トーマス・ツェートマイアとフランス国立オーヴェルニュ管弦楽団の演奏会を聴いて

以前からトーマス・ツェートマイアのヴァイオリンを実演で聴いてみたいと思っていた。ディスクで聴くその音は、ときに肺腑を抉るほどに厳しく研ぎ澄まされていながら、歌のしなやかさが失われることはない。繰り返し聴いてもはっとさせられるほど繊細な弱音の表現は、彼ならではのものだろう。その一方で、オーケストラと渡り合う場面でも、音には芯があり、響きは澄んでいる。こうした魅力を示すものの一つが、フランス・ブリュッヘンが指揮する18世紀オーケストラとのベートーヴェンの協奏曲の録音かもしれない。そのようなツェートマイアのヴァイオリンの音を演奏会で聴く機会には、これまで恵まれなかった。彼が最近、指揮活動に力を入れているのも、その要因かもしれない。

4月16日、ツェートマイアのヴァイオリンを聴ける機会がようやく訪れた。彼がフランス国立オーヴェルニュ管弦楽団を率いて、アクロス福岡演奏会を行なったのである。このオーケストラの弦楽セクションが、彼の指揮の下、モーツァルト、バッハ、クセナキス、そしてブラームスの作品を奏でた。カントルーブの歌曲集《オーヴェルニュの歌》で知られるフランス中南部の山がちな地域から来たオーケストラは、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭にしばしば出演しているとのこと。それぞれの作品にどこまでも真摯に取り組みながら、音楽を奏でる喜びを絶えず感じさせる演奏の姿勢には好感を持った。親密さを感じさせるアンサンブルで、温かい響きを聴かせてくれる。

最初に演奏されたのは、モーツァルトのト長調の弦楽三重奏曲(KV.562e)の一楽章の断片を、ツェートマイアが弦楽合奏のために編曲した一曲。弦楽三重奏のための変ホ長調のディヴェルティメント(KV.563)と同様、作曲家の晩年に書き始められ、未完のままに残されたという。ツェートマイアは、提示部をオリジナルの弦楽三重奏で、展開部から先を弦楽合奏で演奏するように編曲していたが、再現部では、弦楽三重奏との協奏が繰り広げられる場面もあった。そのような編曲によって、簡素さを志向しながら、短いモティーフを徹底的に、かつ愉悦を引き出すかたちで展開させようとする作曲の方向性が伝わってきた。

今回、ツェートマイアの指揮で聴いた弦楽三重奏曲の一楽章の再構成は、晩年のモーツァルトが繰り広げようとしていた、ベートーヴェンへ通じるような音楽の姿を示すと同時に、バロックのコンチェルトを聴くような印象も与える。この点は、続いて演奏されたバッハのヴァイオリン協奏曲と呼応する。ツェートマイアは、二曲の協奏曲を指揮しながら奏でたが、その演奏は彼のヴァイオリンの美質を遺憾なく伝えるものだった。合奏を含め、モダン楽器によるオーソドックスな様式によるバッハへのアプローチを示していたが、その必然性を感じさせる演奏だった。

ツェートマイアは、基本的にはトゥッティも一緒に弾きながら指揮していたが、彼の独奏が始まるとき、合奏の響きのなかから彼の音がごく自然に立ち上がってくるのには感嘆させられた。そこから独奏が、即興性を帯びながら繰り広げられていくが、その過程を一本の細い、そして楽章を通じて途切れることのない線が貫いている。同じモティーフが反復されるときなどに、彼独特の弱音が聴かれたが、それが響きに奥行きを与えながら聞こえてくる際の存在感は、実演でこそ味わえるものであるものである。微かな音からの繊細な歌は、同時に自然な息遣いを伝えていた。

チェンバロが通奏低音に加わった合奏は、独奏に緊密に呼応しながら、バッハの音楽の豊かさを伝えていた。その演奏は、ピリオド楽器によるもののような俊敏な躍動や、劇的な対照を感じさせるものではないが、ツェートマイアの独奏と組み合わさることによって、バッハの作品のたたずまいを示すものとして響いた。それぞれの協奏曲の緩徐楽章では、ツェートマイアのヴァイオリンにじっくりと耳を傾けられたが、その響きの自然さと奥行きの深さにはあらためて驚かされる。フレージングも音楽自体のダイナミズムと一つになって、バッハの息遣いを伝えている。

自然に胸に沁みる協奏曲の演奏もさることながら、今回とくに嬉しかったのは、アンコールにベルント・アロイス・ツィンマーマンの無伴奏のソナタの一楽章が奏でられたことである。この曲の演奏でも、ハーモニクスがはかなく消え入る終わりまでひと筋の線が貫かれている。ここまで音楽の展開の必然性を感じさせるのは、レコーディングを含めてこのソナタを繰り返し演奏してきた彼ならではだろう。激しく高揚して、躍動的なモティーフが繰り返し打ち込まれる中間部では、楽器と奏者の存在を忘れさせるほどに、ツェートマイアはツィンマーマンの音楽と一体になっていた。そこにはバッハの精神があるとツェートマイアは語っていた。

演奏会の後半はクセナキスの《アロウラ(大地)》で始まったが、1971年に発表されたこの作品の演奏は、風が吹き交う空間に一つの塊が立ち現われ、それが生気を帯びて蠕動し始めるような現象を想像させながら、音楽の展開自体を楽しませるものだった。それによって、一つのモティーフにもとづく音楽の形が示されたのは感銘深い。それに続いてブラームスの弦楽五重奏曲第2番の弦楽合奏版が奏でられたが、最初はテンポの速さに驚かされた。ディスクで親しんできたシャーンドル・ヴェーグとカメラータ・アカデミカ・ザルツブルクの演奏より数段速い。だが、それによって音楽の湧き上がるような躍動が、実に生き生きと伝わってくる。

弦楽合奏による演奏であることも相まって、五重奏曲の最初の楽章では、ブラームスが保ち続けた情熱が一つのうねりとなって迫ってきた。この楽章は、最後にテンポを落として静かに消え入っていくが、そのはかなさは、主部の躍動によっていっそう際立っていた。中間の二つの楽章では、重層的な響きのなかから歌が豊かに繰り広げられるのが印象的だったが、もう少し寂しさを感じさせる場面があってもよかったかもしれない。最終楽章の躍動感と高揚感には、今回のツェートマイアとオーヴェルニュ管弦楽団のブラームスへのアプローチの特質がよく表われていた。急速なコーダに至るまで、一つのクレッシェンドを聴く思いだった。

アンコールには、フランクの弦楽四重奏曲のスケルツォと、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》が演奏された。後者ではチェロの独奏が味わい深かった。オーケストラの魅力とともに、フランスの音楽にも通じたツェートマイアの側面も伝える、生気に富んだアンコールの演奏だったが、それを聴きながら、彼がバッハからクセナキスに至るまで貫かれている音楽の形──それは響きの層として、あるいはモティーフの運動として現われながら曲を構成する──を、ヴァイオリンの可能性を掘り下げるなかで摑んでいることを反芻していた。それを独奏、アンサンブル、指揮と多方面で展開していることを、最近八女市の黒木の大藤が降り注ぐように咲いているのを見ながら思い返した。神社の敷地を覆い尽くすようなその枝も、一本の幹から広がっている。

三人のヴァイオリニスト

11月下旬から12月上旬にかけての三週間ほどのあいだに、三つのヴァイオリン・リサイタルを聴いた。機会があれば実演を聴きたいと思っている三人の女性のヴァイオリニストの演奏会が、出かけられる範囲で続いたためである。それにしても、これほど立て続けにヴァイオリンの独奏に向き合ったことはなかった。それによって、この楽器の現代における可能性を肌で感じることができた。いずれの演奏会でもヴァイオリニストの個性が発揮されるとともに、取り上げられた作品の魅力が引き出されていた。

最初に聴いたのはヴィクトリア・ムローヴァ。11月22日に神奈川県立音楽堂で開催された彼女のリサイタルに出かけることができた。祝日だった翌日の新国立劇場でのムソルグスキーのオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》の公演──その批評をMercure des Arts Vol. 87に寄稿している──を観るのと組み合わせられたのだ。ムローヴァのヴァイオリンには、無伴奏ソナタとパルティータをはじめとする一連のバッハの演奏をCDで聴いて以来、特別な魅力を感じてきた。実演を聴きたいという願いがようやくかなった。

ムローヴァに関しては、“Peasant Girl”のようなアルバムに示されるクロスオーヴァーな演奏活動が注目されることがあるが、彼女の演奏を貫いているのは、作品を織りなす音楽の線を捉えようとするアプローチだろう。そのことが楽器、それに張られる弦、そして弓の選択にも表われている。ムローヴァは、多様な奏法を柔軟に取り入れることによって、作品の線を響かせる音を徹底的に研ぎ澄ます。それはけっして表面的に美しいとは言えないが、そのような音によって作品の形がくっきりと浮かび上がるのだ。

今回の横浜でのリサイタルの前半では、ベートーヴェンのソナタが二曲取り上げられたが、その演奏においてムローヴァは、ガット弦を張ったガダニーニを用いていた。デュオの相手を務めたのは、ベートーヴェンとシューベルトの作品を取り上げた彼女の最近のディスクで共演しているアラスデア・ビートソン。まず、彼のフォルテピアノに驚かされた。ビートソンの演奏は、表現の振幅が非常に大きいなかに、繊細な歌心を感じさせるもので、間の取り方や低音のオスティナートの利かせ方も実に音楽的だった。

