されている。この章は全体として、核と向き合った美術を新たな布置の下で見直せる空間を開いていると思われたが、そこに例えばベン・シャーンの作品がないことは少し気になった。

14481736_10154031414240749_5616080389525781663_o以下、第2章「形式が肝心である」、第3章「新たな人間像」、第4章「いくつものリアリズム」、第5章「いくつかの具体的なヴィジョン」、第6章「コスモポリタンなモダニズム」、第7章「形式を追求するさまざまな国民/民族」、第8章「ネットワーク、メディア、そしてコミュニケーション」の全8章によって展覧会は構成されている。第2章では、世界が崩壊した後の廃墟からの美術が、新たな形式を追求するなかで、物質的な素材に着目することによって、絵画の平面性を越えていく動きが捉えられている点が興味深く思われた。その動きは、第5章で示される立体的な作品の展開の一部にも連なっているだろう。なお、この第2章には、日本の具体派の作品や記録映像が、ジャクソン・ポロックの作品などとともに展示されている。また、白髪一雄の《作品II》や草間彌生の作品も見られた。

他に、第3章には河原温の《考える人》が、第8章には実験工房の映像作品(日本の自転車産業の宣伝を目的とした松本俊夫監督の実験的な映画《銀輪》)が展示されていたが、今回の展覧会における日本の戦後美術からの作品の選択は、全体的に、すでに一定の国際的な知名度を獲得しているものに偏っている印象は拭えない。現時点では致し方ないところかもしれないが、日本の戦後美術に関する美術史研究および美術批評の国際的な発信の課題が、この展覧会をつうじて照らし出されたようにも思われる。また、展示作品に朝鮮半島の作家の作品が全体的に少なかったのも少し気にかかるところである。

ところで、第3章「新たな人間像」では、第7章「形式を追求するさまざまな国民/民族」とも関係する、芸術の政治的な機能とも絡んだ、戦後の新たな人間像の追求の両義的な側面が示されていた。ジャコメッティの作品における、同時代の窮境のなかに生きる人間の姿を突き詰める方向性と、ドゥビュッフェらの作品から暗示される人間像そのものの崩壊のあいだの緊張のうちに、「人間」への歴史性を帯びた眼差しが映し出される本章は、今回の展覧会の白眉と言えるのではないだろうか。フランシス・ベーコンの《法皇》像が示す、支配的な権力の不気味さと、ピカソの《朝鮮の虐殺》やシケイロスの《アメリカ合衆国のカイン》が示す集団としての人間の残虐さの双方を念頭に置きながら、作家たちが新たな人間像を──ある作家は新たな「人間」の誕生へ向けて、またある作家は、人間像そのものの可能性を問いながら──模索する姿が浮かび上がっている点がとくに印象深い。この第3章は、„Postwar“の状況において「人間」が問われるべき存在になったことを、見る者に突きつける空間を開いていると思われる。

第4章では、政治的プロパガンダの機能を含めた戦後のリアリズムのいくつかの側面が描かれている。その歴史的な位置価を、さらにはその様式の美的ないし感性的な効果を、世界的な視野をもって問い直すことは、今も続く歴史的な過程を問う地平を開くうえで欠かせないのではないだろうか。それ以外に、第8章で展示されていた、コミュニケーション・メディアの変遷を視野に入れながら、アートと社会の新たな回路を探る試みなども興味深く見たが、全体として、企画責任者でHaus der Kunstの館長でもあるナイジェリア出身のオクイ・エンウェゾルのキュレーションが最も生きたのは、やはりアフリカ出身の作家の作品の選定においてであったのかもしれない。戦後ないし植民地支配後のアフリカ美術の豊かな展開の一端を歴史的な文脈のなかで見られることも、今回の„Postwar“展において特筆されるべき点の一つであろう。

なかでも、アーメド・シブレン、イブラヒム・エル゠シャラーイというスーダン出身の作家の作品は、カリグラフィーから着想を得たと思われる形象の配置を、形象そのものの発生から描き出していて印象深い。とりわけ、灰色の地の上に線の動きによって描かれた形象が、控えめな色彩とともに、静かに立ち上るように浮かび上がるエル゠シャラーイの作品は、《墓標の幻影》と題されている。それは、植民地支配のなかで、あるいはそれと関係した戦争のなかで命を落とした人々の魂に捧げられているのだろうか。画面に浮かび上がる形象は、墓碑のようでもあり、また死者の声なき言葉を伝える謎めいた文字のようでもある。それが暗示する死者たちの記憶と、例えば展覧会冒頭に展示されている《原爆の図》が伝える死者たちの記憶を照らし合わせながら、歴史的な現在を見つめ直すことは、今回の„Postwar“展を見る者に課せられていることだろう。戦争が取り返しのつかないかたちで、癒しようのない傷を残すかたちで起き、無数の死者を生み出してしまった„Postwar“の状況において、作家たちはその歴史にどのように向き合って作品を創り続けたか。このことを地球的な視野をもって検討することは、例えば差別や憎悪の問題といった今ここにある問題を、その起源から捉え返すうえでも不可欠と思われる。このような思考の地平を垣間見せているところに、あの「頽廃芸術展」と並行して「大ドイツ展」が開催されたHaus der Kunstを会場とする„Postwar“展の意義があるようにも思われる。