そのようなビートソンの演奏に繊細に呼応しながら、ムローヴァのヴァイオリンは、陰翳を感じさせる音で旋律を奏でていた。その一方でしっかりとアクセントを利かせながら、ベートーヴェンの情熱と機知を伝える音楽の躍動を鋭敏に響かせていたのも印象深い。今回は第4番と第7番のソナタが取り上げられたが、これら二曲の短調のソナタは、ムローヴァの演奏の求心的な面がいかんなく発揮される作品と言える。彼女は、音楽が沈黙のなかからその鼓動を伝えるのを、ひと筋の糸を紡ぐように響かせていた。

第4番のソナタの急速な楽章の途中で、ムローヴァとビートソンは、相当にテンポを落として密やかな遣り取りを繰り広げていた。ほとんど消え入りそうなところから、音楽の脈動が微かに聞こえてくる。その地点から音楽は再び熱を帯び、やがて波打つように高揚していく。この曲のフィナーレで、ムローヴァのヴァイオリンがたたみかけるような情熱を明確に描ききった後、沈黙のなかへ消え入ったのは忘れがたい。続く第7番のソナタでは、変奏曲の楽章でのビートソンとの親密で感興に富んだ対話が印象的だった。

それに耳を澄ましていると、もう少し小さな会場で聴いてみたいという思いにも駆られるが、第7番のソナタでムローヴァとビートソンは、第4番より大きな作品の規模を生かしつつ、劇的な起伏を示す演奏を繰り広げていた。とくにフィナーレの最後の追い込みは、実演ならではの思いきったもので、強く引き込まれた。とはいえやはり魅力的なのは、ムローヴァの自然な呼吸感を示す歌だろう。それはぐっと内にこもるかと思えば、温かく広がっていく。その息遣いは、ベートーヴェンの作品にとくにふさわしく思われた。

プログラムの後半では、ムローヴァはストラディヴァリウスを、ビートソンは現代のグランド・ピアノを奏でていた。まず、武満徹の《妖精の距離》とアルヴォ・ペルトの《フラトレス》が、間を置くことなく演奏された。祈りの旋法のような音列の反復のなかから音楽を紡いでいくこれらの作品の音楽の形を、両者のアンサンブルは意識的に生かしていた。それによって、武満の初期作品の求心性が新鮮に響くと同時に、ペルトの作品を貫くのが切々とした祈りの重層的な高まりであることも浮かび上がっていた。

演奏会の最後を飾ったのは、シューベルトのロ短調のロンド。この曲をムローヴァとビートソンがピリオド楽器で演奏しているのをすでに録音で聴いていたが、今回両者は、モダン楽器によって広がる音楽の豊かさを存分に味わわせてくれた。同時に、前半のベートーヴェンの音楽のエッセンスがこのロンドの螺旋状の高揚に凝縮されていることも感じる。考え抜かれたプログラムと思った。アンコールには、ベートーヴェンの第5番のソナタ「春」の緩徐楽章が奏でられた。世界の春への祈りを感じる演奏だった。

12月3日には、北九州国際音楽祭の一環として開催された庄司紗矢香とジャンルカ・カシオーリのデュオ・リサイタルを、八幡市の響ホールで聴いた。庄司の最近の演奏やインタヴューの映像を見て、実演を聴きたいと思っていた。当時拠点のあった広島でHiroshima Happy New Earの一環として行なわれた独奏による演奏会を、ベルリンでの在外研究のために聴けなかったこともある。今回ようやく聴けた響ホールでのリサイタルのプログラムは、前半にモーツァルトの二曲のソナタ、後半にC.P.E. バッハの《ファンタジー》とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」を配するものだった。

ムローヴァのリサイタルのときと同様、今回カシオーリの演奏にも感嘆させられた。彼が今回用いたのは、1805年のモデルにもとづいて製作されたフォルテピアノ。その独特の──とくに高音がチェンバロに近い感じのする──音色を生かしながら、カシオーリは、モーツァルトやバッハの作品の演奏に求められる即興性をさりげなく示しながら、様式を感じさせる音楽の展開を導いていた。彼の演奏に関しては、一つひとつの和音の奏で方に繊細な歌への予感が含まれている点がとくに印象深い。

バッハの《ファンタジア》(Wq.80)やモーツァルトのト長調のソナタ(K.379)の変奏曲でカシオーリが奏でた歌は、少し鄙びた雰囲気のなかに、そこはかとなくはかなさも感じさせて味わい深い。庄司は、時代様式に沿った弓を用いていた。持つ場所を、曲や楽章によって微妙に変えていたように見受けられた。それによってか、非常に繊細な音色の変化を作っていたのが非常に印象的だった。モーツァルトのホ短調のソナタの(K.304)の冒頭の主題など、空気の震えのなかから密やかに響いた。

他方で、作品に沈潜しながらそこに内在するダイナミズムを引き出していたのも、庄司の演奏の特徴だったと思われる。こうしたアプローチによって、ホ短調のソナタの嘆きが徐々に声になっていく過程が切々と響いた。他方で後半のベートーヴェンの「クロイツェル」ソナタは、今まで聴いたことのない劇性を発揮していた。このソナタに即興的なカデンツァが挿入されたのも、時代様式を尊重した今回のアプローチにふさわしいと思われる。庄司の音楽の求心性がベートーヴェンに相応しいことを証明した演奏だった。

モーツァルトの音楽を貫く強い意志を響かせつつ、音楽が短調から長調に転じるところでカシオーリと繰り広げた密やかな対話も忘れがたい。それは、後半のバッハの《ファンタジア》でも継続されていた。絶えず同じところへ立ち返るなか、情熱を音楽の核に込め、それを自由に羽ばたかせる《ファンタジア》の展開が、ベートーヴェンの音楽のそれと通底するものであることも響いてくる。庄司とカシオーリのリサイタルでも、プログラムの見事な構成が、実演ならではの感興とともに伝わってきた。

12月10日には、Hiroshima Happy New Earの第29回として開催された毛利文香のソロ・リサイタルを、広島市のJMSアステールプラザで聴いた。毛利のヴァイオリンは、武生国際音楽祭の際に聴いてきた。伸びやかな歌に満ちたシューベルトの幻想曲の演奏は、今も忘れられない。独奏の機会は過去にあったものの、独奏だけでリサイタルを行なうのは今回が初めてとのこと。温かい息の通うヴァイオリンの音が、バッハ、ベリオ、細川俊夫、そしてバルトークの音楽の息遣いとなって響くのを聴くことができた。

バッハの第3番の無伴奏ソナタとベリオのセクエンツァVIIIを前半に、細川俊夫の《エクスタシス》改訂版とバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを後半に配したプログラムの構成は、毛利のヴァイオリンの特色を最大限に発揮させながら作品の魅力を引き出すものと思われる。何よりも印象的だったのは、音楽の大きな流れに乗った歌が自然に響いたこと。バッハのソナタのアダージョの楽章では、息の長い歌がたおやかに響き、長大なフーガでは、声がおのずと折り重なって歌が広がっていった。

ベリオの作品は、端正な演奏と相まって、どこかバッハのソナタの「続唱(セクエンツァ)」のようでもあった。バッハの精神が──いくらかの屈折を含みながら──ベリオの音楽に引き継がれていることを新鮮な驚きとともに受け止めた。瑞々しく、また独特の遠近感も醸すセクエンツァの演奏だった。細川の《エクスタシス》の演奏も忘れがたい。気魄のこもった打ち込みが繰り返されるなかに響きのひだが開かれていく。一つの音から書の線として展開する音楽の姿を明瞭に浮かび上がらせる演奏だった。

やがて響きのひだの奥から呪文を唱えるような囁きを含んだ歌が、忘我の歌として響いてくる。彼岸と此岸を橋渡しするように。このような細川の音楽と呼応するかのように、バルトークのソナタのアダージョの楽章では彼方からの歌が聞こえた。亡命中の作曲家がこの曲に込めた熱い生への希求を響かせるような輝かしさは、バッハの長調のソナタと共鳴して一つの弧を照らし出していた。現代のヴァイオリンで作品に正面から向き合い、その力を自然に引き出していくアプローチの可能性を感じさせる毛利の演奏だった。

ひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《イドメネオ》公演へのお誘い

痛ましい災害が続いて心の落ち着かなかった夏がようやく終わろうとしています。広島では日中もだいぶ過ごしやすくなってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。広島でひろしまオペラルネッサンスと現代音楽の演奏会シリーズ“Hiroshima Happy New Ear”を主催しているひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、みなさまを、今広島で観られるべきモーツァルトのオペラの公演へお誘いしたく、筆を執りました。

5b1f8deb01ad4今年のひろしまオペラルネッサンスの公演では、モーツァルトの《イドメネオ》(《クレタの王イドメネオ》KV 366)が取り上げられます。20代半ばのモーツァルトが書いたこの作品の広島初演ということになります。公演の初日がいよいよ明日に迫りました。トロイア戦争後のクレタ島を舞台に、戦いの後に生きる人間の苦悩に迫ることによって、オペラそのもの変革を試みた若きモーツァルトの意欲作を、戦火止まぬ現代に生きる者への深い問いかけを含むものとして観ることのできる無二の機会です。どうかお見逃しのないよう、9月22日(土)と23日(日)は広島のJMSアステールプラザへお越しください。両日とも開演は14:00です。

戦争を起こした人間は、たとえ生き残ったとしても、その戦いによって癒えることのない傷を負い、その死者の影の下で生きていかざるをえません。そして、この傷は次の世代へも形を変えながら受け継がれてしまいます。それとともに愛と誓約のあいだに、恋と復讐のあいだに、さらには二つの国のあいだに引き裂かれる人間の魂に迫ったモーツァルトの音楽は、旧来のオペラ・セリアの枠組みを内側から越えていかざるをえませんでした。さらに、オペラのなかで海の波濤にも喩えられる激しい感情を伝えるために、オーケストレーションを含めた音楽の造りも革新的なものになっています。マンハイムやパリなどへの旅をつうじて培ったものを惜しみなく注ぎ込み、クラリネットを含む大規模なオーケストラを活躍させる《イドメネオ》の音楽には、モーツァルトの意欲が漲っています。

ちなみに、《イドメネオ》には、モーツァルトのその後のオペラを予感させるところもあります。愛し合う若い二人(イリアとイダマンテ)が苦難を潜り抜けるさまは、《魔笛》の二人の主人公の生きざまを思わせますし、第二幕の行進曲は、《フィガロの結婚》のそれとどこか似ています。モーツァルト自身、《イドメネオ》をみずからのオペラの原形を示すものとして大事にしてきました。ただしこのオペラには、彼の他のオペラにはあまり見られない際立った特徴があります。それは、雄弁なレチタティーヴォ・アコンパニャート(オーケストラ伴奏によるレチタティーヴォ)によって、主要な場面が繰り広げられていることです。ここにある情景の展開とドラマの緊迫も見どころの一つです。《イドメネオ》に示されるレチタティーヴォ・アコンパニャートによってドラマを繰り広げる手法は、モーツァルト以後のロマン主義のオペラを予感させるところがありますが、彼自身のその後のオペラでは背景に退くことになります。

5b1f8deb654c6今回の広島での《イドメネオ》の上演の特色の一つとして、プロダクションによってはカットされることのある第三幕のエレットラ(オレステスとともに父の復讐を果たしたエレクトラです)のアリアが演奏されることが挙げられます。このアリアは、この女性のなかに積み重なった幾世代にもわたる恩讐を噴き出させるもので、モーツァルトの他の作品にも例を見ない激しさを持っています。先日、この幕のオーケストラとの音楽稽古を聴かせていただきましたが、これを含め、第三幕のいずれのアリアも素晴らしかったです。この稽古で、下野竜也さんの指揮の下、複雑なスコアの機微を伝える音楽が仕上がってきていることを実感できました。ぜひご期待ください。

《イドメネオ》が今あらためて注目される理由として、古代ギリシアから題材を採りながら、きわめて現代的な問題に触れていることが挙げられます。オペラの舞台となるクレタ島には、今も戦争の傷を負った難民が漂着しています。幾重もの意味で今広島で取り上げるに相応しい《イドメネオ》を、今回も人間の感情の細やかな表現に長けた岩田達宗さんの演出で観ることができます。また、このオペラではオーケストラが非常に重要な役割を果たしますが、広島交響楽団が音楽監督の下野さんの指揮の下でピットに入るのも注目されるところでしょう。よりすぐりの歌手たちの歌も期待されるところです。お誘い合わせのうえ、今度の週末はひろしまオペラルネッサンスの《イドメネオ》の公演へお越しください。心よりお待ち申し上げております。なお、今回もプログラムに拙文を寄稿させていただきました。ご来場の際にご笑覧いただければ幸いです。

五月の音楽

32266933_1882631815122515_1986807641556385792_n早いもので、もう五月が終わろうとしています。広島では、ここのところ梅雨の訪れを感じさせるじめじめとした気候が続いています。今年も気の滅入る季節が巡って来たようです。それにしても、四月に年度が改まってからは慌ただしかったです。ここに至るまで、振り返る暇もないほど雑事に追われておりました。そのために報告がすっかり遅くなってしまいましたが、5月18日には、「魔術としての音楽」というテーマの下、Hiroshima Happy New Earの第25回の演奏会が、JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されました。開演前に土砂降りの雨が降るなど悪天候に見舞われましたが、会場には多くの熱心な聴衆が集まりました。主催組織のひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、ご来場くださったみなさまにあらためて心より感謝申し上げます。

さて、今回のHiroshima Happy New Earでは、歌うこと、ないしは声を発することの根源として、現代の作曲家があらためて秘教的な儀式の姿に着目し、そのなかで音楽の可能性を探究したことを示す作品が中心となりました。なかでも、《山羊座の歌》をはじめとするジャチント・シェルシの作品を、その研究を重ねて来られた太田真紀さんの声で聴けたのは、実に貴重でした。《山羊座の歌》からの抜粋を演奏される際に、太田さんは、シェルシとともにこの作品を作り上げたと言っても過言ではない、平山美智子の形見の衣裳を着ておられました。それによって、彼女とシェルシのあいだで生成する歌の魂をも引き受けようとするかのような、非常に求心力の強い演奏を聴くことができたのは、忘れがたい体験となりました。時にノイズに限りなく接近するほどの多彩さを持った声が、空間を揺さぶり、その揺らぎのなかから声の新たな響きが生じ、さらには打楽器をはじめ他の楽器の音と呼応する過程に引き込まれました。

それは、太田さんの声の表現が、非常に大きな振幅を示していただけでなく、彼女の声そのものが、各作品の音楽の核心を捉えていることを示す芯を具えているからではないでしょうか。そのことは、とくに細川俊夫さんの《スペル・ソング》と《三つの愛の歌》の各曲を、ひと筋の線を描く歌として響かせることに結びついていたと思われます。とくに後者では、和泉式部の断ちがたい思いの強さが、歌の強度となって響いていたのではないでしょうか。そのことと同時に特筆されるべきは、大石将紀さんのサクソフォンの素晴らしさです。柔らかなピアニッシモから、空間を深く揺さぶるフォルティッシモに至るまで、豊かな、そして歌心に満ちた音色を一貫させる演奏で、とくにルチアーノ・ベリオの《セクエンツァ》の一曲を聴けたのも忘れがたいです。細かなモティーフが、それ自身のうちから発展していくことによって織りなされる15分に及ぶ音楽が、間然することなく、一つの歌として響いていました。

今回のHiroshima Happy New Earでとりわけ印象深かったのは、細かなモティーフを基に発展していく独唱ないし独奏の音楽が、それ自身の響きによって一つの儀式的な空間を形成していたことでした。魔術的な結界でもあるような時空間を織り直す音楽の力にも触れることができました。この五月には、そのようなHiroshima Happy New Ear以外に、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く機会もありました。指揮は、今年85歳になるというミシェル・プラッソン。彼の演奏には主にディスクをつうじて親しんできましたが、その最近の充実ぶりは、サン゠サーンスの「オルガン」交響曲などが取り上げられたパリ管弦楽団の演奏会(サル・プレイエル)や、パリのオペラ座(バスティーユ)でのグノーの《ファウスト》の指揮をつうじて実感してきたところです。今回の演奏も、非常に内容の濃いものでした。

サントリーホールで行なわれた新日本フィルハーモニーの第589回定期演奏会は、ドビュッシーの《夜想曲》からの二曲(「雲」と「祭り」)と神秘劇《聖セバスティアンの殉教》からの交響的断章、そしてフランクの交響曲ニ短調というプログラムでしたが、この二人の作曲家が書いたすべてのフレーズに、いやすべての音に息が吹き込まれた素晴らしい演奏でした。微かなピツィカートの音からも気配が感じられます。柔らかな響きが徐々に色合いを変えていく動きが、外界と内面の照応を感じさせる《夜想曲》からの「雲」も、聖性を強調するコラール風の響きが、どこか艶めかしい身体性も感じさせる《聖セバスティアンの殉教》からの音楽も、非常に印象的だったのですが、何と言ってもフランクの交響曲が、圧倒的な印象を残しました。音楽そのものの息遣いを生かした緩急によって見事に歌い上げられた交響曲を聴くことができました。

深沈とした最初の動機から、すべてのフレーズが深い情感を湛えながらしなやかに歌い継がれていくだけでなく、そのあいだに絶妙の間合いがあって、それが実に自然な音楽の流れに結びついていました。緩徐楽章のコーラングレによる主題が、楽章の後半でもう一度歌われる際に、プラッソンがぐっとテンポを落としたのには驚かされましたが、それによってこの主題の寂寥感がいっそう際立っていました。曲の終わりで、この主題を含めた先行の主題が回帰して、輝きと香気に満ちた響きのなかに掬い取られていくのには心からの感動を覚えました。終演後の様子では、プラッソンも演奏に心からの満足を覚えていたようです。フランス近代音楽の精髄が生き生きと響いた演奏会だったにもかかわらず、聴衆の入りが少々寂しかったのだけが残念でした。プラッソンは、日本では未だ「知る人ぞ知る」存在なのかもしれません。

この五月には、音楽を聴くだけでなく、自分で演奏に加わる機会もありました。妻が続けている弦楽四重奏のグループでヴィオラを弾いておられる方が、ご家族の事情で、今日廿日市市文化ホールさくらぴあの小ホールで行なわれた「五月の風」という室内楽合同発表会に、直前に出られなくなってしまったため、急遽代役で出演することになったというわけです。曲はモーツァルトの「狩り」の名で知られる弦楽四重奏曲第17番変ロ長調。長いこと楽器に触れていなかった身には相当にチャレンジングな曲で、今日の演奏も反省すべき点だらけの出来でしたが、練習で何度か合わせるうちに、曲の魅力を感じられるようになってきたのも確かです。とくに第三楽章のアダージョは、本当に美しい音楽だと思います。作品の美質を演奏で深める余裕が、時間的にも技術的にもなかったのは非常に残念でしたが、これに触れる機会をいただけたのには感謝しています。できれば、ヴィオラを弾くことも細々と続けたいものです。

DecUUDOVQAAKsfRところで、ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催するひろしまオペラルネッサンスの今年の公演で取り上げられるのは、モーツァルトのオペラ・セリア《イドメネオ》です。トロイア戦争後のクレタ島を舞台とするこの中期の作品は、ダ・ポンテ三部作などの後期のオペラに比べると馴染みが薄いかもしれませんが、二十代半ばのモーツァルトが並々ならぬ意欲をもって書いた音楽と、それによる人物描写の密度などから、近年再評価が高まっています。四年前に東京二期会が現代的な演出で取り上げたのも、記憶に新しいことでしょう。そのような《イドメネオ》という作品に、岩田達宗さんの演出と、広島交響楽団の音楽監督である下野竜也さんの指揮がどのようにアプローチするのか、非常に楽しみなところです。9月22日(土)と23日(日)に予定されている《イドメネオ》の公演についても、随時お伝えしていきたいと思います。ぜひご期待ください。

Chronicle 2017

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ある秋の日の夕暮れの太田川放水路

例年よりもいくぶん寒さの厳しい年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。広島はここへ来て曇りがちになってきました。そのぶん冷え込みは、気温のうえでは和らいでいますが、湿気のせいでむしろ寒く感じます。昨年は在外研究で滞在していたベルリンで年の瀬を迎えていたわけですが、たしかその頃は、日中も気温が零度を下回るくらい寒さが厳しかったと思います。しかし、空気が乾燥しているせいか、滲みるような寒さは感じませんでした。そのような気候のなか、ベルリンでは淡々と日々を過ごしていたことが思い出されます。大晦日が半分休日で、元旦が休日になる以外にはとくに休みのないドイツに、日本の年末のような慌ただしさはありません。ただし、当然ながら大晦日の夜だけは別で、元旦にさしかかった夜半過ぎまで、周りじゅうで打ち上げ花火の音が、ほとんど戦場のように轟いていました。

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10月に訪れた三段峡にて

ようやく年内までの仕事に目処をつけて、なかなか読めずにいた本のページを繰っていると、そのようなことが少し懐かしく思い起こされます。今年の2月上旬にベルリンでの10か月ほどの研究滞在を終えて帰国し、広島での仕事に戻ったわけですが、それから10か月以上が経ってもなお、日常生活のペースになかなか適応できずにいます。その要因として、在外研究後の多くの例に漏れず、4月に新しい学期が始まってからというもの、大学でさまざまな仕事を背負うことになって、それが非常に忙しいということも、もちろんあるにはあります。しかし、それ以上に自分が身を置いている環境、さらにはこの国の息苦しさが、今に至る「不適応」の最も大きな原因でしょう。たまに中国山地の峡谷などへ出かけたりすると、今まで感じたことのない解放感を感じることもあります。そうした自然の美しい場所に比較的容易く行けるのが、広島のよいところでしょうか。

それでも何とか日々の仕事をこなしているわけですが、やはり精神的にはストレスが溜まります。とはいえ、息苦しさを醸し出している仕組みにだけは、絶対に適応するまいと思っています。なぜなら、今この列島の人々を──私が身を置いている大学のいわゆる「改革」を含めて──「前へ」動かしている現在の仕組みが、幾重もの不正を覆い隠すことによって仕組まれたものであることは、少し目を開いて気骨あるジャーナリストなどが綴った文章を辿れば、歴然としているからです。何よりも許しがたいのは、権力者が不正を積み重ねて不正義を構造化していく過程で、現在の社会的関係のなかで弱い立場にある人々が被った、各人の尊厳を踏みにじる暴力が、暴力として裁かれていないことです。こうした問題に対して実質的に何もできないことは歯痒いですし、問題を質す言論が不可視の力によって抑圧されているのには、本当に胸が詰まる思いです。

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晩秋に訪れたパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにて

その一方で、選挙の結果などが示すように、不正を重ねた上で不正義を蔓延させる現在の仕組みに、人々がみずから、しかも「みなと同じように」しがみつこうとしているのも確かでしょう。秋にたまたま訪れた東京の美術館のやや混み合った展示室の内部で、観覧者が「自発的に」整然とした行列を作っているのを目の当たりにしたときには、言いようのない気味の悪さを覚えました。このような行動こそが、自分たちとは異質に見える少数者を排除しながら、社会をみずから息苦しいものにしているのではないでしょうか。それにけっして同化することのない自由が、少数者を含めた他者とともに生きることと結びつく回路を、学生を含めた若い人たちが、自分自身の生き方として考えるきっかけを伝えることが、教育に携わる者として課せられた仕事ではないかと考えていますが、その仕事もけっして容易ではありません。

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第28回武生国際音楽祭flyer

このような息詰まる社会生活から一歩離れて息をつき、思考をほぐすひと時を与えてくれたのが、音楽をはじめとする芸術でした。すでにここでもお伝えしてきたように、細川俊夫さんの室内オペラ《二人静》のパリでの世界初演やオラトリオ《星のない夜》のベルリンでの演奏、国内での重要な演奏会の数々、さらには魅力的な展覧会などに接することができたことは、けっして忘れられません。自分が芸術によって生かされていることを、これほど強く感じた一年はなかったと思います。それにどれほどお応えできたかは、はなはだ心許ないものがありますが、今年は芸術に関わる講演や執筆の仕事を、これまでになく多くいただきました。春には詩と美術、秋には詩と音楽について講演させていただく機会を得て、多くを学ぶことができました。初秋に武生国際音楽祭に参加させていただき、アーティストたちと身近に接して話すなかでも、多くの刺激を得ることができました。

324513今年は、このような芸術の関わりが、哲学するうえでも重要な位置を占めつつあるという感触を深めました。それはすでに公にしたエッセイや、来春にお届けする論文などにも表われていることでしょう。その一方で、2月までの在外研究の成果を含め、歴史哲学に関する研究の成果をまとめるという仕事は、来年に持ち越すことになりました。今年は、ベンヤミンの歴史哲学を検討した論文を、ドイツ語で書かれたものを含めて二篇公刊することができましたが、本当はもう一歩先へ仕事を進めておきたかったところです。それ以外に、事典の大項目というかたちで「哲学者」としてのベンヤミンの姿をお伝えする機会にも恵まれました。年が明けたらすぐに新しい仕事に取り組まなければなりませんし、1月から2月にかけては、細川俊夫さんのオペラ《班女》の広島での再演と、オペラ《松風》の日本初演をほんの少しお手伝いすることにもなっています。再び美術に関わる機会もいただいております。来たる年も、変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。みなさまがお健やかに幸せに満ちた年を迎えられることを念じております。

■Chronicle 2017

  • 1月10日:原爆の図丸木美術館の『原爆の図丸木美術館ニュース』128号に、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」と題する記事が掲載されました。ミュンヒェンのHaus der Kunst(芸術の家)におけるPostwar展の第一室に、丸木夫妻の《原爆の図》より第2部《火》と第6部《原子野》が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評したエッセイです。
  • 2月10日:広島市立大学の学外長期研修によるベルリンでの研究滞在を終えて帰国しました。
  • 2月14日〜23日:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学II」と全学共通系科目「哲学B」の集中講義を行ないました。
  • 3月4日:駿河台のEspace Biblioにて、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念してのトーク・ショーの進行役を務めました。リコーダー奏者の鈴木俊哉さんに、細川俊夫さんの作品などの演奏も披露していただいて、充実した内容の会となりました。
  • 3月10日:形象論研究会の雑誌『形象』第2号に、論文「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」、展覧会などの報告「パリでのパウル・クレー展『作品におけるイロニー』と国際コロック『パウル・クレー──新たな視点』に接して」、高安啓介さんの『近代デザインの美学』(みすず書房、2015年)の書評「内発的な構成としてのデザインの美学へ」が掲載されました。拙論「形象における歴史」は、ベンヤミンの歴史哲学が、形象を媒体として構成される歴史を構想していたことに着目し、その理論を検討するとともに、それを「記憶の芸術」の美的経験を組み込んだ歴史の構想に接続させる内容のものです。
  • 3月11日:成蹊大学で同大学のアジア太平洋研究センターの主催で開催されたシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」のパネリストを務め、「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という表題の報告を行ないました。『怪物君』を含む最近のものを含めた吉増剛造さんの詩作を、原民喜とパウル・ツェランの詩作との布置において検討し、破局の後の詩ならびに言葉の可能性を、「うた」という観点から問う内容のものです。シンポジウムでは、吉増さんの詩作の初期から『怪物君』にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。
  • 3月25日:図書新聞の第3297号に、竹峰義和さんの著書『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」が掲載されました。アドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する破壊的ですらある読み替えが、思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。
  • 4月1日:日本哲学会の欧文機関誌“Tetsugaku: International Journal of the Philosophical Association of Japan, Vol. 1”に、ドイツ語の論文„Geschichte aus dem Eingedenken: Walter Benjamins Geschichtsphilosophie“(「想起からの歴史──ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学」)が掲載されました。拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の終章に描き出した「想起」から歴史そのものを捉え返すというベンヤミンの着想を、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版(Kritische Ausgabe)の読解を軸にさらに掘り下げながら、彼の歴史哲学とは何か、という問題にあらためて取り組んでみました。想起の経験を検討する際に、「歴史の主体」という問題やその死者との関係にも論及しています。
  • 4月〜7月:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学I」、「社会文化思想史II」、「発展演習I」、「専門演習I」、「卒論演習I」、「多文化共生入門」の一部、全学共通系科目の「世界の文学」、「平和と人権A」の一部、そして大学院全研究科共通科目「人間論A」を担当しました。広島大学の教養科目「戦争と平和に関する学際的考察」2回の講義も担当しました。
  • 4月29日:広島市現代美術館の特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連した講演「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」を同美術館のスタジオにて行ないました。殿敷侃の芸術を一貫した逆流の芸術として捉えるとともに、同時代の芸術などと照らし合わせることによって、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして見直す可能性を探る内容のものです。
  • 5月15日:松山大学の黒田晴之さんが招聘された現代クレズマーを象徴するミュージシャン、フランク・ロンドンによる特別講義、ロンドンとジンタらムータの共演によるミニ・ライヴを、広島市立大学国際学部の授業の一環として企画しました。両方に多くの一般の方々にお越しいただき、盛況のうちに終えることができました。
  • 5月20日:原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。
  • 5月25日:東京オペラシティ文化財団主催の同時代音楽企画「コンポージアム2017」のプログラムに、「ヘルダーリンの詩と音楽」と題するエッセイが掲載されました。今年のコンポージアムで日本初演されたハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のものです。アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に光を当てようと試みました。
  • 6月16日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催でJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第23回演奏会「次世代の作曲家V」のアフター・トークの進行役を務めました。この演奏会では、細川俊夫さんの《旅IX──目覚め》が日本初演された他、川上統さんと金井勇さんのヒロシマに寄せた新作が世界初演されました。
  • 7月25日:広島市立大学の「市大から世界へ」グローバル人材育成講演会として開催された、ハンブルク・ドイツ劇場の原サチコさんの講演「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」の際に、講師の紹介役を務めました。
  • 9月2日:広島市東区民文化センタースタジオにて行なわれた第七劇場のイプセン「人形の家」の公演のポストパフォーマンス・トークにて、同劇団の主宰者鳴海康平さんと対談しました。
  • 9月11日:大阪大学大学院文学研究科の美学研究室の主催で大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にてパネリストを務めました。「演劇の批判と擁護」と題する講演を行なったフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんの仕事に応答するかたちで、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」という報告を行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』におけるヴァーグナーの「総合芸術作品」が資本主義社会の「幻像(ファンタスマゴリー)」と化してしまうという議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制の問題にも論及したうえで、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》を、従来のオペラが表象してきた「人間」の像からはみ出す人間の深淵にある力を響かせるオペラとして論じる内容の報告です。 シンポジウムの内容は、来春刊行の雑誌『a+a美学研究』(大阪大学大学院文学研究科美学研究室編)で紹介される予定です。
  • 9月14日:作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただいた第28回武生国際音楽祭にて、「嘆きの変容──〈うた〉の美学のために」という表題の講演をさせていただきました。困難な世界のなか、他者とのあいだで、そして死者とともに生きることを悲しみとともにわが身に引き受ける嘆きを掘り下げ、その嘆きを響かせるという観点から、〈うたう〉ことを、さらに言えば〈うた〉の出来事を、文学と音楽を往還するかたちで考察する内容のものです。
  • 9月19日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Earの第24回演奏会「若き巨匠イェルーン・ベルワルツ──トランペットの世界」にて、アフター・トークの進行役を務めました。今回の演奏会では、細川俊夫さんのトランペット協奏曲にもとづく《霧のなかで》や、ジェルジュ・リゲティの《マカーブルの秘密》などが演奏されました。
  • 9月30日:9月30日と10月1日にJMSアステールプラザの大ホールで開催された、ひろしまオペラルネッサンス2017年度公演《コジ・ファン・トゥッテ》(モーツァルト作曲)のプログラムに、プログラム・ノート「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」が掲載されました。モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、後期のモーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることを、作品の特徴を紹介しつつ浮き彫りにする内容のものです。
  • 10月〜2018年2月:広島市立大学で国際学部の専門科目「共生の哲学II」、「社会文化思想史I」、「発展演習II」、「専門演習II」、「卒論演習II」、全学共通系科目「哲学B」を担当しています。
  • 11月24日:広島芸術学会の会報第145号に、同学会第120回例会の報告「ひろしまオペラルネッサンス公演《コジ・ファン・トゥッテ》の鑑賞」が掲載されました。ひろしまオペラルネッサンス公演の鑑賞ならびにその後の感想交換会というかたちで開催された例会について、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》という作品に正面から取り組んでその美質を生かした上演の歴史的な意義を指摘し、上演をめぐる意見交換の概要を伝える内容のものです。
  • 11月24日:大項目「ヴァルター・ベンヤミン」を寄稿させていただいた『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻──現代の哲学・年表・総索引』(加賀野井秀一、伊藤泰雄、本郷均、加國尚志監修、白水社)が刊行されました。私が執筆した項目では、1917年の「来たるべき哲学のプログラムについて」における経験への問いを出発点としつつ、言語哲学、美学、そして歴史哲学から「哲学者」としてのベンヤミン像に迫ろうと試みました。彼の生涯と思想を哲学の視点からコンパクトにまとめた記事としてご笑覧いただければ幸いです。

初秋の仕事など

[2017年8/9月]

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大田川放水路の堤の彼岸花

秋風の涼しい時期になりました。彼岸花が残る川堤にも、柔らかな陽射しの下、気持ちのよい風が吹いています。早いものですでに十月。大学の学期が始まりました。また学生たちと向き合う日々が続きます。そして今期は、他者とともに生きることへ向けた一人ひとりの学生の問題意識を引き出すと同時に、現在の危機を歴史認識をもって見通しながら、それを生き抜く思考の回路を、ベンヤミンの思想の研究をつうじて探ることにも力を入れなければなりません。

さて、去る九月には二つの場所で、音楽をめぐって考えてきたことをお話しする機会に恵まれました。9月14日に武生国際音楽祭2017の作曲ワークショップにて「嘆きの変容──〈うた〉の美学」というテーマでのレクチャーをさせていただいたことは、すでに別稿でご報告したとおりですが、それに先立って9月11日には、大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にて、広島でオペラの上演に関わってきた経験を踏まえながら、現代におけるオペラの位置と意義をその可能性へ向けて省察する研究報告をさせていただきました。シンポジウムの開催へ向けてご尽力くださった大阪大学大学院文学研究科の田中均さんに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

20170911poster『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』などの著書のあるフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんを囲んでのシンポジウムでは、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する報告を、ドイツ語で行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』における「幻像(ファンタスマゴリー)」としての楽劇を批判的に検討する議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制(シアトロクラシー)の問題にも論及したうえで、広島で上演されたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》の一端の分析と、ベンヤミンとアドルノの美学とを手がかりに、オペラを詩的な要素と音楽的要素の緊張のなかで人間の残余の媒体をなす「音楽゠劇」として捉え返す可能性を提示するという内容の報告です。その日本語の原稿は、遠からず活字にしてお届けしたいと考えております。

そこで触れたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》は、9月30日と10月1日に広島市のJMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演(委員を務めているひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催)で取り上げられた作品です。川瀬賢太郎さんの指揮、岩田達宗さんの演出による今回のプロダクションは、モーツァルトとダ・ポンテの手になる作品に真正面から向き合って、作品そのものに含まれる美質を、見事に引き出していたと思います。四人の恋する男女をはじめとする登場人物がほぼ同等の役割を果たすこのオペラにおいては、重唱によってドラマが運ばれていくのが特徴的ですが、それを支える歌手たちのアンサンブルも非常に緊密でした。稀に見る完成度でモーツァルト後期の傑作の全貌を提示できたことは、ひろしまオペラルネッサンスにとって大きな、そして今後につながる成果であったと考えております。公演にお越しくださった方々に心より感謝申し上げます。

59435900a3886今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演のプログラムにも、作品解説として「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この作品が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、モーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることに力点を置いて、作品の特徴を紹介する内容のものです。作品と今回のプロダクションのアプローチを理解する一助であったとすれば幸いです。それにしても、公演の会場に居合わせて、後期のモーツァルトの澄みきった響きに身を委ねるとともに、そのなかに抉り出される人間の内奥からの情動を肌で感じることができたのはとても幸せでした。

9月2日には、東京から津市美里町に拠点を移して四年目になる第七劇場の広島での公演を、広島市東区民文化センターで見せていただきました。今回取り上げられたのは、イプセンの「人形の家」。そのテクストに内在する仕掛けを、言葉と身振りの双方でしっかり表現する一方、日本でいち早く戯曲の内実を論じた人々の言葉を含め、新たな要素を付け加えながら、ノラが一人の人間として自立して生きていくことを、その困難も含めて浮き彫りにした舞台作りは、実に興味深かったです。それによって「人形の家」という作品が、ジェンダーやレイシズムの問題が幾重にも絡み合った問いを投げかけるものとして浮き彫りにされていたと感じました。この日の終演後に登壇させていただいたポストパフォーマンス・トークでは、こうしたことを、劇団の主宰者で今回の舞台を演出された鳴海康平さんと楽しく話すことができました。

21740934_1633032076749158_8229968318528997813_o9月19日には、JMSアステールプラザでHiroshima Happy New Ear(細川俊夫さんが音楽監督を務める現代音楽演奏会シリーズで、主催はひろしまオペラ・音楽推進委員会)の第24回の演奏会が、トランペット奏者のイエルーン・ベルワルツさんとピアニストの中川賢一さんを迎えて開催されました。細川さんが当初オーケストラとの協奏曲として作曲した《霧のなかで》、ヒンデミットやエネスクのトランペットのための作品のほか、リゲティのオペラ《グラン・マカーブル》のなかのゲポポのアリアの編曲版などが取り上げられたこの演奏会は、豊かな歌と多彩な音色を兼ね備えたベルワルツさんのトランペットに魅了されたひと時でした。彼の演奏は、呼吸と歌の延長線上にあることを、20世紀前半の音楽からジャズに至るプログラムをつうじて実感させられました。終演後、トーク・セッションの進行役を務めました。

8月の下旬には、ごく短期間ではありましたが、2月上旬まで滞在していたベルリンを訪れました。その主要な目的の一つが、コンツェルトハウスを会場に毎年開催されているYoung Euro Classicという世界中のユース・オーケストラが集う音楽祭で、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が細川俊夫さんの《星のない夜》を演奏するのを聴くことでした。トラークルの詩を歌詞に用いて季節を歌いつつ、四季の巡りのなかに第二次世界大戦末のドレスデン空襲と広島への原爆投下の体験を浮き彫りにする声楽とオーケストラのための大規模な作品を、核エネルギー発見の地であり、かつ今も戦争の記憶を至るところで刻み続けているベルリンの地で演奏することには、歴史的な意義があったと思われます。

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Young Euro Classicの会場となったベルリンのコンツェルトハウス

《星のない夜》の演奏は、「冬に」の楽章とそれに続く間奏曲に聴かれる不穏で途方もない破局の予感を含んだ自然の息吹が、最後の楽章で浄化されて死者の記憶とともに穏やかに空間を包むに至る一貫した流れを感じさせる演奏に仕上がっていました。「ドレスデンの墓標」の楽章における破壊の表現の凄まじさ以上に、哀しみの表現の深さや、静かな箇所における繊細で抒情的な表現の美しさが際立っていて、そこに作品への取り組みの真摯さが感じられます。広島の若い音楽家にこそ可能な《星のない夜》の魂の籠もった演奏は、満場の聴衆に深い感銘を与えていましたし、現地のメディアにもおおむね好意的に受け止められていました。

今回の日本語の原文で歌われた「広島の墓標」の楽章に込められた言葉を失うまでの恐怖と悲しみは、藤井美雪さんの深く、強い声を介して会場全体を震わせていました。小林良子さんが歌った、地上の世界に怒りをぶつける「天使の歌」も、強い緊張感によって時の流れを宙吊りにし、繰り返されてきた人間の過ちとその忘却を、鋭く問いただしていたと思います。このような、真の意味で強い歌に耳を傾けながら、広島で被爆した子どもの詩が伝える沈黙のうちにある恐怖の忘却が新た破局を招き寄せようとしている今、これらの歌の内実を思考によって掘り下げることが求められていることをあらためて思いました。激昂する天使の声が空間を切り裂くように、記憶の抹殺を積み重ねていく時の流れを断ち切りながら、生存の余地をベンヤミンの言う「瓦礫を縫う道」として開く可能性を、研究をつうじて探っていきたいと考えているところです。

ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

ベルリン通信II/Nachricht aus Berlin II

[2016年6月3日]

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庭に咲いていたスズラン

「妙なる月、五月に(Im wunderschönen Monat Mai)」。よく知られているように、ハインリヒ・ハイネの『歌の本』から採られた詩によるローベルト・シューマンの《詩人の恋》は、この言葉から始まります。この連作歌曲の第1曲に用いられた詩においてハイネは、五月に草木が花を咲かせるのに恋の開花を重ねるわけですが、そのように自然の生長と感情の湧出を結びつけられる背景には、言うまでもなく、ドイツ語圏の人々のこの月に対する特別な思いがあります。それを表わすのが、「花盛り(Maienblüte)」、「五月祭(Maifeier)」、「五月鰈(Maischolle)」といった「五月(Mai)」が語頭に付く言葉の数々なのでしょう。ドイツ語の辞書を開くと、そのような言葉が格別に多いことに驚かされます。

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オースドルフの廃墟の風景

そのような言葉の一つに、スズラン(Maiglöckchen)があります。スズランは、ドイツで好まれている春の花の一つで、ベルリンの住まいの庭でも可憐な花を咲かせていました。これをはじめとして、五月はまさに花盛りの季節なのですが、ドイツにいると、草木の花々が深い緑のなかでこそ光彩を放つことが実感されます。もちろん、春のまだ柔らかな日差しも欠かせません。それらを求めて、ドイツの人々はしばしばかなり長い散歩に出かけます。それに倣ってある晴れた日に、住まいのあるリヒターフェルデと隣町のテルトウのあいだに広がる草原へ出かけたことがありました。そこにはかつてオースドルフという農村があったのですが、1968年に旧東ドイツがアメリカ合衆国の管理区域とのあいだに緩衝地帯を造る際に、住民は強制的に移住させられ、村は破壊されてしまったそうです。木立のなかの散歩道を歩いているうちに、40年近く前に壊された農家の廃墟とおぼしい場所に辿り着きました。

この五月には、これまで活字をつうじてしか接することのなかった学者の講演に接する機会に恵まれました。まず、“Embodiment”(肉体化、具体化)をテーマとする現象学の学会の締めくくりに行なわれたベルンハルト・ヴァルデンフェルスの講演は、自己関係ないし自己再帰的な関係と、そこからこぼれ落ちる異他的な次元とが身体においてつねに相即していることを、自然と文化の接点として詳細に論じるものでした。また、ダーレム人文学センターの「ヘーゲル講義」として行なわれたエレーヌ・シクスーの講演“Ay yay! The Cry of Literature”は、文学の営みの新たな地平を開く、感銘深い内容のものでした。「叫ぶこと(Schrei)」と「書くこと(Schreiben)」のあいだを縫って、音声としては消え去っていく叫びの「死後の生」を定着させて展開させる「書記」の営為を、そこに内在する殺害の問題にも触れながら、その可能性において問う講演として聴きました。

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ポンピドゥー・センターのクレー展看板

五月の下旬には再びパリへ出かけ、ポンピドゥー・センターで開催されている大規模なパウル・クレー展「作品におけるイロニー」に関連して二日にわたりGoethe-Institut Parisにて開かれた国際コロック「パウル・クレー──新たな視点」を聴きました。すでに「ベルリン通信I」でご紹介したように、この展覧会にはヴァルター・ベンヤミンが私蔵していた《新しい天使》が出品されている(ただしオリジナルは最初の2か月のみ)のですが、コロックで聴いたアニー・ブールヌフさんの発表によると、その水彩画の台紙には宗教改革者マルティン・ルターを描いた19世紀の版画が使われていて、その隅にはこの版画のモデルと目されるルターの肖像の作者ルーカス・クラナッハのモノグラムが暗示されているそうです。ベンヤミンは、そのことにどれほど気づいていたのでしょうか。

このコロックでは、クレーの画業がその前史と後史も含めて浮き彫りにされるとともに、同時代の芸術運動との関連においても検討されました。そのことは、クレーとピカソの関係に焦点が絞られた観のある展覧会の内容を補完するものでもあったように思われます。ただし、ここで付け加えておかなければならないのは、今回の展覧会のように、クレーの画業をその最初期から最晩年に至るまで通観できるのみならず、《Insula Dulcamara》をはじめとする大規模な作品もまとまったかたちで見られる展覧会は、きわめて稀だということです。ポンピドゥー・センターのクレー展の会期は8月1日までです。それまでにパリへお出かけになる機会のある方には、ご覧になることを強くお薦めいたします。なお、11月からはベルンのパウル・クレー・センターで、クレーとシュルレアリスムの関係を照らし出す展覧会が開催されるとのこと。こちらも見逃せません。

さて、五月のベルリンでは、演奏会やオペラなどの公演が盛んに行なわれていたわけですが、研究などが忙しく、あまり頻繁に出かけることはできませんでした。観たなかで興味深かったのは、コーミッシェ・オーパーで行なわれたヘルベルト・フリッチュの演出によるモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の公演と、州立歌劇場で行なわれたミヒャエル・タールハイマーの演出による《魔弾の射手》の公演でした。前者では、作品の「ドラマ・ジョコーゾ」としての側面をブラック・ユーモアも交えながら掘り下げ、登場人物の無意識の欲動にまで迫ろうとする演出によって、見ごたえのある舞台を提示されていたと思います。後者では、作品の内実を深く掘り下げ、悪の問題に迫った演出が印象的でした。狩人をはじめとする村の人々の身ぶりの様式化には、共同体という閉域に対する批判的な眼差しも込められていたと感じました。マックス役を歌ったアンドレアス・シャーガーの歌唱を含め、音楽も非常に充実した《魔弾の射手》の公演でした。六月はもう少し多く演奏会場や劇場へ出かけたいと思います。

相変わらず、ベルリン自由大学の文献学図書館などの施設を利用しながら、〈残余からの歴史〉の概念の理論的な探究に接続されるべきベンヤミンの歴史哲学の研究に没頭していたわけですが、現在その現時点での成果を六月末のコロキウムで報告すべく、論文をまとめつつあるところです。主に批判版全集の第19巻に収録された「歴史の概念について」のテクストを検討して見えてきたことと、これまでの研究を結びつけるかたちで執筆を進めています。そろそろ日本語の草稿をドイツ語に翻訳していかなければなりません。他にもいくつかの仕事を並行して進めておりますが、その成果は7月末から8月にかけてお届けできるものと思います。

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ヒロシマ・ナガサキ広場の表示

それから、四月の末のことになりますが、現在の研究とも通底する内容の二点の拙論を公表する機会に恵まれました。一つは、6月23日まで横浜美術館で開催されている展覧会「複製技術と美術家たち──ピカソからウォーホルまで」のカタログに寄稿した「切断からの像──ベンヤミンとクレーにおける破壊からの構成」です。ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」をはじめとする著作で示している、完結した形象の破壊、技術の介入によるアウラの剝奪、時の流れの切断などをつうじて新たな像の構成へ向かう発想を、クレーがとくに第一次世界大戦中からその直後にかけての時期に集中的に示している、作品の切断による新たな像の造形と照らし合わせ、両者のモティーフの内的な類縁性と同時代性にあらためて光を当てようと試みるものです。もう一点は、法政大学出版会から刊行された『続・ハイデガー読本』に収録された「ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン──反転する時間、革命としての歴史」という小論で、これら三人のユダヤ系の思想家と、初期のハイデガーの時間論と歴史論を照らし合わせ、ユダヤ系の思想家たちが構想する「救済」と結びついた歴史の理論と、『存在と時間』の「歴史性」の概念に最初の結実を見ることになるハイデガーの歴史論との差異を見通す視座を探る内容のものです。

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広島と長崎の原爆犠牲者追悼モニュメント

早いもので、「妙なる月」はすでにうち過ぎ、六月にさしかかっているわけですが、五月の最後の日には、ポツダム郊外のグリーブニツ湖畔のヒロシマ・ナガサキ広場に置かれた、広島と長崎への原子爆弾の投下による犠牲者を追悼するモニュメントを見ることができました。碑銘が刻まれ、それぞれ広島と長崎で被爆した石が埋め込まれた石板と、核による苦しみが今も続いていることの重さを感じさせる大きな石とから成るモニュメントの造形は、彫刻家の藤原信さんによるものですが、モニュメントの設置に尽力したのが、ベルリンで高分子物理化学の研究を積み、ベルリン工科大学などで教鞭を執った後、自身の広島での被爆体験を証言し続けた外林秀人さんだったそうです。このモニュメントは、1945年7月25日に当時のアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンが原子爆弾投下の命令を下したとされる邸宅に向き合うかたちで置かれています。文学的な装いを持ちながら、相変わらず原爆を投下する立場から語られる現在のアメリカ大統領の広島での「所感」を聞きながら、このことの意味を考えなければならないと思いました。

2015年初秋の仕事

早いもので、大学の学期が始まる10月を迎えました。雨が降るごとに秋が深まる今日この頃ですが、晴れるとまだ陽射しが照りつけます。それとともに晴れ渡って、気温が夏並みに上がる日もありますが、そんな日でも見上げると、秋らしく澄んだ青色の空が広がっています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私のほうは、いつになく慌ただしい9月があっという間に過ぎて、気持ちの整理がつかないまま10月を迎えてしまった感じです。期日に追われながら、読み続け、書き続け、話し続けた9月でした。とはいえ、さまざまな人々のおかげで、慌ただしいながらも充実感をもって過ごすことができました。9月末締め切りの原稿も、おかげさまで何とか脱稿することができました。また、別稿にも記しましたように、上旬には福井県の武生で開催された武生国際音楽祭で、素晴らしい音楽とアーティストに接することもできました。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

何よりも、7月末より月末の金曜の夜に、東京ドイツ文化センター図書館を会場に3回にわたって開催された連続講演「ベンヤミンの哲学」を無事に終えることができたことに感謝しているところです。毎回図書館が一杯になるほど多くの方々に非常に熱心にご参加いただき、大きな手応えを感じました。ディスカッションも毎回大変盛り上がり、今後の研究の刺激になるご質問もいただきました。ご参加くださったみなさまに心から感謝申し上げます。このような機会をくださった、そして毎回丁寧にご準備くださった東京ドイツ文化センター図書館のみなさまにも、篤く御礼申し上げます。今回の連続講演が、拙著『ベンヤミンの哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)を入り口に、ベンヤミン自身の著作を繙くきっかけになったとすれば、これに勝る幸いはありません。

20世紀の前半に、分類不可能なまでに多彩な文筆活動のなかで独特の思想を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を紹介する初回の「導入」に始まり、呼応する魂の息遣いをなす言語自体の生成の運動を「翻訳」と考える彼の言語哲学を紹介する第2回「ベンヤミンの言語哲学」が続いたわけですが、想起の経験から歴史の概念を捉え直し、死者とともに生きることのうちに歴史自体を取り戻そうとする彼の歴史哲学を紹介する第3回「ベンヤミンの歴史哲学」が行なわれたのは、奇しくもベンヤミンの75回目の命日の前日でした。国境の街ポルボウでみずから命を絶った彼のことを今思うとき、絶えず生命の危険に曝される場所から何とか逃れ出ながら、少し息のつける場所に辿り着く前に命を落とした、紛争地からの無数の亡命者のことも思わないではいられません。

シリアをはじめとする紛争地からのおびただしい難民が命をつなぐ方途を探ることは、言うまでもなく、世界的に対応しなければならない課題になっていますが、この国の権力者は、その課題に背を向けるかのように、アメリカとの軍事的な結びつきを強化することに血道を上げ、人を殺める武器を製造して輸出することを含んだ軍需産業を潤わせることしか頭になく、そのために世界中で戦争に巻き込まれる道を開いてしまっています。このことは、日本列島に生きる人々の生命のみならず、列島を出て世界各地で人々の生活を支援する活動に取り組む人々の生命も、ひいては危険な例外状態に日々置かれている世界中の人々の生命をも脅かす動きとしか言いようがありません。

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

この動きが、死者の尊厳を軽んじながら忘却することを強いる歴史修正主義と絶えず連動していることを顧みるなら、ベンヤミンが二度目の世界大戦がもたらしつつある破局を前に、また彼自身の生命が危険に曝されているなかで、ほとんど絶筆として書いた「歴史の概念について」のテーゼを読み直すことは、いよいよ差し迫った課題となりつつあると考えられます。このほど、哲学的歴史論の第一人者とも言うべき鹿島徹さんが、批判版ベンヤミン全集に初めて異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社)が刊行されましたが、その書評を10月10日発行の『図書新聞』紙に書かせていただきました。ご覧いただき、ベンヤミンの歴史哲学をその可能性において省みるきっかけとしていただけると幸いです。

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

さて、9月26日と27日には、私が主催者のひろしまオペラ・音楽推進委員会に加わっている、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》の公演が、広島市のJMSアステールプラザ大ホールにて盛況のうちに開催されました。ヴィーン時代の最も充実したモーツァルトの音楽が、オペラの革新と社会的な革命を喩えようもないほど美しく響かせる《フィガロの結婚》は、私たちが他者とのあいだに生きるなかで最後まで信じる、人と出会い直す可能性を、幸福なかたちで予感させるものと言えるでしょう。簡素ながら引き締まった美しさを示す舞台の上に、人間の生きざまを情動の機微とともに浮かび上がらせる岩田達宗さんの演出と、どこまでも血の通ったリズムの上に美しい歌を余すところなく響かせる川瀬賢太郎さんの指揮が、作品の魅力を存分に伝えながらきわめて密度の濃い上演を実現させていました。今回の公演のプログラムにも、プログラム・ノートを寄稿させていただきました。

個人的には、広島で活躍している何人かの歌手が、厳しい稽古を経て、自分の力で壁を乗り越えるかたちで、歌手としての新たな境地を切り開いていたのが嬉しかったです。そのなかで、モーツァルトとダ・ポンテが書いたものが音楽的に生かされていたのが、今回の公演の最大の収穫かもしれません。二日にわたり、最後の赦しの場面は、永遠すら感じさせる崇高さを示していました。まったくごまかしの利かないモーツァルトの音楽に取り組むことによって、声を磨き、音楽を研ぎ澄ますことへ向けた課題も明確になったのではないでしょうか。みなでそれに取り組みながら、次回の公演へ向けて一歩を踏み出せればと願っております。ひろしまオペラルネッサンスへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏会を聴いて

5月のチューリヒの緑

5月のチューリヒの緑

クリストフ・フォン・ドホナーニという指揮者の音楽には、これまでいくつかのディスクをつうじて親しんできた。音楽監督を務めていたクリーヴランド管弦楽団を指揮したブラームスやマーラーの交響曲の演奏、そしてヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したメンデルスゾーンの交響曲やバルトークの管弦楽作品の演奏を収めたディスクを繰り返し聴いてきたが、そのいずれも、引き締まった造形のなかに楽譜に書かれている音を生かしきろうとするドホナーニの音楽の美質をよく伝えているように思われる。なかでも、バルトークの演奏は、クリーヴランド管弦楽団を指揮した《管弦楽のための協奏曲》の演奏と併せて、もっと高く評価されてもよいのではないだろうか。

ドホナーニの音楽の造形は、独特の芯と低い重心を持ちながら、構成を浮き彫りにする明澄さを示す響きによって支えられていて、それが彼の音楽の求心力を成していると思われる。しかも、それが明確なテンポの構成とも不可分であることを、演奏そのもののの説得性とともに示したのが、彼が2015年5月9日と10日にチューリヒのトーンハレで、この「楽堂」の名を冠したオーケストラ、トーンハレ管弦楽団を指揮した、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調の演奏だった。ドホナーニは、この交響曲の各部分のテンポの差異を、これ以上ない明瞭さで描き分けながら、各部分のあいだを、時にパウゼを挟みながら間然することなく、音楽そのものの推進力を保ちながら移行させ、非常に聴き応えのある音楽を形づくっていた。1929年生まれの彼は、86歳になろうとしているが、彼の指揮は、巧みさとともに若々しささえ感じさせる。

トーンハレ管弦楽団の響きには、ドイツ語圏のオーケストラらしい低い重心と同時に、独特の開放性が感じられて、それがブルックナーの第7交響曲の演奏に、この曲に相応しい明澄さをもたらしていたと思われる。第1楽章の冒頭の主題が、豊かな歌を響かせながら、光の筋を描くように上昇していくところからこの演奏に惹きつけられた。この主題がヴァイオリンの対旋律を伴いながら、チェロに柔らかに回帰したときの響きの、天国的とも言える明澄さは、その直前にこの主題の鏡像型が仮借のない激しさで展開されていただけに、非常に感動的だった。第三主題が再現された後、第一主題の後半部が「非常に荘重に」、まさに「深き淵より」歌われると、第1楽章はコーダを迎える。ドホナーニはそこで、ノーヴァク版の楽譜の指示どおり、最後までテンポを速めながら音楽を上昇させ続けた。その様子は、彼の音楽の徹底性とともに、この曲に込められた祈りの強さを示すようだった。

アダージョの第2楽章の演奏は、もちろんヴァーグナーへの哀悼も込められた荘厳さを示すものではあったが、その一方で、連綿と歌が連なる音楽の流れを、自然な息遣いによって保つものでもあった。最初の主題の提示は、とくに弦楽の総奏によるその後半は、ともすれば過剰に重々しくなりがちであるが、ドホナーニの演奏は、独特の空気感を持って音楽を無理なく前へ運ぶものであった。その直後、「繊細に」と指示された一節が、一音一音を愛おしむかのように、柔らかに奏でられた。ドホナーニは、この一節に交響曲全体に、いやブルックナーの音楽そのものに込められた祈りが凝縮していることを伝えたかったのだろうか。また、ヴァーグナーへの哀悼に捧げられた結尾部の一節も、もちろん哀切極まる叫びを聴かせるものではあったのだけれども、デュナーミクのコントロールが絶妙で、むしろ叫びの余韻のほうが感銘深かった。何よりも、クライマックスへ向けて、寄せては反すように高まっていく音楽の流れが、巨視的にも微視的にも自然で、そのために頂点に置かれたシンバルの一撃も、取って付けたようには響かなかった。

なお、今回の演奏では、オーケストラの配置に対向配置が採用されていたが、それがブルックナーの第7交響曲でも効果的であることが伝わってきた。この曲では、とくに第1楽章の第二主題と第2楽章の主題が、第二ヴァイオリン、あるいは第二ヴァイオリンとヴィオラによって奏でられるが、それが豊かな響きを持って浮き彫りになったのは、とても好ましく思われた。また、全体的に、調性の変化に伴う響きの色調のコントラストも明瞭で、第3楽章では、ドホナーニは、響きを沈んだ色調で締めながら、リズムの動きをはっきりと際立たせていた。けっして急ぎすぎることなく、個々のモティーフが絡み合いながら高まっていく流れを、時に荒々しささえ示しながら、実に説得的に表現したスケルツォの演奏だったと思われる。何よりも印象だったのが、音楽がいったんクライマックスに達した後に、あるいはスケルツォの主部が終わった後に残って、ピアノでリズムを刻むティンパニの音色。これが実に意味深く次の音楽を用意していた。その後に奏でられたトリオのメロディには、陽が差すような明るさと温かさがあって、主部のほの暗さと好対照をなしていた。

フィナーレでは、ドホナーニは、絶妙とも言うべき、さりげない緩急を付けて、跳ね上がるようなリズムを持った主題を提示していた。その自然な流れは、第三主題に至るまで一貫していて、総奏によるその提示も、むろん峻厳なものではあるが、けっして居丈高になることはなく、次の音楽に自然に連なっていくものだった。その第三主題が、ゴシック的とも言うべき高みへ向かいながら再現された後、しばらくの沈黙の後で静かに奏でられ始める第二主題の柔らかな歌は、心からの感動を呼び起こすものであった。その後、第一主題が変形されながら再現され、さらに展開されながら、音楽は全曲のコーダへと移行していくが、そのあたりの音楽の設計、そして響きのバランスも実に見事で、あらためて全曲の構成に自然な見通しを与えるものだったと言えよう。

それから、この第4楽章のコーダは、ある意味で指揮者にとって鬼門で、しばしば拍子抜けするかたちで曲が終わってしまうのだが、ドホナーニは、スラーを持った第1楽章の第一主題をくっきりと浮かび上がらせながら、コーダが全曲のそれであることを示すとともに、最後の2小節ではしっかりテンポを落として、全霊のこもった最後の音を引き出していた。そこに全曲の凝縮された姿を見る思いだった。今回のドホナーニとトーンハレ管弦楽団によるブルックナーの第7交響曲の演奏は、例えば、カルロ・マリア・ジュリーニとヴィーン・フィルハーモニーによる演奏と同様に、かつそれとは対照的なアプローチで、ノーヴァク版の楽譜をすみずみまで、かつ説得的に生かした演奏だった。同時に、老境を迎えてしなやかさを増したドホナーニの音楽の新たな境地を示すものでもあった。

なお、今回のトーンハレ管弦楽団の演奏会では、ブルックナーの第7交響曲の前に、ルドルフ・ブッフビンダーの独奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K. 466が演奏された。ブッフビンダーのピアノは、どちらかと言うと朴訥とした語り口ながら、そこから奏でられる音楽に独特の造形性があって、それがドホナーニの音楽とよく噛み合っていた。ブッフビンダーは、オーケストラと張り合って独奏を聴かせるのではなく、むしろオーケストラとのアンサンブルを楽しむようなアプローチで、それぞれのパッセージを、全体の響きのなかで意味深く響かせていた。なかでも、第1楽章の展開部や第2楽章の中間部で、管楽器との掛け合いのなか、同じパッセージが転調を繰り返しながら高まっていくあたり、これまでに聴いたこの曲の演奏のなかで最も説得力があった。ドホナーニの指揮は、澄んだ響きのなかに、とくに第1楽章ではシンコペーションを基調としたリズムの動きを明瞭に浮き立たせるもので、フォルテの打ち込みの鋭さも特筆に値する。

ヴィーンのピアノ演奏の伝統に根差すブッフビンダーのピアノのフレージングには、独特の軽みもあって、それがとりわけ緩徐楽章では歌の柔らかさをもたらしていた。それをさらに、音楽の展開の必然性を感じさせるのに結びついていたあたり、彼の手腕を感じさせる。全体的に、装飾音の処理の仕方も、音楽の連綿とした流れを意識したものであったように思われる。フィナーレでもブッフビンダーは、かなり急速なテンポのなかで、音の粒立ちを失うことなく、個々の楽節を意味づけていた。カデンツァの後で、第17番ト長調の協奏曲のフィナーレのコーダを思わせるように、さらにテンポをプレストにして、全曲の結尾へ音楽が駆け抜けていったのも、ニ短調からニ長調への変化を生かしながら、レクイエム的な短調とのコントラストにおいて天上的な愉悦を際立たせるものとして効果的であると感じられた。手堅く、かつ自然な息遣いのなかで、古典的な造形とともに独特の説得性を示したニ短調協奏曲の演奏だった。

チューリヒのトーンハレの正面玄関

チューリヒのトーンハレの正面玄関

なお、ここまでドホナーニが指揮したトーンハレ管弦楽団の演奏会について記してきたことは、基本的に2日目の演奏を聴いての印象にもとづいている。今回、このオーケストラの定期演奏会として行なわれたこの演奏会を、2日にわたって聴いたわけだが、定期演奏会を2日以上(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は3日間)行なうことの意義を再確認させられた。ドホナーニは、トーンハレ管弦楽団との共演をここ数年重ねているが、それでも指揮者がその意図を楽員に浸透させ、息の合った演奏を繰り広げるのは容易ではない。初日の演奏には、少なからぬアンサンブルの綻びがあったし、オーケストラを統率しようと、ドホナーニの音楽の運びがやや性急になる箇所も見られた。それに、ブルックナーの交響曲のアダージョのクライマックスの直前で、あろうことか、シンバルが飛び出してしまうという事故も起きていた。2日目の演奏では、こうした問題がほぼすべて解消され、音楽の流れがブルックナーに相応しい落ち着きを取り戻していた。こうした経験を重ねながら、とくに若い楽員の多く含まれるオーケストラは、アンサンブルを成熟させていくはずである。